
介護の詩/記憶は破片になって風に舞う/老人ホームでの息遣いと命の灯70/詩境
認知症の記憶障害は、ついに家族のことも忘れてしまいます。親の顔を見に来た息子や娘に対して、お父さんやお母さんが「どちらさまですか?」と発するのです。子にとってはとてもショッキングな出来事です。その瞬間を、老人ホームの介護の現場から紡いてみました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
認知症の記憶障害は、ついに家族のことも忘れてしまいます。親の顔を見に来た息子や娘に対して、お父さんやお母さんが「どちらさまですか?」と発するのです。子にとってはとてもショッキングな出来事です。その瞬間を、老人ホームの介護の現場から紡いてみました。
「いつまでも元気でいてください」長寿祝いの定番メッセージです。ここで、”いつまでも”は、つまり”永遠”です。でも、 永遠に元気ではいられません。いつかは死にます。ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか? それとも、永遠は何処かにあって、永遠を感じている誰かがいるのでしょうか?そのような思いから、この詩を組み立てました。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」 日本古典三大随筆の一つである方丈記の冒頭です。その内容は無常観を述べていると評価されています。ならば、その結末にはいったい何が書かれているのでしょうか? その締めくくりは、どのようにして終わっているのでしょうか? 方丈記の冒頭と最終段について明らかにしてみました。
空き缶(アルミ缶350ml)を潰して、その体積を約1/3にする方法です。これで空き缶ゴミは1/3に減り、ゴミを出す回数も減ります。もしも、みんながこれを実行すれば、ゴミ収集車は従来と同じ手間で、潰さない空缶を運ぶのと比べて約3倍の仕事量を実現させることができるんです。
百人一首より、月を詠んだ和歌を集めました。有明の月、夜半の月、望郷の月、夏の月、秋の月、そして月を題材にした恋歌・・、全部で十一首です。百首の内の十一首ですから、十首に一首は月の歌なのです。これは、月を好んだ証拠なのでしょうか。もしかしたら日本の名月なのかもしれません。
浦島太郎、原文では浦島太郎と乙姫様は夫婦の契りを結んでいます。その仲は、偕老同穴、比翼の鳥、連理の枝、鴛鴦の契り・・夫婦の仲の良いこと、この上なし。・・なのに、何故別れて、しかも浦島太郎は変わり果てた姿になってしまったのでしょうか。浦島太郎と乙姫様の関係を「男女の出会いと別れという視点」で探ってみました。
「現代に伝わる浦島太郎」と「浦島太郎の原文」を紐解き、話題を「亀」「乙姫様」「竜宮城」「玉手箱」「お爺さん」そして「教訓」に絞って読み比べしてみました。各々の事柄は浦島太郎の物語を象徴するものであり、これらを読めば、”昔話” 浦島太郎の鑑賞がより楽しく、より面白くなると思います。
お伽話はただ楽しいだけでなく、生きる知恵などの教訓を読み取ることができます。さて浦島太郎。その源流である原文を尋ねました。亀は人が乗れるような大きさではなく、竜宮城は陸にあり、鯛や平目は登場せず、玉手箱は「かたみ」の品。今に伝わるお話とはだいぶ違います。さあ、原文を読んで、浦島太郎物語の本物の感慨を味わってみましょう。
老人ホームへ入居する理由。そこには、本人の気持ちや、ADL(日常生活の活動度合)の低下ではなく、”家族の事情” という場合もあります。それは、伴侶を亡くし一人暮らしをしている親を心配する子の心情です。老人ホームという終の棲家での生活に慣れるまでの期間は、本人様にとっても介護スタッフにとっても苦労の連続です。
老人ホームへ入居することは人生の一大事です。本人と家族(後見人)との二人三脚が求められます。入居したけれども「こんなはずではなかった」ということにならないように、体験入居をおこなっているホームもあるので、活用しましょう。ここでの有益な情報としては、本文の口語自由詩よりも、詩境以下を参考にしてみて下さいませ。