(画像はイメージです/出典:photoAC)
「通園バス園児放置事件」の続報が日々発信されています。
このような事件が起きるたびに、事件を起こした当事者達は自分と自分達の職責をどのように認識していたのだろうか、と疑問に思います。恐らく、役割と使命を言葉にして紙に書いたことなど一度も無くて、もちろん言葉にして語ることさえもできず、普段から職責が意識の上に上がることはなかったのではないでしょうか。でなければ、園児をバスに放置するような事故を起こすことは考えられません。
行政は園児を放置させないシステム作りを立案し、マスコミもまたいろいろな私案を出すことでしょう。それはそれで望ましいことですが、問題の根本は、保育という仕事の職責をどのように理解して、保育という仕事の役割と使命をどのように果たしていったらいいのかという認識と理解にあると思います。何故なら、放置させない方法は、保育という仕事の職責と役割と使命の認識の上に成り立つものだからです。なので、この度は職責に視点を向けて、職責について再考してみたいと思います。
職責とどのように向き合うのかについては、松下幸之助さんの一日一話の中にある「職責の自覚」を引用させていただきました。この話は、日々仕事に取り組む全ての人にとって、とても有用だと思います。
【通園バス園児放置事件で思う事】
今月の9月5日、静岡県牧之原市の幼稚園で起きた「通園バス園児放置事件」の続報がネット上に毎日届けられています。朝、幼稚園に到着したバスから園児たちを降ろす時、一人の女児がバスに残っているにも関わらず、スタッフは全員降ろしたものと思い込みドアを閉めてしまい、女児はそのまま放置されて熱射病で死に至ってしまったという事件です。
園は9月7日に記者会見を開いたのですが、普段からの、そして事故当日の杜撰な管理が明らかになり、それと同時に園の事故に対する浅薄な認識や傲慢な態度などが指摘され、この事件の悲しみは尚一層深くなっています。
ネットに公開されるニュースを読むたびに思うのは、この幼稚園では保育の仕事の職責をどのように認識していたのだろうか、という疑問です。
【仕事と職責】
仕事をするとき、一番大事なのは職責をきちんと自覚して取り組むことです。
仕事には求められている事があります。私たちは、仕事に求められていることを成し遂げることで、職責を果たしたことになり、対価として給料を受け取ります。
もしも職責をきちんと自覚していなかったら、求められていることへの理解と自覚が薄くなり、ミスを起こすリスクが高まります。小さなミスは表面上に表れない場合がありますが、ある日ある時、小さなミスが致命的な大事件となってしまいます。
職責を自覚するということは、仕事でミスを減らし仕事をきちんと成し遂げるための、必要な最低条件なのです。ですから、当たり前のように思いますが、仕事に取り組む時、最初に必要なことは、その仕事に求められていることをきちんと理解しておくことなのです。そして大事なのは、何故それが求められるのか、その理由をきちんと自覚しておくことです。このことは、仕事を教える側にとっても大切な事柄だと思います。
さて、仕事に求められていることをきちんと理解する方法としては、次の方法がわかりやすいです。仕事をWhat?、Why?、How?に分解し、各々を理解することによって仕事の全体像を理解するという方法です。
【仕事を理解する三要素】
1.その仕事は、何を求められているのか(What?)
2.その仕事は、何故必要なのか(Why?)
3.その仕事は、どのようにすれば達成できるのか(How?)
これらの三要素は、全ての仕事に共通します。大事なのは、「何を求められているのか?」と「その仕事は何故必要なのか?」という二つの認識です。なぜなら、それらの認識が仕事の方法に様々な工夫をもたらし、一生懸命に取り組む真摯な気持ちを支える根拠になるからです。この三要素を、通園バス園児放置事件に当てはめて考察してみたいと思います。
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【通園バス添乗員の仕事】
朝の通園バスに添乗しているスタッフに求められていることを【仕事を理解する三要素】で明らかにしてみると、次のようになります。
1.その仕事は、何を求められているのか?(What?)
Ans:バスに乗車した全ての園児を、きちんと保育ができる環境にまで安全に届けること。
2.その仕事は、何故必要なのか?(Why?)
Ans:きちんと保育をするため。そして、保護者の元へ大切な命を返すため。
3.その仕事は、どのように達成できるのか?(How?)(ここには複数の方法があります)
Ans:降車を一人ひとり、指で差して、声に出して確認する
【国が昨年、全国の幼稚園と保育園に発信した安全管理の徹底事項】
昨年の7月、福岡で同様の事故が発生し5歳の男児が亡くなられているのは周知のことと思います。その事故を受けて、国は以下のような内容の通知を全国の幼稚園と保育園に出しました。
〔安全管理の徹底事項〕
◇当園時や散歩の前後など、場面が切り替わる際に、複数の職員で子供の人数を確認すること。
◇子供が欠席している場合は、保護者に速やかに確認し、職員の間で情報を共有すること。
◇送迎バスを運行する場合は、運転を担当する職員のほかに子供の対応ができる職員が同乗するのが望ましい。
◇子供の乗車時および降車時に、座席や人数の確認を実施し、その内容を職員の間で共有すること。
これらを徹底するように国は全国の幼稚園と保育園に求めていました。
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これらを〔仕事を理解する三要素〕に当てはめてみると、これらは全て「どのように園児の移動をどのように管理するのか?」というHow?の問題であることがわかります。降車チェックが何故必要なのかという、根本を問いただすような内容ではありません。
大事なのは「何故、降車チェックをするのか?」「何故、降車チェックを、園児一人ひとりにしなければいけないのか?」その理由をきちんと自覚していることです。
牧之原市の事故では、保護者がQRコードを端末にかざして登園を確認するシステムになっていたようですが、通園バスではスタッフがそれをまとめて代行していたようです。問題は、その代行業務が何故必要なのかという職責がきちんと認識されていたのかということです。
通園バス園児放置事件の詳細を知れば知るほど、そもそも「お子様の安全を守る」ためという職責が理解されていなかったことが根本原因にあるように思えてなりません。つまり何故QRコードを端末にかざすのか?というWhy?がきちんと理解されていなかったということです。つまり、一人ひとりの園児の大事な命をお預かりしているという認識も、職責も、欠如していたということです。
降車の確認をどのようにチェックするのかという手段については、いろいろな方法があると思います。今後、具体的な対策としても立案されることでしょう。ただ、同時に大切なのは、「保育の仕事」への理解と、そこに発生する様々な仕事について「何故、その仕事をするのか?」という理解だと思います。
それらが理解されることによって、「どのように保育するのか?」というHow?の意味が生きてきます。そして、それらを実践することによって「保育という仕事の職責」が理解されて、降車時の降車チェックは、あたりまえのこととして励行できるようになるのだと思います。
昨年7月の福岡の事故も、今回の牧之原市の事故も、事故の続報に触れるたびに「えっ?そんなこともしていなかったの?」と驚くばかりなのは多くの人が感じているようです。
バスに乗る時、バスに乗っている時、バスを降りる時・・、園児の表情は?元気かな?体調不良の子はいないかな?・・という思いで表情を見たりはしていなかったのでしょうか?そういう姿勢があれば、降車確認という仕事においても確認する意識は高くなると思います。
降車時のバスの後部座席までのチェックは、降車チェックだけでなく、例えば、ハンカチを落とした子はいないか? 吐いたり、お漏らしをしてしまった跡はないか? バス内の設備の不備は発生していないか? これら全て、安全安心な保育のために必要なことです。
それらの行動全てが、職責を懸命に果たしていくことにつながっていくと思います。そして、その時、「いい仕事ができている」という理解になって、また次に「いい仕事」ができるようになっていくのだと思います。そうすることで、ミスは起こりづらくなり、たとえ起きたとしても、元々二重三重のチェックシステムがあるのですから、そして仕事仲間がいるのですから、みんなでミスをカバーして安全安心な保育環境を維持していけるのだと思います。
【職責の自覚】
松下幸之助さんの「一日一話」という書籍に「職責の自覚」という表題の一文があります。そこには「自分自身が自分の職責を強く自覚し、その職責に対して懸命に打ち込むという姿勢が大切である」とあります。
通園バス園児放置事件を知った時、私は直にこのページが頭に浮かびました。日々の仕事においても、自分の仕事について、その職責を振り返り、モチベーションの原点としています。ここに、その全文をご紹介いたします。
〔松下幸之助 一日一話 8月27日 職責の自覚〕の全文
お互いに欠点というものはたくさんあり、何もかも満点というわけにはいかない。だから、自分の足りないところは他の人に補ってもらわなければならないが、そのためには自分自身が自分の職責を強く自覚し、その職責に対して懸命に打ち込むという姿勢が大切である。
仕事に熱心であれば、おのずから職責の自覚が高まるし、職責の自覚があれば、人はまた常に熱心である。そうした自覚、そうした熱意は多くの人の感応を呼び、協力も得られやすくなる。そういうことから、みずからの職責を自覚し、全身全霊を打ち込むという心がけだけは、お互いにおろそかにしたくないと思うのである。
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昨年7月福岡で亡くなられた倉掛冬生ちゃん、今月静岡で亡くなられた河本千奈ちゃん、お二人のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の方々へのお悔やみを申し上げます。