百人一首/「有明の月」を詠んだ五七五七七/「有明の月」とは/和歌三首


枕の草子には・・

その昔、平安時代の中頃に、清少納言(966年頃~1025年頃)は「枕の草子」に、月の良さを記しました。

「夏は夜、月のころはさらなり」(意訳:夏は夜がいいですね、趣深いものを感じます。そして、月が出ている夜は、言うまでもなく素晴らしいと思います)

それでは、夏以外の月は、どのような表情をしていたのでしょうか。そして、昔の人は月をどのように感じていたのでしょうか。

小倉百人一首には・・

それを読み解けるのが、小倉百人一首に選ばれている月の歌です。小倉百人一首には、月を歌った歌が十一首もあります。

【参考記事】日本の名月:まとめ/百人一首から、月を詠んだ11首が味わえます

それそれに特徴的な月として詠われていますが、例えば他の言葉で形容された月は以下の通りです。

いでし月(第7番歌)

かたぶくまでの月(第59番歌)

もれいづる月(第79番歌)

夜半の月(第57番歌、第68番歌)

有明の月(第21番歌、第31番歌、第81番歌)

それぞれ、どのような月なのでしょうか。

ざっと、目を通してみて、「有明の月」がどのような月なのか・・想像できますでしょうか? ピンときた人は少ないのではないかと思います。

なので、

この記事では、意味が伝わりにくいであろう「有明の月」をとりあげます。

「有明の月」とは、どのような月なのか、「有明の月」を詠み込んだ三首の歌から読み解いていきましょう。

有明の月(ありあけのつき)

(画像はイメージです/出典:photoAC)

1.「有明の月」を詠んだ歌、三首

かとうあきら

すぐに解釈を紐解くのではなく、まずは声に出して、何度も何度も復唱してみてほしいと思います。詩歌の味わいというのは、解釈を求めるものではなく、詠んで感じるものだからです

第二十一番歌

今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

(画像はイメージです/出典:photoAC)

第三十一番歌

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に 降れる白雪

(画像はイメージです/出典:photoAC)

第八十一番歌

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる

(画像はイメージです/出典:photoAC)

かとうあきら

歌を楽しむ心を尊び、ここでは意訳【Free translation】をおこなっていますこと、ご了解くださいませ。

2.【解説】第二十一番歌/今来むと~

今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

二十一番歌

貴方は「直ぐに行くから」って言っていたじゃあない。だから、わたしは貴方をずっと待っていたのよ。なのに、貴方は来ない。見てごらんなさいよ、毎晩待っているうちに、ほらもう九月。夜は長いうえに、今日も朝まで起きて、貴方を待ってしまったわ。

朝になったのに、お月様はまだ空に残っていて、貴方が来るのを待ち続けているわよ。まったく、私の気持ちにもなってよね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

かとうあきら

日本での恋愛行為は、平安時代の中頃まで、男が好きな女性の元へ通うのが通例でした。「妻問婚(つまどいこん)」という慣習もあったようです。そのような世相を知った上で、もういちど詠んでみてくださいませ。

3.【解説】第三十一番歌/朝ぼらけ~

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に 降れる白雪

三十一番歌

そろそろ夜が明ける頃なのは分かっているけれど、外はなんだか、随分と明るいなあ・・。今朝は、有明の月が出ている日なのかい? ああ、なーんだ、外は雪じゃあないか。有明の月と見間違ってしまったよ。吉野の里に降り積もる雪は、白く明るくて綺麗だねぇ・・。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

夜明け前に目が覚める。戸を開ける。するとお月様は沈んでおらず、まだ空にある。そして、夜が明けて朝が来てもその月は空に残っている。そのお月様を「有明の月」と呼びます。

この歌では、雪が降り積もって辺りが白く明るくなっているのに、その明るさを有明の月灯りと見間違えてしまいました、と詠んでいます。

降り積もった雪も、有明の月灯りも、同じように明るくて美しい。詠み人は、そういう自然の情景に心を動かされたというわけです。

4.【解説】第八十一番歌/ほととぎす~

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる

八十一番歌

わたしは今、耳をすましています。ほととぎすの鳴く声が聞こえるてくるのです。静かな朝に夏の到来を感じます。

ほととぎすは何処にいるのでしょうか。ほととぎすの鳴く声の方を眺めて探してみても、そこには、有明の月が空に浮かんで、静かに佇んでいるだけでした。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

かとうあきら

ほととぎすは、初夏に日本にやってきて、秋の前には南へ帰ります。初夏に聞くその声は、夏到来の印だそうです。

そして、当時の人は、その声を聴くために朝まで起きて待っているということもされたようです。

ここでは「有明の月」は説明されていません。「有明の月」と詠むことによって、朝方であることが分かります。

「ほととぎすの声→眺める→有明の月が浮かんでいた」という情景に、穏やかな朝の香りを感じられれば、この歌の役割は果たせていると、私は思っています。

5.「有明の月」とは

私の手元にある古語辞典には「有り明け」が説明されています。

古語辞典

【引用元】 角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年11月初版

〔以下、引用〕

月が空に残ったまま、夜が明けること。また、その時分。また朝まで残る月。必ずしも明け方だけをさすとは限らず、陰暦十六日以降の夜更けに出て、翌朝まで残る月をいうこともある。

〔以上、引用終わり〕※太字、下線マーカーは筆者です。

要するに、空に見える「有明の月」は、以下の画像のようなお月様です。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

かとうあきら

「有明の月」を辞書で調べたところで、もう一度、歌を詠んで考察してみましょう。

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二十一番歌

今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

かとうあきら

「月は沈まないで空に居る。私も寝ずに、貴方が来るのを待っていた」

そんなふうな理解ができたら、この歌の美しさはグンと増していくように思えます。

当時の歌は、コミュニケーションツールです。この歌が、なかなか来ない彼の元へ届けられたであろうことを思うと、そのような解釈をしてみたくなる私です。

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三十一番歌

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に 降れる白雪

かとうあきら

大地を覆った白雪による銀世界の明るさと、有明の月の明るさと、ここでは同じくらいに明るいと詠んでいます。

つまり「有明の月」とは、そのような明るさと美しさを兼ね備えた自然の産物だったということでしょう。

歌の構造としては、末尾を「白雪」と体言止めをすることによって余韻を醸し出していることを忘れてはいけません。

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八十一番歌

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる

かとうあきら

「ただ~ぞ残れる」という表現が、朝方の空にポツンと浮かんでいる月、月以外は目に入らない様子をしっかりと表現していますね。

月というものは通常夜に輝くものです。その月が朝方の空にあるのです。

朝に月が出ている日があることは分かっているけれども、「朝なのにお月様」という、気持ち的には意外な組み合わせが「有明の月」の風情をより強く醸し出しているのかもしれませんね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】以下に、個々の歌を詳しく解説しております。

・日本の名月/今来むと~有明の月を待ち出づるかな/百人一首21番歌

・日本の名月/朝ぼらけ~有明の月と見るまでに~/百人一首31番歌

・日本の名月/ほととぎす~ただ有明の月ぞ残れる/百人一首81番歌

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かとうあきら

ご一読、お願いいたします。

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