
介護の詩|生きている限り|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
私の勤務先の老人ホームで暮らしている、ある高齢者様の気持ちを代弁してみました。その方は、転倒→大腿部骨折/手術→車椅子→歩行器で歩行可能...という経験をされました。「生きるということ」は「生きようとする意志」であり、ならば「生きている限り、生きていることを楽しもう」・・そう、思います。”生きているうちが華”なのです。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
老人ホームでの出来事、感じたこと、高齢者様の息使いと命の灯を「詩」でお伝えしています。
私の勤務先の老人ホームで暮らしている、ある高齢者様の気持ちを代弁してみました。その方は、転倒→大腿部骨折/手術→車椅子→歩行器で歩行可能...という経験をされました。「生きるということ」は「生きようとする意志」であり、ならば「生きている限り、生きていることを楽しもう」・・そう、思います。”生きているうちが華”なのです。
介護には「介護の三原則」という理念があります。ただ、現場にいる私としては三原則だけでは物足りません。介護者に必要な「寄り添う心」や、高齢者には「老後の心構えを準備しておく」ことが必要だと思います。そのような思いから、介護の三原則を主たるテーマに、介護に必要な理念について考察してみました。
認知症が進んだ高齢者とのコミュニケーションです。言葉は通用しないので、ノンバーバール(非言語)を活用して認知症の方の感情に共感しましょう。介護を「私介護する人、あなた介護される人」という二極化で理解せず、相手様に寄り添うことにより相手様の心とひとつになって、お互いにリラックスしたいい時間を過ごしていきたいと思います。
愛する家族が認知症になり病状が進んでいくことは、残された家族にとってとても不安な事だと思います。残された家族は出口の見えないトンネルを進んでいくような思いではないでしょうか。老人ホームでの、私とある認知症高齢者様とのコミュニケーションの様子を口語自由詩で表現しました。詩境には認知症高齢者様との接し方を解説しております。
老人ホームでの出来事を口語自由詩にしています。今回は看取りからご逝去までの数日間、死期を格闘された方のお話です。詩境では死期に近づいた場合の対応についても言及しました。死についての参考書籍も参考資料として明記しました。
高齢者の転倒は、それが他界へのきっかけになる場合もあります。事例は、たった一度の初めての転倒、そして救急搬送、入院・・翌朝にご逝去された例です。死因は老死でした。元気だったのに突然の他界。高齢者の場合それをピンピンコロリと表現する場合があります。死ぬ時に長く苦しまなくていいので幸せな死に方だと解釈されています。
骨折は、高齢者の介護が必要になった原因の第三位を占めているそうです(①認知症 ②脳血管疾患)。多いのは転倒による骨折です。そしてそれは老人ホームでも同じこと。既に施設で暮らす必要性があって老人ホームにいる高齢者が、さらに骨折してしまうのですから事は重大です。ADLへの影響も大です。この頁では、その事例を取り上げました。
老人ホームにて、ある認知症高齢者の方のトイレ介助をしていた時のことです。その方が突然泣きだしたのです。「こんなふうになって、なさけない...」という思いが噴き出したのでした。その時の様子を口語自由詩にしました。そして詩境では、詩境だけでなく、その経緯の詳細と介護の対処の仕方について記しました。参考になれば幸いです。
老人ホームには老人ホームの時間と空間があります。そしてそこには、胸がジーンと熱くなって感動する時間と空間もあります。ハーモニカを得意としていたお爺ちゃんの、お元気だった頃と後期高齢者としてその延長戦に生きる姿を、口語自由詩で表現してみました。この詩とは別に「後期高齢者の延長戦①」「後期高齢者の延長戦②」がございます。
人生100年時代?そんなに長生きしてどうするの?・・と、介護職に就いてから思うようになりました。たとえ100年生きたとしても、最期の時期はやっぱり辛いからです。この度は、後期高齢者の方の死に近づいていく頃の時期を「後期高齢者の延長戦」という言葉で位置づけてみました。そして口語自由詩で表現してみました。