百人一首/英訳➉/嘆きつつ独りぬる夜の明くるまは/第五十三番歌 


難解と思われる和歌。

英訳されたものは、原文を苦労して読むよりも分かりやすく、鑑賞の楽しさを助けてくれる場合があります。

今回は第五十三番歌。

嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今回のテキスト/恋歌・恨み節

右大将道綱母(935生?~995年没)

嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る

〔以下引用〕

〔引用終わり〕

〔引用元〕”小倉百人一首英訳” より

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http://www3.to/kyomi/database/h1/

〔筆者による補足〕

この英訳は、付加疑問文の勉強になりますね。

付加疑問文には、肯定/否定/命令があり、以下は各々の例文です。

You are happy, aren’t you?

あなたは、幸せですよね。

Do you bring a textbook, don’t you?

あなたはテキストを持ってきましたよね?

They have not arrived yet, have they?

彼らは、まだ到着していませんよね?

Don’t forget the meeting, will you?

ミーティングを忘れないようにね。

Open the window, will you?

窓を開けてくれますか?

You don’t know ~, do you?

あなたは、知らないですよね。

「知る/知らない」に know を使っています。

もしもこの不可疑問を understannd で問いかけたら、堅苦しい言い方になり、相手に嫌味っぽく伝わったり、相手を威圧することになるので、恨み節としてはかえって効果的であったかもしれません。

たとえば、

夫婦なのに、あえて「あなたは、存じ上げていらっしゃらないのですね」と丁寧語で話しかけるとか、

たどえば、嫌味っぽく「あなたは、ご理解頂いていないようですね」と、他人行儀に話すとか・・そのようなニュアンスです。

それでは「何を知らないのか?」

I sleep alone missing you until dawn (あなたがいなくて夜明けまで一人で眠る)ことが、how long the night(どんなに長い夜なのか?)なのです。

言外に読み取れる作者の感情は、例えば以下のようなものだと想像できます。

「私を独りぼっちにさせておいて、それでも、あなたは私を愛しているって言うつもり? 私がどれだけ寂しかったか、どれだけ悔しい思いをしたのか、あなたには分からないのでしょうね、このアンポンタン!」

「アンポンタン」は、馬鹿とか阿保とか、少し冗談を混ぜて言う時の言葉)

※このように、難解だと思われている古文が、分かりやすい英語で理解できて、同時に英語の勉強(学生時代の復讐)にもなるんです。これはすごい発見です。

・それでは、この英訳をGoogle翻訳を使って和訳してみましょう。

〔参考/日本語訳〕引用元:Google 翻訳)

なるほど!ですね。これで、大筋の解釈はできたかと思います。

でも、詩歌鑑賞の楽しみは、まだまだあります。

私なりに、他にはあまりないと思われる意訳も含めて、解説をしてみました。

【意訳】

彼に悔しさを投げつける恨み節

ねえ、あなた!

最近は、ちっとも私のところへ来てくれないじゃあない!

いったい、何処をほっつき歩いているのよ!

私の他に、いい女でも見つけたの?

あなたがこないから、私はひとりぼっちなのよ!

わかってるの? ねえ?

私が独りで寂しく、朝まで悶々としていた夜が、

どれだけ長いものであるのか、

あなたは、きっとわからないのでしょうね。

まったく、あなたっていう人は・・

・・もう、来なくていいわよ!

〔恨み節〕「相手に対して自分が思っているような行動をとってくれなかったりしたときに出る言葉」という解説があります。

(画像はイメージ/出典:photoAC)

・・・というのが、私のこの歌の意訳です。

現代においても、詩歌というものは、一部の口語自由詩を除いて、言葉の数が一般的に少ないです。言葉の数が少ないということは、情報量が少ないということです。

情報量の少なさが、詩歌の鑑賞を難しくしています。

なので、上記の意訳のように、

詩歌というものは、ただ直訳をするだけでは面白くありません。表現された言葉から、その背景にあるであろう様々な事柄を想像して、作者の心情を多角度的に察することで、様々な解釈が生まれます。

それが、意訳による鑑賞の面白さというものです。

背景を想像するために、特に古典の場合は、若干の知識が必要な場合があります。

上記の意訳では、平安時代には「通い婚」(夫婦は一緒に住まずに、夫が妻の元へ通う(夜に訪れ翌朝に帰る))という慣習があったという知識が元になっています。

【意訳(free translation】は、直訳をきちんと理解しつつも曖昧さを大事にして、いろいろな状況を想像しながら楽しむ解釈の方法です。

意訳は、詩歌の楽しみを膨らませてくれます。

【語句の意味】

※ 古語の意味については、

「角川必携 古語辞典 全訳版(平成9年初版/発行:角川書店)」を参照しました。

「嘆きつつ」:「つつ」は反復の接続詞。

:「何度も嘆きながら(夜を明かして)という解釈もあれば、「もう何日も嘆きながら(夜を明かして)」という解釈もあります。後者なら、恨みはより強いですね。

「ぬる」:「寝(ぬ)」の連体形/「寝ている」

:英訳では sleep を使っています。「寝る」と「眠る」を区別していません。眠ったら朝になってしまうので「寝ながら」うつらうつらしていたのかも。

だとしたら I’m lying in bed alone. も有りえますね。

「明くるま」:「明く」/①夜が明ける ②年が改まる

「久しき」:「久し」/①時間が長い。永遠だ ②時間が長くかかる ③しばらくぶりだ。

「ものとかは知る」:「もの」は名詞で「久しき」に付いて「久しきもの」/「と」は格助詞。

「かは」これが反語を表す係助詞です。「~であろうか(いいや、そうではない)」

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】

※ 書籍やネットなどには一般的な現代語訳が多数紹介されています。それらは全て直訳です。以下は、そのうちのひとつです。

引用

[以下引用]

” 嘆き嘆きひとり寝る夜の、その明けるまでの時間がどんなに長いものか知っているだろうか、よもや知るよしもあるまい ”

(引用元:ちくま文庫/百人一首/2010年8月20日第15刷)

直訳は味気なくありませんか? まずは直訳しますが、そこからその詩歌の世界観を広げて、意訳をしてみてください。詩歌の鑑賞が楽しくなっていきます。

その糸口が、この度は英訳なのです。

<作者の事情について>

私見

百人一首に限らず、詩歌の一般的な解説には「実は、この時、作者は〇〇〇でした」なんていう、作者が抱えている事情が暴露されている場合が多々あります。

その場合、あ~そうだったんだ…というように、その詩歌への理解は進むのですが、一方で、その詩歌の言葉が発する意味もイメージも固定されてしまい、鑑賞という行為が行き詰まる場合があります。言い換えれば、鑑賞の楽しみが減ってしまうのです。

なので、作者の事情は必ずしも知る必要はないと、私は思っています。

詩歌は、表現された言葉たちが、その全てだと思います。

それでも、もしも、作者の事情を知るのであれば、そこに書かれている事柄の、さらに裏にある事情までも想像していくことが、作品の理解と鑑賞を深めていく手立てになるのではないかと思います。

この記事で紹介しました「嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは~」の作者の事情については、様々な資料に書かれている事柄を、ここに少しだけ紹介いたします。

それらを知った上で、さらに裏にある事情を想像してこの歌を詠むと、また格別の感慨を味わうことができます。

<作者、右大将道綱母の事情>

源氏物語などに影響を与えた女性の日記文学である「蜻蛉日記」の作者です。

この歌は夫の藤原兼家へ贈ったものだそうです。

夫が夜になって作者の家へやってくるのですが、それはとても久しぶりのことでした。

つまり、夫は妻(この歌の作者)を長い間、ほったらかしにしていたのです。

妻(作者)としては我慢なりません。

なので、その時、家の門を開けず、夫を中に入れなかったそうです。

そして、翌朝になって、この歌を詠み、萎れた菊の花と一緒に夫へ贈ったそうです。

つまり、妻から夫への「嫌味節」ですね。

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ご一読くださり、ありがとうございます。