涼州詞/王翰/厭戦気分を詠んでいる漢詩/教科書でおぼえた名詩より


【昔、教科書で見た覚えのある詩】

私の愛読書に「教科書でおぼえた名詩」というのがあります。

本のタイトルが「教科書でおぼえた名詩」だからといって、その本に載っている名詩を暗記しているわけではありません。

でも、教科書で出会ったのは、もう何年も昔のことなのに、今振り返り詠んでみれば「ああ、なんとなく覚えている」「知ってる知ってる、授業でやったよ」なんていう記憶の彼方にある学生時代の教室での一コマ詩が思い出されたりして、学生時代を懐かしく思い出します。

例えば「僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る」で始まる高村光太郎の「道程」とか、「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」で始まる室生犀星の「小景異情などです。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ~」の「風の又三郎」も載っています。

この写真は、この本の表紙と奥付です。

そして、そこには日本の詩歌だけではなく、17編の漢詩も掲載されています。

私は、久しぶりにこれを読んでいたら、再発見することがありました。そこには、戦争を忌み嫌う漢詩があったのです。いわゆる、反戦とか、厭戦という類の内容を詠った詩です。

学生時代には、ただ読み流していて、この漢詩の型は七言絶句で、読み方はこれこれこうで・・くらいしか関心はなかったように思います。

でも、今読み返すと「いつの時代でも、戦争には行きたくないものなのだ。戦争は人を沢山殺して、帰らぬ人としてしまうのだ。ああ、いやだ、いやだ」という感慨が生まれてきます。

そのような再発見がありましたので、ここにご紹介いたします。

作者は盛唐の詩人”王翰(687?~726?)

「葡萄の美酒」を、夜に光輝くという白玉で作った特別な杯である「夜光の杯」で味わうという、おそらくワインであろう酒を飲むところから詩は始まります。

涼州詞

葡萄美酒夜光杯

欲飲琵琶馬上催

酔臥沙場君莫笑

古来征戦幾人回

【読み方】

涼州詞(りょうしゅうし)

葡萄の美酒 夜光の杯

飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す

酔ひて沙上に臥す 君笑うこと莫かれ

古来征戦幾人か回る

【掲載ページ】

この写真のとおり、この本に解説はありませんが、フリガナがふってあり、漢詩をとても読みやすく紹介しています。

【解説】

作者の王翰が生きた時代は、第6代の玄宗皇帝と重なり、中央アジアまでその領土を広げていった時代でもあります。(日本では奈良時代にあたります)

領土を広げるための周辺民族との戦いが、頻繁におこなわれていたことが想像されます。

この詩は、その戦いに行こうとする兵士の、出征する直前の晩の話です。

【意訳 /  free  translation】

私はこれから戦争に行くのである。

夜になると光輝く特上の杯で、今私は、出征前の美味しいワインを味わっている。

こうやって美味いワインを飲めるも最後になるかもしれない。私の命は戦争の行方に握られているのだ。このワインは、戦争にいく前の僅かな楽しみだ、飲ませてくれ、今少しの間。

なのに、おまえは、さあ早く馬に乗って、夜のうちに出発したほうがいいぞ、と私に言った。

私が戦場にいく直前の、このわずかな時間に、おまえが琵琶を奏でて、私に美しいメロディを聴かせてくれている、それはとてもありがたいことだ。でも、急がせないでくれ。もう少しだけ、ここに居させて、この美味しいワインを飲ませてほしい。

たとえ、私が酔いにつぶれて、そこの砂の上に倒れて寝てしまい、戦場にいく本隊に遅れてしまったとしても、私を笑ったりはしないでほしい。

戦争はずっと続いてきた。そして今もまだ続いている。そして、今までの多くの兵隊が戦争に行ったまま命を落とし、帰ってこなかった。

友よ、私も、私も戦争で死んでしまうかもしれないのだ。

ああ、行きたくない。ああ、死にたくない。

【再発見したこと】

時代は唐、玄宗皇帝の時代。

玄宗皇帝は善政により唐の絶頂期を作り上げましたが、その後半の治世では楊貴妃を寵愛し、政治は乱れていったと記されています。(参考:玄宗皇帝/Wikipedia

権力者の影に隠れて、多くの人が戦争で命を落とし、多くの人が人生を翻弄されていくのは、いつの時代でも場所を問わず、変わっていません。だからこそ、あきらめることなく、平和を希求していくことが大切だと強く思わせてくれるのが、この詩です。

そして、最後の一行が秀逸ですね。

「昔から、戦争に行った人は、みんな帰ってこないじゃあないか! みんな戦争で死んでしまったんだよ!」って、友達に訴えているんですね。

この一行は、さらにどんどん想像を膨らませることができます。

たとえば、「みんな死んで帰ってこないんだ。俺だって、死に行くようなものさ! 最後の夜くらい、ゆっくり酒を飲ませてくれたって、いいじゃあないか!」というようなことも言ったかもしれません。

そういうことを想像させるところに、この詩が、反戦や厭戦の気持ちを詠っていることがわかります。

ところで、教科書でおぼえた漢詩といえば、杜甫の「春望」が有名ですね。

この詩の冒頭は「国破れて 山河在り」から始まります。栄えていても国は滅びるという諦観した姿勢から入っているんですね。

そして、途中には、”遠くに見える戦争による火や煙がもう三ヵ月も続いている” という一文があります。それらをひっくるめて、そうこうしているうちに歳をとってしまったよ、と人生の儚さを嘆いています。視座を変えれば、戦争、それははかないもの、意味のないことなんだよ・・と再発見することができます。(参考:「春望」発見/再発見/振り返りノート)

【教科書で学んだ懐かしい詩歌】の総合目次は、以下にございます。

ご一読いただければ、幸いです。

「教科書で学んだ懐かしい詩歌」

読んでくださり、ありがとうございました。