日本の名月⑥/ほととぎす~ただ有明の月ぞ残れる/百人一首81番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を持たせようとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その6首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

ほととぎす

鳴きつる方を 眺むれば

ただ有明の 月ぞ残れる

この和歌に難解な語句は無いと思います。「鳴きつる」の「つる」くらいでしょうか。このような助詞についても、細かくその役割と意味を追いながら鑑賞することは、この和歌の神髄を突き詰めていく過程では大切だと思います。

ただ、和歌をより身近なものとして楽しむのであれば、そのような追求は面倒なだけだと思います。イメージを膨らませたりしながら、楽しむ心を挫けさせてしまいます。

詩もそうですが、和歌も、語感からピンとくる意味を信頼して、難しいことは飛ばしてしまいましょう。

この和歌の鑑賞を左右するであろう言葉について、あえて言えば、

「ほととぎす」って、どんな鳥なんだろう・・・。そして「有明の月」って、どんな月なんだろう・・・。

このふたつを、ちょっと調べて読んでみるだけで、いいんです。それだけで、おおよその意味はさらに膨らんで、想像の世界を楽しめると思います。

【注釈】

ほととぎすは渡り鳥です。日本へは夏の始まりである五月頃に南から渡ってきます。

夏の到来を知ることができる鳥なんですね。そのことが、この和歌の鑑賞に関わってくると思います。

日本では古くから、ほととぎすという鳥には親しみがあったようで、万葉集には、約150首、古今和歌集には約40種、新古今和歌集にも約40首、ほととぎすを詠んだ和歌があるそうです。

ところで・・・、

ほととぎすって、どんなふうに鳴くのでしょうか?

私たち日本人は、カラスは「かあ~ かあ~」、うぐいすは「ほーほけきょ」、にわとりは「こけこっこ~」と鳴くのだと認識していますが、ほととぎすの鳴き声って、和歌に沢山詠われてわりには、知られていませんね。

調べてみたのですが、カタカナで想像がつかないような文字が並んでおりました。きっと、文字にするのは難しい鳴き方なのだと思います。

それでは、その姿は・・というと、

その姿は、地味なほうです。色鮮やかな姿ではありません。

そこで、ハッと思いました。

ほととぎすが色鮮やかな視覚的にも目立つ鳥であったら・・・、一緒に詠われているお月様が霞んでしまいます。

なので、ここは・・・耳感覚だけでいいのです。

「ほととぎす」には、

・・・その鳴き声が夏の到来を告げているよ・・・季節はめぐってきたね・・というような感慨を感じ取れれば、この和歌がただの風景描写ではなく、そこに感情を注ぎ込める素敵な和歌として鑑賞できるように思えます。

「有明の月」・・・百人一首には「有明の月」という語句が使われている和歌が三首あります。この記事の次と、その次で、ご紹介いたしましょう。

「有明の月」は、夜が明ける頃から朝になった時間帯に、西の空に出ている月のことです。

その表現としては「まだお月様が残っている」というように「残る」という言い方が多いですね。朝なんだから、お月様はもう沈んでしまったはずなのに、まだいたの?・・まだ残っていたの・・?というニュアンスです。

余談になりますが、私が思うに・・・、

太陽と月は空の上で、追いかけごっこをしています。月が太陽を追いかけているのか、太陽が月を追いかけているのか・・わかりませんが、「有明の月」というのは、太陽に追いかけられているお月様が、ちょっと逃げ遅れて、まだ空に残っている・・。そして、お月様は、見つかってしまって、ちょっと、はにかんでいる。太陽とお月様は、追いかけごっこをするくらい、ほんとうは仲がいいんだね・・・、よかったぁ・・・というような感じもしますね。

【直訳】

おや、ほととぎすが鳴いているよ。

・・・あれ?

ほととぎすが鳴いている方を見て、ほととぎすを探してみたのだけれど、

ほととぎすはどこにもいないよ。

ただ、有明の月が、

そこに残っているだけだよ。

【意訳】Free  translation

あああ~、疲れた。

この仕事は、なかなか大変だなぁ・・・

おや、あの声は・・・ほととぎす・・・ほととぎすだ!

ああ、もう夏がやってきたんだ。

早いものだ・・・この仕事に取り掛かってから、もう何か月たつんだろう・・・。

でも、もうすぐ完成するぞ。

どれどれ、ちょっと一休みして、ほととぎすの姿を見てみようか・・・

・・・・・

あれ? いないぞ・・・?

なんだ、有明のお月様じゃあないか。

なんだ、もう朝なんだ。

今日も頑張ったな、徹夜してしまったよ。

【意訳の注釈】

作者は、有明の月が出るころに起きていました。「有明の月」と認識する時間帯を考えると、作者は朝起きてこの和歌の情景に遭遇したのか、それとも”朝まで起きていて” この和歌の情景に遭遇したのか・・・、それを思うと、この和歌の楽しみはさらに広がります。

わたしは、後者を選びたいですね。

仕事で徹夜したとか、日記を書いていたら朝になっていたとか、何かに夢中になっていて朝になり、ほととぎすの鳴く声で、ふっと頭を上げて窓越しに空を見上げた・・・

そこには、夢中になった後の、ほっとした心の安らぎのようなものが感じられます。

そして、思うのです。

夏がきたんだなぁ・・・季節はめぐるなぁ・・・時は過ぎていくなぁ・・・。過ぎていくけれども、空に残って頑張っているお月様のように、わたしももう少し頑張って、この仕事を続けていこう/生きていこう・・・

*

☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

読んでくださり、ありがとうございます。