世阿弥「初心忘るべからず」の意味を知る、それは「時々の初心」
日本の慣用句「初心忘るべからず」の「初心」は、”事を始めた時の真剣な気持ちを忘れるな”という意味で理解されています。でも実は「初心忘るべからず」を初めて表した世阿弥の「花鏡」では、それ以外の意味で使っているんですね。それは人生を生きやすくしてくれる「初心」です。その「初心」の意味を追ってみました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
日本の慣用句「初心忘るべからず」の「初心」は、”事を始めた時の真剣な気持ちを忘れるな”という意味で理解されています。でも実は「初心忘るべからず」を初めて表した世阿弥の「花鏡」では、それ以外の意味で使っているんですね。それは人生を生きやすくしてくれる「初心」です。その「初心」の意味を追ってみました。
漢詩の子夜呉歌を「反戦や厭戦への思い」という視点から読み取ります。時代は8世紀、盛唐の時代ですから領土を拡大していく過程で戦争は日常だったのかもしれません。だとしても、いつの時代でも、戦争というのは忌み嫌うものであることが、ひしひしと伝わってくる詩です。
「通園バス園児置き去り事件」は、仕事の職責への自覚が無かったことが根本にあるのではないか、という視点から、仕事をどのように認識したら職責への自覚が深まるのかを考察してみました。職責の自覚については松下幸之助さんの一日一話を参照しております。
「教科書でおぼえた名詩」という本の中に、厭戦を表現している漢詩がありました。盛唐の時代に活躍した王翰という詩人による、涼州詞という詩です。この詩を読んで、学生時代には感じなかった感慨を、再発見によって感じています。詩の持つ力というものを、この詩で味わってみてほしいと思います。