
介護の詩|家へ帰ろう|老人ホームで暮らす高齢者の最期|家族の思い
親を本当は老人ホームに入れたくはなかった。けれども、しかたがなかった・・。ご臨終に立ち会い、エンゼルケアを終えて寝台に移されたその時、息子さんは亡骸に向かって言いました。「ごめんね、母さん、独りにさせて、寂しかったね、ごめんね。もう大丈夫だよ。母さん、さあ、家へ帰ろう」小さい声なのに、悲痛な叫び声に聞こえました。
親を本当は老人ホームに入れたくはなかった。けれども、しかたがなかった・・。ご臨終に立ち会い、エンゼルケアを終えて寝台に移されたその時、息子さんは亡骸に向かって言いました。「ごめんね、母さん、独りにさせて、寂しかったね、ごめんね。もう大丈夫だよ。母さん、さあ、家へ帰ろう」小さい声なのに、悲痛な叫び声に聞こえました。
あなた様の認知症がまだ軽かった頃、一緒に街のカラオケルームへ行き、あなた様はサン・トア・マミーを歌われました。覚えていらっしゃいますか?私はよく覚えています。あなた様は今、認知症が進み歌えなくなってしまいましたが、あの時のあなた様を思うことがあなた様の介助の助けになっています。
認知症は原因と特徴的な症状から分類されていますが、そこに個人の性質と性格、及び環境や社会的要因が影響するので、出現する症状は十人十色です。ここではコミュニケーションツールとして歌で気持ちを返される「明るい認知症」の高齢者様を取り上げました。それはまるでミュージカル劇場(踊りませんが)、介護としては楽しい時間です。
老人ホームに入居しても「いつ死ねるのかしらねぇ...」という思いに心を病んでしまう方もいらっしゃいます。本人は辛い思いのまま日々を過ごし、老人ホームとしても、送り出した家族としても、看過できることではありません。この頁では、そこにある背景の一部を探り、口語自由詩と詩境という方法にてお伝えしています。
私の勤務先の老人ホームで暮らしている、ある高齢者様の気持ちを代弁してみました。その方は、転倒→大腿部骨折/手術→車椅子→歩行器で歩行可能...という経験をされました。「生きるということ」は「生きようとする意志」であり、ならば「生きている限り、生きていることを楽しもう」・・そう、思います。”生きているうちが華”なのです。
介護には「介護の三原則」という理念があります。ただ、現場にいる私としては三原則だけでは物足りません。介護者に必要な「寄り添う心」や、高齢者には「老後の心構えを準備しておく」ことが必要だと思います。そのような思いから、介護の三原則を主たるテーマに、介護に必要な理念について考察してみました。
認知症が進んだ高齢者とのコミュニケーションです。言葉は通用しないので、ノンバーバール(非言語)を活用して認知症の方の感情に共感しましょう。介護を「私介護する人、あなた介護される人」という二極化で理解せず、相手様に寄り添うことにより相手様の心とひとつになって、お互いにリラックスしたいい時間を過ごしていきたいと思います。
愛する家族が認知症になり病状が進んでいくことは、残された家族にとってとても不安な事だと思います。残された家族は出口の見えないトンネルを進んでいくような思いではないでしょうか。老人ホームでの、私とある認知症高齢者様とのコミュニケーションの様子を口語自由詩で表現しました。詩境には認知症高齢者様との接し方を解説しております。
老人ホームでの出来事を口語自由詩にしています。今回は看取りからご逝去までの数日間、死期を格闘された方のお話です。詩境では死期に近づいた場合の対応についても言及しました。死についての参考書籍も参考資料として明記しました。
高齢者の転倒は、それが他界へのきっかけになる場合もあります。事例は、たった一度の初めての転倒、そして救急搬送、入院・・翌朝にご逝去された例です。死因は老死でした。元気だったのに突然の他界。高齢者の場合それをピンピンコロリと表現する場合があります。死ぬ時に長く苦しまなくていいので幸せな死に方だと解釈されています。