百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その5首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)
めぐり逢いて
見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
この和歌も、前回と同じく難解な言葉はありません。ほぼ現代語から推測できる言葉で詠まれています。
時は夜半、時刻にすると午後11時頃から午前2時頃くらいでしょうか。
見上げる夜空には、雲に隠れてしまったお月様。
そのお月様と、上の句の「めぐり逢ひて」はどんな関係にあるのでしょうか・・・。
何度も何度も声に出して読んでみてください。
【解説】
ネットやいろいろな書籍でこの和歌を調べると、以下のように書かれています。
・・・「めぐり逢いて」とあるので、恋人のことを詠んだ”恋の歌” と思うかもしれませんが、めぐり逢ったのは、実は友達のことです。・・・
このような解説を読むと、私は興ざめしてしまいます。
なぜなら、
作品から受ける印象は様々ですが、それらの印象に限定を与えてしまうからです。
つまり、言葉だけから、いろいろイメージを膨らませる楽しみが減ってしまうからです。
私は、こんなふうに味わっています。
この和歌の末尾は「かな」で終えています。「~かな」は疑問を表す場合と、感嘆を表すときにも使われます。雲に隠れてしまった夜半のお月様に、疑問を投げかけ、同時に感嘆しているのなら、いったい何に疑問をなげかけ、そして感嘆したのでしょうか。
そのように読み解いてみると、疑問と感嘆の対象を冒頭の「めぐり逢った相手」に置けば、ストーリーが見えてくるような気がします。
すると、「めぐり逢ひて」に続く「見しやそれとも わかぬまに」が、「夜半の月かな」と疑問を投げかけ、そして感嘆した理由なのだと、推測できます。
何度も声に出して読むと、「見しや」は ”ああ、見たんだな・・” ”ああ、認識したんだな” と思えてきます。そして、何度読んでも、「わかぬまに」は ”わからないままに” とそのままの意味以外のことは思いつきません。
なので、
” 見たんだけど、わからないまま” だったんだな・・・、そして「雲隠れ」してしまたんだな・・・めぐり逢った人が・・・というふうに読むことができます。
その、めぐり逢った人が誰なのかは、この和歌からは分かりません。でも、雲隠れするようにいなくなってしまった/帰ってしまったことを、残念に思っているわけですから(末尾の「~かな」から想像がつきます)、作者にとって大切な人であったに違いはありません。
その人が、恋人であろうが、友達であろうが、わかりませんが、大切であることには変わりないという理解で、この和歌は十分に味わえるのではないでしょうか。
【お月様】
「お月様」という言い方があります。様をつけて呼ぶという感情は、そこに尊敬や畏敬の念があるからでしょう。
現代においては、月は地球の周りを回っていると知っていますが、当時の人にとっては、月というものは、”とてつもなくすごいもの、不思議なもの、畏敬の対象・・・” だったように思います。
太陽が沈んで、夜がやってきます。・・・真っ暗です。
でも、そこに月が昇ってきて、月は、太陽が沈んだ後の真っ暗な中を、太陽ほどではないけれど一生懸命に照らしてくれる存在なのです。こんなに有難いことはありません。
でも、何故か? 機嫌が悪いのか・・? 日々形を変えて、時には空から消えてしまうこともあります・・・でも、また機嫌を取り直したのか? 空に表れます。・・・こんな不思議はありません。
テレビもラジオも雑誌もない時代ですから、自然の変化に目がいくのは、現代よりもずっと強く、そして頻繁であったのではないかと思います。
和歌の世界に月を詠んだ歌が多いのも、わかる気がしますね。
【直訳】
やっと逢えたのね。
でも、あなただと、分かるか分からないうちに、
あなたは、帰ってしまった。
それはまるで、
今、夜空にあったと思っていたお月様が、
さっと雲に隠れて見えなくなってしまうのと同じみたいだわ。
【作者】
作者は紫式部(970年~没年不詳)。
源氏物語に800首もの和歌を書き残しているそうです。その他にも詠んだ和歌はあるだろうから、その数は1000首を超えているかもしれませんね。
百人一首を選んだ藤原定家は、紫式部が詠んだ沢山の中から、この「めぐり逢いて~」を選びました。ということは、この和歌は紫式部の代表作と言ってもいいのかもしれません。それくらい、この歌は優れた出来だということです。
紫式部は20代の中頃に、父である藤原為時の越前(今の福井県)への赴任に、一緒に付いていっています。
この「めぐり逢いて~」は、その時期に詠まれたものだそうです。紫式部は、都である京都から離れ、そこには都の賑わいはなく、京都の友達とも離れて、寂しかった。
この「めぐり逢いて」の和歌には、その孤独感を垣間見ることができる・・・という解説が、多くの解説書に書かれています。
【意訳】Free translation
あれ? もう、帰っちゃったの?
あ~あ、せっかく、ひさしぶりに合えたのに・・・残念!
積もる話を聴いてほしかったわ。
ああ、寂しい・・・
ちょっと来て、さっと帰ってしまうだなんて、
あなたは、まるで、
さっきまで夜空を煌々と照らしていた夜半のお月様が、
ふと見上げたら、もう雲の中に隠れてしまった・・・
そんな感じね。
今度来るときは、もっと長居してね。
そして、積もる話に花を咲かせましょう。
わたしを、独りにさせないでね。
*
言葉の持つ意味をいろいろを探り、
そして、言葉と言葉の繋がりから生じる意味をさぐり、
さらに、歌全体の様子から、作者の心持をさぐり・・・
そうやって詩歌を味わえば、
「その時、実は、作者はこれこれ、こういう事情がありました」なんていう解説なんか無しに、いろいろなイメージを想起させて、楽しむことができます。
*
☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
ご一読、お願いいたします。
百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
読んでくださり、ありがとうございます。