介護の詩|老人ホームの様子|後期高齢者の延長戦③ハーモニカ・故郷

老人ホームには老人ホームの時間と空間があります。そしてそこには、胸がジーンと熱くなって感動する時間と空間もあります。ハーモニカを得意としていたお爺ちゃんの、お元気だった頃と後期高齢者としてその延長戦に生きる姿を、口語自由詩で表現してみました。この詩とは別に「後期高齢者の延長戦①」「後期高齢者の延長戦②」がございます。

百人一首/桜を詠んだ歌/開花を楽しむよりも散る桜に共感する無常観

百人一首の中から「桜を詠んだ六首」です。そこには、桜の開花に一喜一憂したり、桜の花を愛でたり、桜咲く木の下で飲食したり、そのような歌はありません。あるのは「色褪せていく桜」「散り行く桜」に自分を重ね合わせていく歌です。その言外には無常観さえ見え隠れしています。現代語訳は意訳しました。和歌の醍醐味を味わい下さいませ。

介護の詩|老人ホームの様子|後期高齢者の延長戦②|将棋:穴熊作戦

人生100年時代?そんなに長生きしてどうするの?・・と、介護職に就いてから思うようになりました。たとえ100年生きたとしても、最期の時期はやっぱり辛いからです。この度は、後期高齢者の方の死に近づいていく頃の時期を「後期高齢者の延長戦」という言葉で位置づけてみました。そして口語自由詩で表現してみました。

介護の詩|老人ホームの様子|後期高齢者の延長戦①|映画・モロッコ

後期高齢者。85才位を過ぎたら残りの人生は延長戦のような気がします。延長線ではなく延長戦です。なぜなら、他界する迄に、もがきながら悪戦苦闘する場合も多々あるからです。映画のモロッコを毎日観ていた後期高齢者様。急にADLが落ちて、ある日、失禁をされたのです。その方のADLが落ちる前と後を、口語自由詩で語ってみました。

介護の詩/切ないのに宝物/老人ホームでの息遣いと命の灯/詩境

面会に来た息子を見送る母。歩道を行く息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのときは母は「切ないわね..」と口にしたのです。その瞬間を言葉にしたのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。考察の中では「切ない」を歌詞に使った歌謡曲も二曲(ルビーの指輪、思い出がとまらなくなる)取り上げました。

介護の詩/食介〔食事介助〕/老人ホームでの息遣いと命の灯71/詩境

いよいよ死期が近くなった方への食介を通して、感じたことを口語自由詩にしました。この方は100才。おめでどう!に対しては「人に尻を拭いてもらって何が目出たいんですか?」と言い、かつてはこんなことも言いました「こんなことになるのなら、80才位の時に死んでおくんだった...」・・人生、長生き=幸せ、ではないということですね。

介護の詩/記憶は破片になって風に舞う/老人ホームでの息遣いと命の灯70/詩境

認知症の記憶障害は、ついに家族のことも忘れてしまいます。親の顔を見に来た息子や娘に対して、お父さんやお母さんが「どちらさまですか?」と発するのです。子にとってはとてもショッキングな出来事です。その瞬間を、老人ホームの介護の現場から紡いてみました。

介護の詩/面会/老人ホームでの息遣いと命の灯69/詩境

「いつまでも元気でいてください」長寿祝いの定番メッセージです。ここで、”いつまでも”は、つまり”永遠”です。でも、 永遠に元気ではいられません。いつかは死にます。ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか? それとも、永遠は何処かにあって、永遠を感じている誰かがいるのでしょうか?

方丈記/行く河の流れ/無常の結末、最終回は念仏「南無阿弥陀仏」

「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」 日本古典三大随筆の一つである鴨長明による方丈記の冒頭です。その内容は無常観を述べていると評価されています。ならば、その結末にはいったい何が書かれているのでしょうか? 冒頭の無常観はどのような結論へと至ったのでしょうか? 方丈記の冒頭と最終段を明らかにしてみました。

空き缶を簡単に潰す方法/空缶ゴミの体積を約1/3に減らすエコ対策

空き缶(アルミ缶350ml)を潰して、その体積を約1/3にする方法です。これで空き缶ゴミは1/3に減り、ゴミを出す回数も減ります。もしも、みんながこれを実行すれば、ゴミ収集車は従来と同じ手間で、潰さない空缶を運ぶのと比べて約3倍の仕事量を実現させることができるんです。