
介護の詩|切なくても宝物|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境
面会に来た息子を見送る母。歩道を行く息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのときは母は「切ないわね..」と口にしたのです。その瞬間を言葉にしたのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。考察の中では「切ない」を歌詞に使った歌謡曲も二曲(ルビーの指輪、思い出がとまらなくなる)取り上げました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
面会に来た息子を見送る母。歩道を行く息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのときは母は「切ないわね..」と口にしたのです。その瞬間を言葉にしたのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。考察の中では「切ない」を歌詞に使った歌謡曲も二曲(ルビーの指輪、思い出がとまらなくなる)取り上げました。
いよいよ死期が近くなった方への食介を通して、感じたことを口語自由詩にしました。この方は100才。おめでどう!に対しては「人に尻を拭いてもらって何が目出たいんですか?」と言い、かつてはこんなことも言いました「こんなことになるのなら、80才位の時に死んでおくんだった...」・・人生、長生き=幸せ、ではないということですね。
認知症の記憶障害は、ついに家族のことも忘れてしまいます。親の顔を見に来た息子や娘に対して、お父さんやお母さんが「どちらさまですか?」と発するのです。子にとってはとてもショッキングな出来事です。その瞬間を、老人ホームの介護の現場から紡いてみました。
「いつまでも元気でいてください」長寿祝いの定番メッセージです。ここで、”いつまでも”は、つまり”永遠”です。でも、 永遠に元気ではいられません。いつかは死にます。ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか? それとも、永遠は何処かにあって、永遠を感じている誰かがいるのでしょうか?
老人ホームへ入居する理由。そこには、本人の気持ちや、ADL(日常生活の活動度合)の低下ではなく、”家族の事情” という場合もあります。それは、伴侶を亡くし一人暮らしをしている親を心配する子の心情です。老人ホームという終の棲家での生活に慣れるまでの期間は、本人様にとっても介護スタッフにとっても苦労の連続です。
老人ホームへ入居することは人生の一大事です。本人と家族(後見人)との二人三脚が求められます。入居したけれども「こんなはずではなかった」ということにならないように、体験入居をおこなっているホームもあるので、活用しましょう。ここでの有益な情報としては、本文の口語自由詩よりも、詩境以下を参考にしてみて下さいませ。
老人ホームへの入居には、実は本人様には迷いがあるのに、家族の意向が強くて入居を決めてしまう場合があります。その場合、本人様の受容できない心と不安が、”混乱”⇒”拒否”⇒”怒り”⇒”抑鬱”となって、本人に襲い掛かります。現場では対応に苦労します。そのような事例を口語自由詩にして表現しました。
老人ホームには、ニーズに合わせた、いろいろな特徴を持った施設があります。選ぶときには、各々の施設の何がどのように異なるのかを、きちんと調べることが求められます。その意識、及び準備のきかっけになればいいなと思い、老人ホーム内での一番面を垣間見るような形で、自由詩にまとめました。
介護の仕事に対して「大変でしょう」「体力いるよね」という言い方をよくされます。どんな仕事でもその大変さはそれぞれにあります。介護の仕事で大変だなと思うのは、例えば排泄介助の大変さではなく、実は、その人の心にいかに寄り添っていけるのか...ということなのです。そこが一番難しい。その為に必要なことを、ここに記しました。
一人で食べれないことはないけれども、食事介助をすれば沢山召し上がれるという場合、食介は自立を妨げる過剰サービスになるのでしょうか?どうせそのうち食介が必要になるのだから、気が付いた時から始めればいいという判断は乱暴でしょうか。満腹感ほど幸せなものはないと思う私は、いつも手助けをしてしまいます。その様子を言葉にしました。