
介護の詩|虚ろな眼差し|老人ホームで暮らす高齢者|大腿部骨折
骨折は、高齢者の介護が必要になった原因の第三位を占めているそうです(①認知症 ②脳血管疾患)。多いのは転倒による骨折です。そしてそれは老人ホームでも同じこと。既に施設で暮らす必要性があって老人ホームにいる高齢者が、さらに骨折してしまうのですから事は重大です。ADLへの影響も大です。この頁では、その事例を取り上げました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
骨折は、高齢者の介護が必要になった原因の第三位を占めているそうです(①認知症 ②脳血管疾患)。多いのは転倒による骨折です。そしてそれは老人ホームでも同じこと。既に施設で暮らす必要性があって老人ホームにいる高齢者が、さらに骨折してしまうのですから事は重大です。ADLへの影響も大です。この頁では、その事例を取り上げました。
老人ホームにて、ある認知症高齢者の方のトイレ介助をしていた時のことです。その方が突然泣きだしたのです。「こんなふうになって、なさけない...」という思いが噴き出したのでした。その時の様子を口語自由詩にしました。そして詩境では、詩境だけでなく、その経緯の詳細と介護の対処の仕方について記しました。参考になれば幸いです。
老人ホームには老人ホームの時間と空間があります。そしてそこには、胸がジーンと熱くなって感動する時間と空間もあります。ハーモニカを得意としていたお爺ちゃんの、お元気だった頃と後期高齢者としてその延長戦に生きる姿を、口語自由詩で表現してみました。この詩とは別に「後期高齢者の延長戦①」「後期高齢者の延長戦②」がございます。
人生100年時代?そんなに長生きしてどうするの?・・と、介護職に就いてから思うようになりました。たとえ100年生きたとしても、最期の時期はやっぱり辛いからです。この度は、後期高齢者の方の死に近づいていく頃の時期を「後期高齢者の延長戦」という言葉で位置づけてみました。そして口語自由詩で表現してみました。
後期高齢者。85才位を過ぎたら残りの人生は延長戦のような気がします。延長線ではなく延長戦です。なぜなら、他界する迄に、もがきながら悪戦苦闘する場合も多々あるからです。映画のモロッコを毎日観ていた後期高齢者様。急にADLが落ちて、ある日、失禁をされたのです。その方のADLが落ちる前と後を、口語自由詩で語ってみました。
面会に来た息子を見送る母。歩道を行く息子は、どんどん遠く、どんどん小さくなっていきました。そのときは母は「切ないわね..」と口にしたのです。その瞬間を言葉にしたのがこの作品です。詩境、考察も併せてお読みくださいませ。考察の中では「切ない」を歌詞に使った歌謡曲も二曲(ルビーの指輪、思い出がとまらなくなる)取り上げました。
いよいよ死期が近くなった方への食介を通して、感じたことを口語自由詩にしました。この方は100才。おめでどう!に対しては「人に尻を拭いてもらって何が目出たいんですか?」と言い、かつてはこんなことも言いました「こんなことになるのなら、80才位の時に死んでおくんだった...」・・人生、長生き=幸せ、ではないということですね。
認知症の記憶障害は、ついに家族のことも忘れてしまいます。親の顔を見に来た息子や娘に対して、お父さんやお母さんが「どちらさまですか?」と発するのです。子にとってはとてもショッキングな出来事です。その瞬間を、老人ホームの介護の現場から紡いてみました。
「いつまでも元気でいてください」長寿祝いの定番メッセージです。ここで、”いつまでも”は、つまり”永遠”です。でも、 永遠に元気ではいられません。いつかは死にます。ならば、永遠とは単なる願望でしかないのでしょうか? それとも、永遠は何処かにあって、永遠を感じている誰かがいるのでしょうか?
老人ホームへ入居する理由。そこには、本人の気持ちや、ADL(日常生活の活動度合)の低下ではなく、”家族の事情” という場合もあります。それは、伴侶を亡くし一人暮らしをしている親を心配する子の心情です。老人ホームという終の棲家での生活に慣れるまでの期間は、本人様にとっても介護スタッフにとっても苦労の連続です。