百人一首/「夏」を詠んだ五七五七七、和歌三首


日本の季節は四季に分けられます。そして、その情景と、そこから得られる情感には、それぞれに異なった趣があります。

そこで、鎌倉時代の初期に編纂されて今日まで引き継がれている和歌集「小倉百人一首」を紐解いてみました。

すると、そこには、「季節の情景を詠った歌」「季節の情景を素材にして恋や人生を詠った歌」が数多く詠われていることが分かりました。

その中で、この記事では「小倉百人一首」の中から「夏」を詠み込んだ歌三首を紹介いたします。

昔の人は、夏をどのように感じていたのか、その情感を垣間見ることができますので、ご一読いただけましたら幸いです。(※ここで云う「昔の人」とは「小倉百人一首」に選ばれている歌が詠まれた飛鳥時代鎌倉時代初期の、主に貴族たちのことです)

なお、解釈については、意訳【Free translation】を試みました。理由は以下のとおりです。

①直訳は、世間に沢山存在していて手に入れやすいけれども、意訳した解説は少ないからです。

②意訳は、詩歌の味わいと楽しみを広げてくれる最高の手段だと、私は思っているからです。

1.春過ぎて 夏来にけらし 白妙の~

第 2番歌

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の~

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

【意訳】

夏が来たらしいね。ほら、見てごらんよ。夏に白い衣を干すと云われている天の香具山に、噂通りだよ、白い衣が初夏の風にたなびいているよ。いいねえ~夏の風物、天の香具山は。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【解説】

「来にけらし」:「来にけるらし」の略。「ける(過去を表す助動詞)」+「らし(推定を表す助動詞)」⇒ 「来たらしい」という意味です。

「白妙」枕詞であると同時に「白い布」の意味があります。枕詞としては、白い衣類や、雪や雲など、白いものに掛かります。

「衣ほすてふ」「てふ」は「と言う」の変化した形です。上の語句を受けて、品用・指示・伝聞などの意を表します(参考:角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年初版)

 ⇒ つまり「衣を干すと云われている」という意味になります。

「天の香具山」 :これ、私が使っている古語辞典(角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年初版)に載っていました。奈良県橿原市にある山。「伊予国風土記」によれば、天上にあった山が天から降ってきて、天の香具山になったそうです。

かとうあきら

冒頭の二句で「春は過ぎ去り、夏が来たらしい」と詠い、なぜなら「天の香具山に白い着物が干してあるから」と理由を詠っています。

〔結論を先に述べ〕+〔その理由を述べる〕この構造が、歌の内容を分かりやすくしています。

さらに、体言止めは、余韻が残ります。

なので、耳に残りやすく、多くの人の記憶に残りやすいのかもしれませんね。

夏を感じさせる陽射し、青い空。眺めれば、青い空の下、緑いっぱいの山があって、そこに風にたなびく白い衣類が干してある。青、緑、白。風も感じさせてくれますね。

視覚的に想像しやすく、初夏の清々しい空気と風景を感じさせてくれる元気な歌だと思います。

2.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを~

第 36番歌

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを~

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

【意訳】

夏の夜は短いね。まだ宵だと思っていたら、もう明けていくよ。こんなに早く夜が明けてしまうんだから、月は忙しいだろうね・・。そうか! 月は雲のどこかに宿をとって、ゆっくり休んでいるんだ。夏の夜って、楽しそうだね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【解説】

「宵」:日没後、夜に入ってからの2~3時間。夏でいえば午後7時~9時10時頃までの間。

<作者の思いはこんな感じかもしれません>

「まだ宵だと思っていたら、もう夜は明けてしまったよ」と思うくらい、夏の夜は短い。夜はすぐに明けてしまう。

ならば、夜空に輝く月は、いったいどうしているんだろう・・。

夜空に昇ったと思ったら、すぐに沈んでいくだなんて、そんな余裕はないないだろうに。

そうか! 月は、どこかの雲に隠れて、そこに宿をとっているんだ。

・「いったい、どこの雲に隠れているんだろう」⇒ ここで、月を擬人化して、歌を詠むこと自体を楽しく味わっています。

かとうあきら

夏の夜、夜空を眺めながら、月のことを心配して、楽しく可笑しく詠った歌です。

「月よ、おまえは、沈む余裕もなかっただろうに。いったい、どこの雲に宿をとったんだい?」

気持ちに余裕がないと、こういう楽しい歌は詠めませんね、きっと。

この歌、調べてみると、作者は清原深養父(きよはらのふかやぶ)と云って、後に「枕草子」を書いた清少納言の ”ひいおじいちゃん” だそうです。

清少納言は「枕草子」で「夏は夜。月のころはさらなり(夏は夜が趣深いですね。さらに月が出ている夏の夜は、いっそう素晴らしい趣があるんですよ)」と書いています。

清少納言は曾祖父の歌を、いくばくか意識していたのかもしれません。

3.風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは~

第98番歌

風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは~

風そよぐ 楢の小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりけり

【意訳】

小川に沿って伸びている楢の葉が、風に吹かれて、そよそよと揺れているよ。この楢の木々に囲まれて流れる小川の夕暮れ時は、まるで、もう秋が訪れたみたいだね。でも、ちょっと待って。今日は六月の三十日、大事な「夏越しの祓」の日。この祭事が行われているということは、季節はまだ夏なんだよね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【解説】

「楢の小川」:京都の上賀茂神社の境内を流れている「御手洗川」のこと。参拝者はこの川で手や口を洗って清めていたようです。

「みそぎ」 :川や海の水などで心身を清めて、汚れを払い落す行事「六月祓(みなづきばらえ)」のこと。陰暦の六月三十日におこなわれて「夏越しの祓(はらえ)」とも呼びます。

「夏」    :当時の陰暦では、夏は4月5月6月を指します。そして7月8月9月は秋です。

「しるし」 :「証拠」という意味。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

かとうあきら

語句だけでは分かりづらく、解説が必要な歌です。

「風そよぐ~夕ぐれ」に秋の気配を感じたけれども、「みそぎ」をしている様子を見て「夏の しるしなりけり」と詠んでみたのです。

秋という言葉は出てきませんが、「夏のしるしなりけり(夏の証拠です)」と詠むことが、夏ではない季節を感じているという状況があるという証拠です。その状況が上の句の「風そよぐ~夕ぐれ」なのです。つまり、作者はそこに秋を感じていたのです。

「みそぎ」が陰暦の6月30日に行われるという情報も大事な要素です。翌日の7月1日からは、もう秋なのですから。

(画像は夏のイメージです/出典:photoAC)

4.考察

百首の歌の中で「夏」を詠ったのは、以上の三首です。

ちなみに・・・、

秋の歌は、「秋」「もみじ」「紅葉」を詠み込んだ十六首、

春の歌は、「春」及び ”春の情景” を詠み込んだ九首、

冬の歌は、「冬」及び ”冬の情景” を詠み込んだ四首です。

これらのことから、以下を考察してみました。

かとうあきら

この結果は、小倉百人一首の選者である藤原定家の好みだったのかもしれません。

でも、たとえ藤原定家の好みだったとしても、藤原定家小倉百人一首がより多くの人達に支持されるように努めたはずですから、人々の興味の向く事柄をより多く選んだのだと推定されます。

かとうあきら

つまり、その事柄とは、「秋の情景」や「秋の情景から沸き起こる情感」への興味です。

それらに、恋や、人生の苦悩や、悲哀など、各々絡めた歌を多く選ぶことによって人々の支持を得て、小倉百人一首の評価というものを、より高くなるように努めたのかもしれません。

結論を述べると「日本人は、秋が好きな人が多い」となります。

このように、私は、百人一首から日本人の性質を推測しています。

(画像は秋のイメージです/出典:phtotoAC)

5.百人一首/季節の歌のご紹介

※夏以外にも、春の歌、秋の歌、冬の歌について解説しております。ご一読いただければ幸いです。

(1)【春の歌】/春を題材にしている歌

 百人一首/春/花と春/春を題材にして詠っている五七五七七、十首

(2)【秋の歌】/秋を題材にしている歌

 百人一首/「秋」を詠んだ五七五七七、和歌十二首

(3)【冬の歌】/冬を題材にしている歌

 百人一首/「冬」を詠んだ五七五七七、和歌四首

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かとうあきら

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

読んでくださり、ありがとうございます。