
百人一首/月の歌/英訳・英語で味わう日本の名月/日本の月を詠んだ和歌11首
百人一首には月を詠んだ歌が11首もあります。10首に1首は月の歌なのです。多いですね。では、どのような月が詠まれているのでしょうか。千年の時を経て今日まで伝わっている「月」ですから「名月」と呼んでもいいのかもしれません。鑑賞しやすく分かりやすくするために英訳を載せました。意訳も載せました。日本の名月をご鑑賞下さいませ。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
百人一首には月を詠んだ歌が11首もあります。10首に1首は月の歌なのです。多いですね。では、どのような月が詠まれているのでしょうか。千年の時を経て今日まで伝わっている「月」ですから「名月」と呼んでもいいのかもしれません。鑑賞しやすく分かりやすくするために英訳を載せました。意訳も載せました。日本の名月をご鑑賞下さいませ。
老人ホームには、ニーズに合わせた、いろいろな特徴を持った施設があります。選ぶときには、各々の施設の何がどのように異なるのかを、きちんと調べることが求められます。その意識、及び準備のきかっけになればいいなと思い、老人ホーム内での一番面を垣間見るような形で、自由詩にまとめました。
鴨長明が晩年に過ごし、方丈記を綴った住処が「方丈庵」です。その様子を、実際に「方丈記」を読みながら”見取り図を描いて再現”したいと思います。晩年に選んだ住処ですから、鴨長明の無常観は極まっていると思います。いったいどのような住処にその身を投じたのでしょうか。
介護の仕事に対して「大変でしょう」「体力いるよね」という言い方をよくされます。どんな仕事でもその大変さはそれぞれにあります。介護の仕事で大変だなと思うのは、例えば排泄介助の大変さではなく、実は、その人の心にいかに寄り添っていけるのか...ということなのです。そこが一番難しい。その為に必要なことを、ここに記しました。
方丈記には歴史に残る大きな出来事がいくつも書かれています。それらは歴史資料としても価値があるそうです。この記事は、その中のひとつ、1185年に京都を襲った「元暦の大地震」を取り上げました。第二十一段、第二十二段、第二十三段です。それらの原文と現代語訳、そして解説を付けました。天災による無常を考えてみたいと思います。
鴨長明が書き残した日本古典三大随筆のひとつ、無常をテーマにした「方丈記」。前半は度重なる人災・天災を記述して(史実としての価値有)無常を語り、後半では鴨長明個人の事情を記述して無常を展開していきます。ここに記した第二十四段、第二十五段は、その”つなぎ”です。前半の大きな事象の俯瞰から、人々の生活へと言及していきます。
生きていると、ふと人生の無常に襲われることがあります。その時私達は「無常な人生」をどのように生きていけばよいのでしょうか。それを探るために「行く河の水は絶えずして~」の冒頭で有名な方丈記を再読してヒントを得たいと思います。方丈記は「無常」をテーマに書かれているからです。この記事では第一段から第三段までをとりあげました。
一人で食べれないことはないけれども、食事介助をすれば沢山召し上がれるという場合、食介は自立を妨げる過剰サービスになるのでしょうか?どうせそのうち食介が必要になるのだから、気が付いた時から始めればいいという判断は乱暴でしょうか。満腹感ほど幸せなものはないと思う私は、いつも手助けをしてしまいます。その様子を言葉にしました。
私が最初に勤めたのは「住宅型」ではなく、要介護度の高い方がご入居されている老人ホームでした。そこには、終末期、入浴できない状態になってしまったご入居者様もいらっしゃいました。入浴できない場合は、身体を清潔に保つ方法として「清拭(せいしき)」をおこないます。身体を拭くのです。その時の経験を言葉にしました。
仕事の本質を語る時には、その仕事の What? How? Why?「何を?、どのように?、なぜ?」という問いにきちんと答えることが大事です。でも、介護の仕事の場合は、表面的な「きつい」「汚い」「危険」ばかりが取り沙汰されていて、最も大事なことを見失いがちです。介護の仕事の大事な事を、私自身の経験の中から探ってみました。