日本の有名な歌集「百人一首」に収められている和歌の中から、「月」を詠んでいる和歌をご紹介いたします。
百人一首/第二十三番歌
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
これは、第二十三番歌。
秋の月を詠っています。
秋の月を詠った歌は、百人一首の中にもう一首あります。
第七十九番歌です。
「秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ」
上記の第七十九番歌が情景を描写しているのに対して、
第二十三番歌「月見れば~」は、
月を題材にして「悲しけれ」という感情に訴求しています。
「月を見たら、いろいろなことが切なく悲しく感じられました。秋は私だけに来たわけではありませんが・・」
これは直訳ですが、要するに、
”ある秋の日、月をみたら、物悲しい気分になってしまった。・・ただ、物悲しいのは私だけではない、世間の皆もまた物悲しく感じているはずだ”
つまり「秋の月は人の心を物悲しくさせてしまう…ああ」と詠っているのです。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【季節は秋】
この歌の上の句は、
「月見れば~悲しけれ」です。
月が気持ちを悲しませたと思われますが、下の句の「わが身ひとつの秋にはあらねど」で、その月はただの月ではなく「秋の月」だということが分かります。
季節は秋・・月を見たら・・悲しくなった
と、作者はこの歌を詠みました。
秋に対する一般的な印象としては、”食欲の秋” や”スポーツの秋” がありますが、
一方で、”秋は、なんとなく物悲しい季節だ”という感覚的な印象があると思います。
その「秋=物悲しい」という感覚的な印象が、
中世においても存在していたということを、この歌は教えてくれています。
いいえ、それは今を基準にした思いであり、元々「秋は、どことなく物悲しくなるもの・・」という感覚が日本人の心にはあり、それが現代も変わらずに存在しているということなのでしょう。
〔秋=悲しい〕…この関係には “人の心の、秋に対する定石みたいなもの“ を感じます。いわば〔心の公式〕ですね。
たとえば・・
末尾の句の「秋にはあらねど」を、
「春にはあらねど」「夏にはあらねど」「冬にはあらねど」などに置き換えてみて下さい。
いかがですか?
「月を見て悲しくなる」という心の動きに寄り添える語句は、
「秋にはあらねど」が一番しっくりきませんか?
秋には、気持ちを悲しくさせる何かがあるのだと思います。
<coffee break>
【秋に物悲しくなるワケ】
秋になると物悲しくなる傾向にあるのは、何故でしょうか・・・
人の脳にはセロトニンという幸せを感じる神経伝達物質があります。セロトニンは太陽の光を浴びることで体内に生成されやすくなります。
そして、これを根拠に、以下の推察が生まれます。
〔「秋になると物悲しくなる理由」の諸説の主たるもの〕
秋になって日照時間が減るとセロトニンの生成が減るので、夏との相対において”幸せを感じる度合い”が減る。・・・と推察されるようです。(複数のネット記事参照)
でも、あくまで、直前の季節である「夏」との日照時間の相対比較(セロトニン生成の相対比較)にあるわけで、絶対的なものではないはずです。
なぜなら、この理屈が是だとすると、日照時間が少ない国の人たちはどうなんだ? 幸せを感じる度合いは熱帯地方に住む人々と比較して少ないのか? という質問に対して、YESという回答が成り立ってしまうからです。幸せを感じる度合いも、物悲しさを感じる傾向も、そういう単純な解釈ではないはずですからね。
<coffee berak おしまい>
百人一首/第二十三番歌
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ
わが身ひとつの 秋にはあらねど
〔読み〕
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
わがみひとつの あきにはあらねど
月見れば・・
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【語句の意味】
「千々」/「ちぢ」①数が多いさま。②細かに分かれるさま。
「もの」/古語辞典には約1頁を割いて事細かく、その意味が書かれていました。その冒頭には「名詞/対象を特に限定せず、広く漠然と示す言葉」と解説されています。
「こそ」/係助詞。上の文節、または連文節を特に強くとりたてていい、叙述を強調する。
「悲しけれ」/「悲し(切なく悲しい)」形容詞の已然形
※古文の已然形とは ”すでにそうなっている” という意味で使われます。
※以上、参照は古語辞典〔角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年初版〕です。
意訳してみました
ああ、月が出ている。
寒々とした真っ暗な夜空に、一生懸命に輝いているお月様。
月は一年中、晴れた日にはいつだって眺めているはずなのに、
秋の月は、どうしてこうも悲しいんだろう。
秋の月を見ると、いろいろな事がいろいろ頭に浮かんできて、
ほんと、悲しい気持ちになってしまう。
ただ・・・よくよく考えてみれば、
この秋は、万人のところにやってきていて、
みんな、この秋の月を眺めているんだよね。
決して、私一人だけの秋ではないんだよね。
・・・・・
でもさ、
この寂しさは、きっと私だけのものかもしれないよ。
私には私の、悲しい人生というものが、あるからね。
それは、誰にも分らないこと、
私だけが知っていれば、それで、いいことさ。
本当はね、
自分の心が抱えている”様々な悲しみ”を、誰かに知ってもらって、共有してくれて、できたら共感も・・・してほしかったのかもしれません。
私は、そんなふうに感じています。
読んでくださり、ありがとうございます。
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