百人一首/恋に生きる/逢えば、熱くなる恋心・乱れる恋心/恋歌二首


鎌倉時代の初期に成立した和歌集「小倉百人一首」は、学校の授業で使われ、「競技用かるた大会」にも使われ、広く世間に知れ渡っています。

この百人一首、その中身を紐解くと恋の歌が沢山選ばれています。一説によると百首のうちの四十三首が恋を題材にした恋歌だそうです。

そしてさらに、それらの恋歌を詠んでいくと、五七五七七という短い言葉の中に、とても味わいのある情熱的な恋の物語や、悩み尽きない恋の物語などを見つけることができます。そこには、今の世の中の恋物語りと変わらない、恋の思いがいっぱい詰まっているのです。

この頁では、その中から「恋に生きる恋歌二首」を取り上げて解説しました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

「恋に生きる恋歌」という表現については、私が「この作者は恋に生きている」と感じたので、このように呼んでみました。

そして、解釈については、あえて【意訳(Free translation)】を試みました。

なぜなら、百人一首を解説した資料は世の中に沢山存在し、入手しやすく、今更私がそれらの詳細を述べても重複するだけだからです。

そしてさらに、既存の解釈の多くは、文法や表現の技法を説明することを優先して、直訳だからです。

私としては、解釈の基本は直訳を大事にすることに異論はありません。でも、直訳だけでは「歌の心を楽しむ世界」を広げるには物足りないと思い、意訳をして物語の世界を広げていきたいと考えました。

1.恋に生きる/ひとたび逢えば、さらに熱くなる恋心

第43番歌

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば~

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

【意訳】

あなたとの逢瀬がやっとかないました。あなたに逢えてよかった。とても嬉しいです。また直ぐにでも逢いたいです。今、私のあなたへの思いは、あなたと逢う前に抱いていた思いなど比べものにならないくらいに、熱くなっています。またお逢いしましょうね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【解説】

冒頭の「逢ひ見ての」への理解が求められます。「逢ひ見ての」を分かることによって、この歌の意図は全て分かるといっても過言ではないでしょう。作者はデートの後で、相手とまた直ぐにデートしたいと思って、この歌を詠み、相手へ送ったのです。

「逢ひ見ての」:「逢ひ見る」には、①対面する。 ②男女が関係を結ぶ。という二つの意味があります。⇒ ここでは、②男女が関係を結ぶ。という意味で使われています。 

「あなたのことは、あなたと男女の関係を結ぶ前も好きだったけど、あなたと男女の関係を結んだ後は、あなたのことをもっと好きになりました。また逢いましょうね」と詠んでいるのです。

【いろいろな資料を紐解くと、以下のことが分かります】

この歌の作者はプレイボーイ。多くの恋人がいたそうです。そして、その中のひとりが、百人一首第38番歌の作者でした。

第38番歌の作者は、自分を裏切った男に対して、神罰を受けて死んでしまえばいいのに・・と詠っています。そして、その裏切った男とは、この第43番歌の作者なのでした。

プレイボーイである第43番歌の作者は38才という若さで他界するのですが、その因は男女の関係にあった第38番歌の作者を裏切った報いとも云われているそうです。怖い話ですね。

こういう背景を知ると、

この歌の意図は〔彼女を引き留めておくための方便である〕ともいえるでしょう。

恋に対して打算があり、純粋でないその姿勢に、私は寂しさを感じます。そして、歌の良さが急に萎んでいって、下衆な歌に聞こえてしまいます。そう感じるのは、私だけでしょうか。

かとうあきら

詩歌の鑑賞に際して、その詩歌が書かれた背景を知ることは、必ずしも必要ではないと、私は思っています。

その詩歌の、言葉と言葉の繋がりだけを頼りに鑑賞することが、詩歌に相応しい鑑賞方法であると思います。

なぜなら、この歌を例にとれば・・・、

この歌は、背景を知らなければ、とても情熱的で熱い恋心が伝わってくる素敵な歌です。

でも、背景を知ることによって、この歌は〔身勝手な男の方便〕のように聞こえてきて、とても下品な歌に成り下がってしまうからです。

私の【意訳】は、この歌の背景を知らないという前提で書き起こしました。

2.恋に生きる/恋するほどに乱れていく恋心

第80番歌

ながからむ 心も知らず 黒髪の~

ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ

【意訳】

今朝の別れ際に、あなたは「ずっと愛しているよ」と言ってくださいました。でも、先のことは分からないじゃあないですか? 本当にずっと、わたしのことを愛してくださるのですか? 信じられません。・・・嗚呼、そう思うと、あなたと別れた今朝、わたしは不安でいっぱいになります。わたしは、この黒髪が乱れているように、心も乱れて、わたしは物思いに沈んでいってしまうのです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【解説】

この時代は〔通い婚〕の時代です。そして、男女のお付き合いも浮気も、男は女の家に行き朝まで一緒にいて、そして朝には男が女の元を去るというのが、その時代の習わしでした。そういう状況を頭に入れて、詠んでみましょう。

「ながからむ」: 長く心変わりしない。

「心も知らず」:冒頭の「ながからむ」を受けて、「(そんなこと言っても)心のことは分かりません」という心の様子。この五文字の中に「心変わりするかもしれませんよね、ねあ、あなた」という思いもあるかもしれないと読み取ることで、この歌の味わいは深まっていきます。

「黒髪の みだれてけさは」:朝になって黒い髪が乱れているのです。男女が一晩一緒に過ごして、黒髪が乱れているのです。ここに官能美があります。

明治時代になって、詩人の与謝野晶子は、その処女歌集「みだれ髪」において「くろ髪の 千すじの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもひみだるる」と詠みました。(要約:私の黒い髪が乱れているように、私の心も乱れています)

この歌は、「黒髪の みだれてけさは」をヒントにしているとも云われているそうです。

かとうあきら

恋は、不安を感じ始めると、ますます不安になって、心を痛めてしまうものですね。

黒髪が乱れるくらい一晩一緒に過ごせたのだから、幸せなことなのです。でもその幸せは直ぐに過去のことになってしまいます。この幸せは続かないかもしれないという不安が、心を支配してしまうのです。

その因は、男が「ながからむ(ずっと愛しているよ)」と口にしたことによります。これは私にしてみれば、罪な話です。

心穏やかなまま恋をし続けることは、とても難しいことなのですね。でも、そのことを頭では分かっていても、恋をすると忘れてしまいます。それもまた、恋なのです。

このように、恋というものは、逢えば思いはますます熱くなったり、逢えば逢ったで悩みは深くなって心は乱れたりします。恋というものは、人の心を狂わせる不思議な力を持っているようです。

さて、このような情熱的な歌とは、趣を異にする恋歌も、百人一首には存在します。

それは「待たされる恋です」

次回の記事では、百人一首の中から「待たされる恋」の歌を三首、解説してみたいと思います。

【参考】百人一首/待たされる恋/待ち焦がれたまま夜は明ける恋/恋歌三首

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かとうあきら

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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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