
日本の名月|百人一首の月が語る月物語|恋の歌、季節の歌、郷愁の歌
百人一首より、月を詠んだ歌十二首です。恋の歌、季節の歌、郷愁の歌という三つの場面に分類して解説しました。現代語訳は意訳〔Free translation〕しました。意訳による言葉の広がりと奥行き、直訳では味わえない感慨をお楽しみ下さいませ。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
百人一首より、月を詠んだ歌十二首です。恋の歌、季節の歌、郷愁の歌という三つの場面に分類して解説しました。現代語訳は意訳〔Free translation〕しました。意訳による言葉の広がりと奥行き、直訳では味わえない感慨をお楽しみ下さいませ。
骨折は、高齢者の介護が必要になった原因の第三位を占めているそうです(①認知症 ②脳血管疾患)。多いのは転倒による骨折です。そしてそれは老人ホームでも同じこと。既に施設で暮らす必要性があって老人ホームにいる高齢者が、さらに骨折してしまうのですから事は重大です。ADLへの影響も大です。この頁では、その事例を取り上げました。
この歌、「月」という語句は使っていません。月は「有明」という語句に表現されています。鑑賞の要点は「つれなく見えし」の解釈です。
老人ホームにて、ある認知症高齢者の方のトイレ介助をしていた時のことです。その方が突然泣きだしたのです。「こんなふうになって、なさけない...」という思いが噴き出したのでした。その時の様子を口語自由詩にしました。そして詩境では、詩境だけでなく、その経緯の詳細と介護の対処の仕方について記しました。参考になれば幸いです。
老人ホームには老人ホームの時間と空間があります。そしてそこには、胸がジーンと熱くなって感動する時間と空間もあります。ハーモニカを得意としていたお爺ちゃんの、お元気だった頃と後期高齢者としてその延長戦に生きる姿を、口語自由詩で表現してみました。この詩とは別に「後期高齢者の延長戦①」「後期高齢者の延長戦②」がございます。
百人一首の中から「桜を詠んだ六首」です。そこには、桜の開花に一喜一憂したり、桜の花を愛でたり、桜咲く木の下で飲食したり、そのような歌はありません。あるのは「色褪せていく桜」「散り行く桜」に自分を重ね合わせていく歌です。その言外には無常観さえ見え隠れしています。現代語訳は意訳しました。和歌の醍醐味を味わい下さいませ。
人生100年時代?そんなに長生きしてどうするの?・・と、介護職に就いてから思うようになりました。たとえ100年生きたとしても、最期の時期はやっぱり辛いからです。この度は、後期高齢者の方の死に近づいていく頃の時期を「後期高齢者の延長戦」という言葉で位置づけてみました。そして口語自由詩で表現してみました。
後期高齢者。85才位を過ぎたら残りの人生は延長戦のような気がします。延長線ではなく延長戦です。なぜなら、他界する迄に、もがきながら悪戦苦闘する場合も多々あるからです。映画のモロッコを毎日観ていた後期高齢者様。急にADLが落ちて、ある日、失禁をされたのです。その方のADLが落ちる前と後を、口語自由詩で語ってみました。
面会に来た息子を見送る母。歩道を行く息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのときは母は「切ないわね..」と口にしたのです。その瞬間を言葉にしたのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。考察の中では「切ない」を歌詞に使った歌謡曲も二曲(ルビーの指輪、思い出がとまらなくなる)取り上げました。
いよいよ死期が近くなった方への食介を通して、感じたことを口語自由詩にしました。この方は100才。おめでどう!に対しては「人に尻を拭いてもらって何が目出たいんですか?」と言い、かつてはこんなことも言いました「こんなことになるのなら、80才位の時に死んでおくんだった...」・・人生、長生き=幸せ、ではないということですね。