百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、夜空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その9首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)
やすらはで
寝なましものを 小夜更けて
かたぶくまでの 月をみしかな
今日は最初から意訳してみましょう。
【意訳】Free translation
あ~あ、夜は更けてきた。
お月様は西の空に傾いているわ。
もうすぐ朝がくるわね・・・。
貴方っていう人は・・・まったく・・・
貴方が来ないとわかっていたら、ぐすぐすしないで、さっと寝てしまっていたのに・・・。
貴方が来ないから、わたしはずっと独りぼっちだったのよ・・・。
貴方のいない夜に、わたしを独りにして、しかも夜通し起こしておくなんて、
貴方っていう人は、ほんと、罪な人ねぇ・・・。
あ~あ・・・お月様は、もうすぐ沈んでいくわ・・・。
わたしも、寝ないと・・・。
【解説】
分からない語句は冒頭の「やすらはで」、「寝なまし」、それから「小夜」でしょうか。
「やすらはで」:語感からは、現代語から理解して、 ”安らぐことがなくて?” とか、 “安心できなくて” というように思ってしまいますね。
「やすらはで」は古語で、”ためらわないで” とか ”ぐずぐずしないで” という意味です。
「寝なましものを」:古語には、分からなそうで分かる、おおよそ想像がつく古語というのがあります。これは、そのひとつかもしれません。”寝てしまっていたのになぁ・・” という意味です。
「小夜」:語感からは ”可愛らしい” 感じを受けます。女性の名前には、小夜子(さよこ)さんと名前がありますね。「さ」は夜を修飾している接頭語で、”いい夜だ” というように、夜を肯定している、そのような意です。ただ、そんな文法的なことよりも、語感から受ける印象、たとえば ”可愛らしい夜” と理解して、そこからイメージを膨らませていくことの方がが、楽しめる鑑賞につながると思います。
〔通い婚礼〕
日本の中世では、男は夜に女性の元へ通う「通い婚」があったことを思い出してください。
すると、「寝なましものを(寝てしまったのに)」「小夜更けて(朝に近づく)」から、夜通し起きていた・・・つまり、相手の男が来るのを、夜の間ずーっと待っていた女性の様子が想像できます。
【直訳】
ぐずぐずしないで、寝てしまっていたのになぁ・・・
夜はふけて、お月様は空に傾いているわ。
(もう、朝になるのよ・・・)
【もういちど解説】
直訳というのは味気ないものです。なので【意訳】のように鑑賞してみるのですが、あまり意訳しすぎると、学校の試験では不正解となりますので、要注意です。
そこが、学校教育の現場での、”詩歌を教えるは難しい”ということですね。
私は高校の時の詩歌の授業で、こんなことを経験したことがあります。
「かとうくん、ここは、どういう意味ですか?」
「はい、えーっと、〇〇〇だと思います」
そうしたら先生は「それは違います」と云いました。
私は、感じたままを言っただけなのに・・・。「違います」なんて言われたら、私の感じ方が間違っているっていうこと? 正解不正解云々というよりも、私自身を否定されたような感覚に襲われました。
そして、
”なんだ、詩歌というのは、予め資料に目を通しておかないといけないものなのか? 言葉って何なんだ? 読んで感じたままではいけないものなのか?・・・へんなの” と感じました。
それ以来、詩歌の授業に不信感が募り、詩歌からだいぶ離れてしまった時期があります。
*
この「やすらはで」・・・来るはずの彼が来ないのですから大問題だと思います。
「来るといったのに、こないじゃあない!」・・・人によっては嘆いたり、彼を恨んだりしてしまう場面でもあるかもしれません。
そして、夜を「小夜」としています。・・・彼は来なかったけど、夜の間、ずーっと彼のことを思い続けて、頭の中は彼のことでいっぱい・・・そういう意味では幸せで愛すべき一夜であったのかもしれません。・・・と、わたしは、思いたいです〔意訳〕
そしてさらに、
この和歌は、”西の空に傾いたお月様” を 「見しかな」(「かな」は詠嘆を表します)と詠んで、情緒を漂わせています。負の感情もあったかもしれないのに、それを見せていません。
その内面の「ほんとうは貴方と会いたかった」を、どのようにイメージしていくか、そこにこそ、この和歌の鑑賞の、行先があるように思います。
「やすらはで~」は恋の物語です。
・・・今晩は、会えるといいですね。
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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
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