日本の名月⑩/秋風に~もれ出づる月の影のさやけさ/百人一首79番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、夜空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その10首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

秋風に

たなびく雲の 絶え間より

もれ出づる月の 影のさやけさ

【解説】

この和歌は、解説を読まなくても、”夜空に雲が流れていて、お月様はその雲の間に見えている・・・”、そんな情景を思い起こさせます。

ならば、その月の光や明るさ、そして輝きは、どのように見えているのでしょうか・・・。

そこまで想像をふくらましていくと、

最後の「影のさやけさ」が何を意味しているのか、見当がついてきます。

・・・そうです。

「影」は ”月の光” のこと。現代語では「影」は光が遮られてできた薄暗い部分を指しますが、古語では明るいのも暗いのも、一緒にして「影」と呼んでいました。

「さやけさ」というのは、澄み切ってくっきりはっきりしている様子を意味します。今ではあまり使うことのない言葉ですが、小説家の大岡信さん、宮本百合子さんの作品には登場しています。

私は、この和歌を詠むと、

中原中也の「頑是ない歌」という詩を思い出します。その冒頭をご紹介します。

思えば遠く来たもんだ/十二の冬のあの夕べ/港の空に鳴り響いた/汽笛の湯気は今いづこ

雲の間に月はゐて/それな汽笛を耳にすると/しょう然として身をすくめ/月はその時そらにゐた

抱いている感情は異なるのだろうけれど、「夜空にたなびく雲の隙間から漏れ出ている月の光」・・・その景色は同じです。

同じような月を眺めながら、その時々の作者が置かれている状況の違いによって、いろいろな見え方をするものなのだろうなぁ・・・、そこに詩歌における表現の面白さがあるのだろうなぁ・・と、思うわけです。

「秋風に~」について、世間に多々ある百人一首の解説書を読むと、みな一様に「たなびく雲の隙間から漏れ出ている”月の光”の美しさを詠っている」とあります。・・・そこまでです。

雲の間から見え隠れする月を、なぜ美しいと感じたのか? そこまでは追求していません。

なので、私が以下のように意訳して、この和歌の鑑賞の範囲をもっともっと広げてみたいと思います。

【意訳】Free translation

秋の夜、空の上では、きっと肌寒いであろう秋風に吹かれて、

雲が棚引くように、ゆっくり流れている。

そして、お月様は、

流れる雲に遮られながらも、

雲の間から、煌々とした輝きを放っている。

なんて美しい姿だろう。

わたしも、

遮られても煌々と輝き続ける、あの月のように、

苦労とか困難とか・・・何かに遮られることがあっても、

一生懸命に生きて、

輝き続けていたい。

よーし、頑張っていこう。

単なる情景描写の詩歌であっても、そこに作者の感情を想像してみたり、自分の感情を重ねてみたりすると、鑑賞の仕方は多様になり、詩歌の楽しみかたは今より増えていくと思います。

   

☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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