日本の有名な歌集「百人一首」に収められている和歌の中から、「月」を詠んでいる和歌をご紹介いたします。
百人一首/第五十七番歌
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
第五十七番歌。
百人一首の中で「夜半の月」が詠まれている二首のうちの一首です。
作者は紫式部。
源氏物語の中でも800首近い和歌を詠んでいるという紫式部です。
源氏物語を著し、多くの和歌を詠んだ文才に優れた作者が、月をどのように詠んだのでしょうか・・という視点で鑑賞してみることは、ひとつの楽しみになるかもしれません。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
視点に選んでみたいのは「めぐり逢い」と「雲がくれにし」、そして「夜半の月」かな…と思います。
この歌の要点です。それぞれの意味を追ってみましょう。
「めぐり逢い」
:現代語では ”思いかけず再会する” 場合や、恋愛 においては ”初めて会う二人は予め出会う運命だった” というような意味で使われることもあるようです。
:古語辞典には「回る/廻る/巡る」の漢字を当てて、”まわる、とりかこむ、あちこちあるく、 経過する” などの意味があると書かれています。これらの意味は、現代語にそのまま繋がっていますね。
:この和歌では「めぐって、逢う」わけですから、その意味は「再会」です。
:ちなみに、「めぐる」と「月」は縁語なのですが、月は回り、姿を変えながら元の形になる・・ということを思うと、縁語であることには、なるほど…と思います。
(縁語:関係のある語を一緒に使って表現をより豊かにする、和歌の修辞法のひとつ)
「雲がくれにし」
:何故この語句を要点のひとつにしたいのかというと、「再会」という喜ばしいことですから、できるだけ長い時間を一緒に過ごしたいのではと思います。
:なのに・・「雲に隠れてしまった」のです・・・夜半の月のように。
:いろいろな事情があるのだとは思いますが、
・・・せっかく会えたのに、また別れる。そこに去来する心情とはいかなるものでしょうか。
「夜半の月」
:夜半の音読みは「やはん」ではなく「よは」です。
:「夜半」の古語辞典の説明には、「夜」「夜中」と書かれていました。
:私が子供の頃は、テレビの天気予報が「夜半(やはん)には雨になるでしょう」という言い方をしていたことを覚えています。なので(学生時代…あまり追求した勉強はしていなかった頃)、私はこの歌の「夜半」を「やはん」と読んで、字余りだなぁ・・と思っていたものです。
:気象庁のHPを閲覧すると、「夜半」については ”日常的に使われることが少なくなっているので使わない」と書かれていました。現代では死語に近いものなのですね。〔参照:気象庁/時に関する用語〕
:「夜半の月」が「夜中の月」だということは分かりましたが、鑑賞すべきは、その特徴です。
たとえば・・こんな情景をイメージしてみたいと思います。
夜半の月/イメージ
夜、ほどほどに雲の出ている空。
そこに輝く月。
すると・・・
今さっき輝いていた月が、
「今見えていたのに、もう雲の中に入って見えなくなってしまった…」という場面は多々あると思います。
「さっきまで輝いていたけれども、今は雲の中」という「夜半の月」です。
※使用した古語辞典は〔角川 必携古語辞典 全訳版:平成 9年11月初版〕です。
せっかく会えたのに、ええっ!?…もう帰っちゃったの!
な~んだ、寂しい・・・
まるで、夜半の月みたい。
というのが、この歌の意訳例です。
それでは、画像とともに、もう一度、声に出して詠んでみましょう。
画像例を載せました。情景を想像してみましょう
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
〔読み〕
めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに
くもがくれにし よはのつきかな
< 夜半の月/例 >
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【考察】
以前この歌を考察したときに書いた、作者の心情を推察した私の一文があるので、ここに載せたいと思います。
以下のように想像しながらこの歌を詠んでみると、この十七文字は言葉の芸術なのだなぁ..と思います。
推察ですから、もちろん本当のことはわかりません。
むしろ、本当のことを問題にする意味はないと思います。
詩歌は、その作品から読み取り想像できる感慨が、鑑賞の全てだと私は考えているからです。
<推察/イメージ>
やっと再会できた・・と喜んでいた紫式部。
でも、友達は、あっという間に帰っていってしまったのです。
*
人それぞれに、それぞれの事情というものがあるから、その理由は追求しない。
会って別れてまた会って、
別れて会ってまた別れて・・・
人と人との出会いの刹那に無常を感じた紫式部は、
その無常感を、
真夜中の月に重ね合わしたのかもしれません。
月の満ち欠け、
その姿を変える様子、
そして、輝いたり雲に隠れたり・・・
そしてまた、雲に隠れたり輝いたり・・・
それらの様子は、
常に変化している人の生きざまと同じだ…という感慨です。
ある時は煌々と大地を照らし、
ある時は雲に遮られて忍び、
ある時は雲から出たり隠れたり忙しく、
その様子は、
人の生きざまと同じように変化の連続なのです。
人生が刹那だとすると、月の輝きもまた刹那。
人生が無常なら、月もまた無常。
そんな思いに、心は嘆き悲しんでいたのかもしれません。
・上記の囲みの文章は、以下にあります。
・百人一首/月の歌/英訳・英語で味わう日本の名月/日本の月を詠んだ和歌11首
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