
介護の詩|みんな順送り|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
世の中には無頓着というか傍若無人というか、人様の事情や心情を斟酌せずにズケズケとものを言う人がいるのものです。そのとき思います「それを言っちゃあ、おしまいよ」と。それは、老人ホームでも変わりません。老人ホームには老人ホームというひとつの社会がそこにあるのです。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
世の中には無頓着というか傍若無人というか、人様の事情や心情を斟酌せずにズケズケとものを言う人がいるのものです。そのとき思います「それを言っちゃあ、おしまいよ」と。それは、老人ホームでも変わりません。老人ホームには老人ホームというひとつの社会がそこにあるのです。
認知症には中核症状とそれらによって引き起こされる周辺症状があります。この詩作品は中核症状名を散りばめ、介護者は認知症の方にどのような理解と姿勢で介助に取り組めばいいのかを考察しました。認知症をもっと知る契機にになってくれたら幸いです。この作品は前々回の「哀切」と前回の「無常」と併せて三つでひとつの作品としております。
身近な人の認知症の症状が進んでしまったことを嘆いている、周囲の者の心情を描写しました。実際問題、介護の現場では嘆いてばかりはいられません。でも”いい介護”を実践していくためには、「ああ、なんて無情なんだ」と「嘆く」ことは介護者の心理過程において必要なことではないかと私は思い、これを書きました。
認知症を患った方は、その症状が進むと家族の顔も家族の存在すらも忘れてしまいます。私は父で経験しました。驚きと悲しみでいっぱいになりました。それは老人ホームでも同じです。認知症の方は、介助されていても、そのスタッフが誰なのかは分からなくなってしまいます。認知症の進行を直に感じ取れると同時に、やるせない悲しさに包まれます。
認知機能が衰えていくと、中には社会性も欠落させていく方がいらっしゃいます。そういう方とのコミュニケーションに介護者は苦労します。この記事ではその発端となる出来事を取り上げて、口語自由詩にしました。介護の仕事は「きつい」「危険」「きたない」ことばかりが取り沙汰されますが、日常の些事にも目を向けてほしいと思います。
作戦名には士気高揚の効果があると云われています。それでは、その短い言葉の中にはいったい何が詰まっているのでしょうか。アメリカ軍の作戦名を紐解き、帰納法的に「作戦とは何か?」について推論しました。作戦名を作るときの参考になれば幸いです。/考察のための作戦名は9件取り上げました。/歴史の勉強にも役立ちます。
親を本当は老人ホームに入れたくはなかった。けれども、しかたがなかった・・。ご臨終に立ち会い、エンゼルケアを終えて寝台に移されたその時、息子さんは亡骸に向かって言いました。「ごめんね、母さん、独りにさせて、寂しかったね、ごめんね。もう大丈夫だよ。母さん、さあ、家へ帰ろう」小さい声なのに、悲痛な叫び声に聞こえました。
あなた様の認知症がまだ軽かった頃、一緒に街のカラオケルームへ行き、あなた様はサン・トア・マミーを歌われました。覚えていらっしゃいますか?私はよく覚えています。あなた様は今、認知症が進み歌えなくなってしまいましたが、あの時のあなた様を思うことがあなた様の介助の助けになっています。
認知症は原因と特徴的な症状から分類されていますが、そこに個人の性質と性格、及び環境や社会的要因が影響するので、出現する症状は十人十色です。ここではコミュニケーションツールとして歌で気持ちを返される「明るい認知症」の高齢者様を取り上げました。それはまるでミュージカル劇場(踊りませんが)、介護としては楽しい時間です。
老人ホームに入居しても「いつ死ねるのかしらねぇ...」という思いに心を病んでしまう方もいらっしゃいます。本人は辛い思いのまま日々を過ごし、老人ホームとしても、送り出した家族としても、看過できることではありません。この頁では、そこにある背景の一部を探り、口語自由詩と詩境という方法にてお伝えしています。