介護の詩/生き続けること/老人ホームでの息遣いと命の灯45/詩境

失禁をして初めて自分は高齢だと自覚される方もいらっしゃいます。その場合、リハパンは使っていません。下着は普通のままなので、失禁の結果として、下着、パジャマ、シーツ、敷布団.....を汚してしまったことにも大きな衝撃を受けるようです。そんな自分を認めて立ち直るには、時間がかかります。今回はその時の話です。

介護の詩/八十八才のわたし/老人ホームでの息遣いと命の灯44/詩境

老人ホームへ入居して、既にそこで暮らしている人たちと何らかのコミュニケーションをとろうとするその気持ちは、学校で新しいクラスに馴染もうとする気持ちと同じようなものです。新しいご入居者様が古参の入居者たちに、好きなようにいじられるのを見て、人間社会には老いも若きもないんだなぁ・・と私は感じました。

介護の詩/「励まし」/老人ホームでの息遣いと命の灯43/詩境

老人ホームで介護士として働きながら、そこで見聞したことや、体験したことと、そして感じたことを「詩」にしてお伝えしています。今回は、ご入居者様とのコミュニケーションが円滑にとれて、ご入居者様が、その心情を吐露してくださった場面です。スタッフである私への励ましの言葉でした。

春日醉起言志/李白/英訳から学ぶ漢詩の鑑賞/なぜ酒を飲むのか?

「なぜ酒をのむのか?」...お祝いだから? 打ち解けるため? 身体にいいから? 忘れたいから?・・いいえ違います。人生は夢のようなものだから、夢をもっと愉快に楽しく過ごすためです・・と李白は「春日醉起言志」で表現しました。現代語訳だけでなく英訳も載せました。漢詩の英訳を鑑賞することにより、理解は一層深まります。

介護の詩/そろりそろそろそろそろり/老人ホームでの息遣いと命の灯42/詩境

老人ホームで介護士として働きながら、見聞したこと、感じたことを「詩」にしてお伝えしています。今回は、高齢者の歩く様子を「よちよち」と形容することの是非をとりあげました。私は高齢者に「よちよち」は使うべきではないと思っています。そのワケは・・・お読みくださいませ。

介護の詩/覚悟のありがとうございました/老人ホームでの息遣いと命の灯41/詩境

いつも笑顔で「ありがとうございます」と言ってくださるお婆ちゃん、ある日体調が急変してベッドでの生活となりました。ベッドでも介助の度に「ありがとうございます」と言ってくれたいたのですが、その日は「ありがとうございました」でした。感謝が過去形だったのです。死への覚悟ができていることを知り、私は涙しました。

介護の詩/今は昔のこと/老人ホームでの息遣いと命の灯40/詩境

終末期の母親を見舞った子供は、既に前期高齢者になっていました。その方は、お母様との昔日の思いを私に話して下さいました。その日の帰り道、街で、私の目に若い母親と幼子が駆け寄るシーンが映ると、私は昼間聞いた話をその光景に重ねあわせてみました。人生は長い時間軸。そこに感慨を覚えました。

介護の詩/「時計の針」/老人ホームでの息遣いと命の灯39/詩境

老人ホームの入居者様が病気や怪我で入院されると、ADLは急激に落ちてしまいます。先日は、内臓疾患で入院された方がいらっしゃいました。退院できたのですが、ADLだけでなく認知機能も予想以上に悪化していました。私は久しぶりに朝のケアに入りましたが、その衰えた様子に心は痛みました。

介護の詩/「老後の矜持」/老人ホームでの息遣いと命の灯38/詩境

「トイレぐらい自分で行きたい」誰もが思うことです。でも、老後はそうはいきません。皆さん、ある日の ”失禁” をきっかけに、リハパンを着用するようになります。この詩は、その直前の様子です。「トイレぐらい自分でいきたい」という自尊心はADLを維持させるエネルギーになるのです。

介護の詩/「一億総白痴」/老人ホームでの息遣いと命の灯37/詩境

99歳のお爺ちゃんに「もうすぐ百歳、すごいですね」と言ったら、「何がすごいの?自分で自分のケツもふけないのに」と返されました。そして「人生百年って騒ぐのは、一億総白痴と同じだよ」とも言われました。人生百年は、老後の理想と老後の実際の両方をきちんと理解して語られるべきことなのだと思いました。