百人一首/英訳⑧/心にもあらで憂き世にながらえば/第六十八番歌


難解と思われる和歌。英訳をすれば理解が進み、鑑賞する楽しさを助けてくれる場合があります。

今回は第六十八番歌。人生の悲哀を詠っています。

心にも あらで憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半の月かな」

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今回のテキスト/人生歌

三条院(第67代天皇/976生~1017年没)

第68番歌

心にも あらで 憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半の月かな

〔以下引用〕

〔引用終わり〕

〔引用元〕”小倉百人一首英訳” より

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http://www3.to/kyomi/database/h1/

※難解だと思われている古文が、中学校で学ぶであろう、こんなにも分かりやすい英語で表現できるんですね。これはすごい発見です。

それでは、この英文を、Google翻訳してみましょう。

〔参考/日本語訳〕引用元:Google 翻訳)

なるほど!ですね。

これで大筋の解釈ができたと思います。

でも、詩歌鑑賞の楽しみは、まだまだあります。

他にはあまりないと思われる意訳も含めて、以下は私の解説です。

※ 古語の意味については、

「角川必携 古語辞典 全訳版(平成9年初版/発行:角川書店)」を参照しました。

【意訳】

侘しくも寂しくもある無常な人生

今の自分、今自分が置かれている環境、

それらへの様々な思い、そして悩み。

そんな自分と自分の人生に、侘しさ、寂しさ、

そして、そこには無常さえをも感じている私。

それでも私は、歯を食いしばって、弱音は周囲に見せずに、

「なんとか生きていかないといけない」と自分に言い聞かせている。

そして、じっと夜空を見上げると、そこには、煌々と輝く月。

我慢しながら生き長らえたら、

今夜のこの月を、

きっとたった一人の友人のように、

懐かしく、そして親しく、思い出すことだろうなぁ…

(画像はイメージ/出典:photoAC)

詩歌の解釈には、直訳をきちんと理解しつつも曖昧さを大事にして、いろいろな状況を想像しながら楽しむ解釈の方法があります。

それが、上記にした【意訳(free translation】です。

意訳は、詩歌の楽しみを膨らませてくれます。

【語句の意味】

「心にもあらで」:「で」は打消しの接続助詞。

「思ってはいないけれども」「本心ではないけれども」「心ならずも」などの意味。

「憂き世」①辛いこの世の中 ②辛いことの多い男女、夫婦の仲 ③「浮き世」と書いて享楽的な人生。

「ながらえば」:「ながらふ」/①いつまでも生きる。長生きする。②長続きする。

「恋しかるべき」「べし」は 助動詞の連体形/複数の意味があり、ここでは推量です。

①推量 ②予定 ③当然・義務 ④適当 ⑤勧誘・命令 ⑥意志・決意 ⑦可能

「月かな」:「かな」は 詠嘆・感動の終助詞

「夜半」:午前0時の前後1時間くらい・・という理解でよいかと思います。

<ここは要点だと思います>

恋しかるべき夜半の月

「恋し」:「恋し(こひし)」には「異性に心ひかれる様」と「懐かしい」という二つの意味があります。ここでは後者。そして、この解釈が、この歌の要点だと思います。

世の中の多くの直訳では、

「恋しく思う」とか「恋しく思い出す」というように、「恋し」をそのまま「恋しく」と訳しています。

でも、紹介した英訳では、

I would feel~like an only friend of mine. 「私のたった一人の友のように感じています」というように、恋しいと思うその内容をとても具体的に意訳しています。

私は、ここに紹介した英訳のように、an only friend of mine と感じるという解釈が好きです。

なぜなら、「恋し」という主観を「たったひとりの友」という具体的なイメージに変換させることにより、作者の心持の中には「孤独感」もあったのだろうと、感じられるからです。

このように複数の解釈が可能な部分を、自分なりに読み解いていく。そこにこそ、詩歌を鑑賞する楽しみがあるというものです。私はそう思っています。

そういう作業を手助けしてくれるのが、英訳です。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】

※ 書籍やネットなどには一般的な現代語訳が多数紹介されています。それらは全て直訳です。以下は、そのうちのひとつです。

引用

[以下引用]

この後、心ならずも憂き世に生きながらえたならば、その時、さぞかし恋しく思われるにちがいない、この夜半の月であるよ

(引用元:ちくま文庫/百人一首/2010年8月20日第15刷)

直訳は味気なくありませんか? まずは直訳しますが、そこからその詩歌の世界観を広げて、意訳をしてみてください。詩歌の鑑賞が楽しくなっていきます。

その糸口に、この度は英訳を活用させていただきました。

<作者の事情について>

私見

百人一首に限らず、詩歌の一般的な解説には「実は、この時、作者は〇〇〇でした」なんていう、作者が抱えている事情が暴露されている場合が多々あります。

その場合、あ~そうだったんだ…というように、その詩歌への理解は進むのですが、一方で、その詩歌の言葉が発する意味もイメージも固定されてしまい、鑑賞という行為が行き詰まる場合があります。言い換えれば、鑑賞の楽しみが、かえって減ってしまうのです。

なので、作者の事情は必ずしも知る必要はないと、私は思っています。

詩歌は、表現された言葉たちが、その全てでいいのではありませんか?

それでも、もしも、作者の事情を知るのであれば、そこに書かれている事柄の、さらに裏にある事情までも想像していくことが、作品の理解と鑑賞を深めていく手立てになるのではないかと思います。

この記事で紹介しました「心にも あらで憂き世に ながらえば~」の作者の事情については、様々な資料に書かれていて簡単に入手できます。以下の、その一部を紹介いたします。

それらの内容を知ったときには、、さらにその裏にある事情を想像してみることが大事だと思います。そこには、また格別の感慨を味わうことができるかもしれません。

<作者、三条院の事情>

三条院が天皇に即位し、三条天皇となられたのは36才のときです。

でも、在位はたったの5年間でした。

譲位せざるおえなかったのは、当時の摂関政治で太政大臣を務めていた藤原道長の策によるそうです。

藤原道長は自分の身内に天皇家の子を産ませており、その子を天皇に即位させたかったのです。

そして、運の悪いことに、三条院の在位中には、内裏が火事になったり、自身が眼の病気を患ったり、いいことがありませんでした。

三条院は譲位後に出家。42才で崩御されてしまいます。

三条院は、生きていくのが辛かった・・と思っても、それを口には出せない立場にありました。

なので、「心ならず」とか「憂き世」とか「ながらえば」とかの言葉を使って、心情を吐露したかったのだと思われます。そう考えると、この歌は、とても悲しい歌だということがわかります。

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