
介護の詩|ナースコールはSOS|老人ホームで暮らす高齢者の様子
ご入居者様の中には、たまにナースコールを連打される方がいらっしゃいます。ナースコールでスタッフを呼び、ニーズは一旦解決したにもかかわらず、1分と経たないうちに再度ナースコールを鳴らしてスタッフを呼ぶのです。そしてそれを繰り返します。スタッフは疲弊困憊してしまいます。そんな時の、状況改善へのヒントを書きました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
ご入居者様の中には、たまにナースコールを連打される方がいらっしゃいます。ナースコールでスタッフを呼び、ニーズは一旦解決したにもかかわらず、1分と経たないうちに再度ナースコールを鳴らしてスタッフを呼ぶのです。そしてそれを繰り返します。スタッフは疲弊困憊してしまいます。そんな時の、状況改善へのヒントを書きました。
世の中には無頓着というか傍若無人というか、人様の事情や心情を斟酌せずにズケズケとものを言う人がいるのものです。そのとき思います「それを言っちゃあ、おしまいよ」と。それは、老人ホームでも変わりません。老人ホームには老人ホームというひとつの社会がそこにあるのです。
認知症には中核症状とそれらによって引き起こされる周辺症状があります。この詩作品は中核症状名を散りばめ、介護者は認知症の方にどのような理解と姿勢で介助に取り組めばいいのかを考察しました。認知症をもっと知る契機にになってくれたら幸いです。この作品は前々回の「哀切」と前回の「無常」と併せて三つでひとつの作品としております。
身近な人の認知症の症状が進んでしまったことを嘆いている、周囲の者の心情を描写しました。実際問題、介護の現場では嘆いてばかりはいられません。でも”いい介護”を実践していくためには、「ああ、なんて無情なんだ」と「嘆く」ことは介護者の心理過程において必要なことではないかと私は思い、これを書きました。