百人一首/月の歌/英訳・英語で味わう日本の名月/日本の月を詠んだ和歌11首


小倉百人一首には「月」を詠んだ歌が十一首あります。

それらの「月」を調べると、「有明の月」は三首に、「夜半の月」は二首に詠まれています。

それら以外の六首にも、それぞれ個性的な「月」が詠まれています。

百首のうち、十首に一首は「月」を詠んでいるのですから、百人一首は「月」だらけと言っても過言ではないと思います。

当時の日本人は「月」に、何か特別な愛着があったのでしょうか?

それとも、「月」は百人一首の選者である藤原定家の好みだったのでしょうか?

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

それらの歌は、7世紀頃から12世紀頃にかけて詠まれていて、歌の中には中国(その時はの時代)に渡った遣唐使安部仲麻呂)の歌もあれば、源氏物語の著者である紫式部の歌もあります。

当時の日本人が「月」に特別な愛着を抱いていたのか、「月」藤原定家の好みだったのか、それともその両方だったのか・・それはともかくとして、それらの歌は千年の時を経て今に伝わっているのですから、そこに詠まれた「月」は日本の風情を代表する「日本の名月」と呼んでもいいのではないでしょうか。

原文を、学校の古典の授業のように、たた紐解きはしません。

意訳〔free translation〕は、直訳をきちんと理解しつつも曖昧さを大事にして、いろいろな状況を想像しながら ”訳を楽しむ” 解釈の方法です。直訳と意訳とどちらが正しいという理解ではありません。

意訳が詩歌の楽しみを膨らませてくれる最適な方法だと、私は考えております。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

〔英訳の引用〕”小倉百人一首英訳” より引用させていただきました。

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〔直訳の引用〕:引用元は「百人一首/著:鈴木日出男/発行:筑摩書房/2010年8月第15刷」です。

〔古語の解説〕:古語の解説引用は「角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年11月初版」によります。

〔意訳〕:筆者によります。

百首のうちの三首に「有明の月」が詠まれています。

多くの短歌の中から百首を選んだら、そのうちの三首に「有明の月」が詠まれていたというわけです。元々「有明の月」は数多く詠まれていたのか、藤原定家が好んで選んだのかは分かりませんが、当時の人々にとって「有明の月」は意識の向かいやすい自然の対象であったといえるでしょう。

それでは「有明の月」とは、いったいどのような「月」だったのでしょうか。歌を詠みながら鑑賞していきたいと思います。

「有り明け」:月が空に残ったまま、夜が明けること。また、その時分。また、朝まで残る月。必ずしも明け方だけをさすとは限らず、陰暦十六日以降の夜更けに出て、翌朝まで残る月(有明の月)をいうこともある。〔引用:角川必携古語辞典より〕

第21番歌

【恋の歌】

【英訳】

※単語も文法も、中学校で習うもので英訳されています。難解だと思われる古典が、このように分かりやすい単語と文法で英訳できることは、ひとつの驚きであり、ひとつの発見です。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

・ひとつの試みとして、上記をGoogle翻訳を使い、日本語に訳してみましょう。

Google翻訳では上記のとおり少しおかしな日本語なので、以下に修正をしてみます。

・それでは、既存の書籍から直訳を読んでみましょう。

「あの人が、すぐにも行こうと言ってよこしたばかりに、9月の夜長に待ち続けているうちに、有明の月が出てしまったことだ」

直訳は味気なくありませんか? 

まずは直訳しますが、そこからその詩歌の世界観を広げて、意訳をしてみてください。詩歌の鑑賞が楽しくなっていきます。

その糸口が、英訳なのです。

** 意訳 **

ねえ、どうして来てくれないの!

ねえ、どうして私をほったらかしにしておくの!?

貴方は言ったのよ!

「直ぐに行くから、待っていてください」って。

だから、私は、毎日毎日、こうやって、

きちんとお風呂にも入って、

貴方が来るのを待っていたのよ。

なのに、貴方は来ない。

今、何月だと思っているの! もう長月よ!

今朝は、気が付いたら、もう有明の月が出ていたわ。

もう貴方のことは、信じられません。

※ 背景を想像するために、特に古典の場合は、若干の知識が必要な場合があります。

上記の意訳では、平安時代には「通い婚」(夫婦は一緒に住まずに、夫が妻の元へ通う(夜に訪れ翌朝に帰る))という慣習があったという知識が元になっています。

第31番歌

【季節の歌/冬】

【英訳】

※ 要点は、「朝ぼらけ」と「見るまでに」の、この二つの語句ではないでしょうか。

「朝ぼらけ」:空がほのかに明るくなるころ。夜明け方。「あけぼの」よりもやや明るくなったころをいう。

この英訳では When it began to break、と訳しています。

「見るまでに」:「まで」は、~ほどに。~ぐらいに。

なので「~と見えるぐらいに」「~と見えるほどに」という意味です。

この英訳では、I thought ~/「私は~だと思った」という言い回しを選択しています。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

・ひとつの試みとして、上記をGoogle翻訳を使い、日本語に訳してみましょう。

これは完璧ですね。余計な枝葉はなく、簡潔に和訳されています。

When it began to break, だけを和訳すると「それが壊れ始めた時」となって、何がなんだかよくわかりません。でも、歌全体を見渡したときに、この When it began to break, は「晴れ始めたとき」と訳すことができる、つまり「朝ぼらけ」なのですね。

同じような輝き

この歌には「有明の月」と詠んでいながら、実際の月は登場していません。

目の前に広がる ”雪景色” が 、”大地を照らしている「有明の月」の明るさ” と同じようだと言っているのです。

ここは、Google翻訳をそのまま現代語訳として、意訳の必要はないと思います。

第81番歌

【季節の歌/初夏】

ほととぎず 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる

【英訳】

※ 「ほととぎすの鳴き声」がYouTubeにありましたので、ここにご紹介させていただきます。

 ”ほととぎすの鳴き声/YouTube”

※ a little cuckoo と訳されていますが、ほととぎすとカッコーとは異なります。ちなみに、ほととぎすとカッコーの類似についての記事はネット上に散見することができます。

ただ、時代や地域によっては同じ鳥だと混同されている例もあるようです。そのワケは、ほととぎすが万葉の時代から「ウグイスの巣に卵を産んで育てさせる」という托卵の習性で知られているから、という説明があります。〔参考:ホトトギス/Wikipediaより

※ 古語辞典は鳥類辞典ではありませんが、私の手元の古語辞典には「ほととぎす」について、以下の説明されています。

「ほととぎす」:渡り鳥の名。初夏に夜昼ともに鳴く。初夏を知らせる鳥として人々に心待ちにされた。/懐古、恋慕の情を起こさせる鳥とされ、また冥土に通う鳥ともいい~(以下略)

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

※ ただ、ここでは、それらことよりも merely が重要だと思います。

なぜなら、「ただ有明の月があった」という風に、もう聴こえなくなった静寂の中に、しっかりと鎮座している有明の月の様子が、merely によって伝わってくるからです。

merely :「単に~にすぎない」

ex:I merely wonted to see it. (それを、ただ見たかったでけです)

辞書には「only よりも形式ばっている」という説明があります。

それでは、Google翻訳で和訳してみましょう。

このままでは、この歌の情緒が感じられません。なので、意訳をしてみましょう。

この歌の作者は、この鳴き声を耳にして、さっとその方向を見たのです。

けれども…そこに鳥の姿は見えず、目に飛び込んできたのは…有明の月だけだった・・という状況です。

その「有明の月だけだった」という状況と、それによって受けた感慨を意訳に乗せてみましょう。

** 意訳 **

もうすぐ初夏という今日この頃。

東の空は明るくなってきた。

辺りは朝の静寂に包まれている。

・・・・・

あっ! 鳴いた! ほととぎすだ!

夏が来た!

何処にいるんだろう、ほととぎすは・・

あっちだ、西の方だ。

・・・・・

おかしいなぁ….

ほととぎすの、鳴き声はしたのに、

ほととぎすの、姿は見えない。

明るくなった西の空には、ぽっかり浮かぶお月様。

ああ、有明の月が残っている。

空には、有明の月が残っている。

ただ、それだけだった。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

五感が交錯する歌

作者の位置に動きはありません。

ただ上体を少しひねり、首をさっと、ほととぎすの鳴き声のした方向へ向けただけです。

でも五感を探れば、聴覚と視覚が交互に発揮されています。

五感に重心を置いた、五感に動きのある歌です。

百首のうちの二首に「夜半の月」が詠まれています。

「夜半」とは何時頃で、「夜半の月」とは、どのような月なのでしょうか?

作者は「夜半の月」を通して、どのような思いをその歌に託したのでしょうか。

第57番歌

【人生歌/旧友との再会】

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

「夜半」:古語の読み方は「よは」/意味は夜、夜中。

〔現代:気象庁が定めている天気予報で使う「夜半(やはん)」は午後23時30分頃~午前0時30分頃のことです〕

【英訳】

by chance /偶然、たまたま。

come across /~をふと見つける、~に出くわす、出会う。

disappeared /消えてしまった、見えなくなった。

recognize / 認識する、見分ける。

・ひとつひとつの単語は分かるのに、私の頭には状況がさっと入ってきませんでした。これは、私の英語力の低さだと思いまます。ここは、Google翻訳に頼ってみようと思います。

きっと、英語なんだから英語で理解するべき事案なのでしょうね。

【Google翻訳】

なるほど! 

という意味なんですね。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

作者は源氏物語を著した紫式部です。

私は、こんな事情を推理してみました。

すると、この歌はとても深い悲しみの中から生まれているのかもしれないと、思うのです。

紫式部が住んでいる屋敷に、友達がやってくる。

やっと再会できた・・と喜んでいたら、あっという間に帰っていってしまった。

人それぞれに、それぞれの事情というものがあるから、その理由は追求しない。

会って別れてまた会って、別れて会ってまた別れて・・人と人との出会いの刹那に無常を感じた紫式部は、その無常感を真夜中に月に重ね合わしたのかもしれません。

ある時は煌々と大地を照らし、

ある時は雲に遮られて忍び、

ある時は雲から出たり隠れたり忙しく、

その様子は、

人の生きざまと同じように変化の連続なのです。

人生が刹那だとすると、月の輝きもまた刹那。

人生が無常なら、月もまた無常。

そんな思いに、心は嘆き悲しんでいたのかもしれません。

第68番歌

【人生歌】

心にも あらで憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半の月かな

【英訳】

【Google翻訳】による日本語訳

この歌は、人生の辛さを嘆きつつ、

という、人生の処方箋です。

この歌については、以下の記事で詳しく解説しました。参照いただければ幸いです。

百人一首/英訳⑧/心にもあらで憂き世にながらえば/第六十八番歌

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

故郷を思い出す「月」、夏の夜の「月」、秋の夜の「月」、夜空に傾く「月」、物思いさせる「月」、様々な月を通して作者の心情が歌に託されています。

第7番歌

【望郷】

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

”要点は表象”

この歌の要点は、視点の移動の直後に起こった「みれば」⇒ そこに「いでし月」という、作者が抱いたであろう表象です。

そして、それにつながる「かも」という疑問の終助詞です。

見たら、そこに月が出ていて視点の移動)、

その月は(「いでし月」)は、 ”春日の三笠の山に出てい月 ” と同じかも?…と作者は思ったのです。(表象)

ということは、

作者の居場所は、春日ではないどこか別の場所にいることがわかります。

表象=「知覚したイメージを記憶に保ち、再び心の内に現れた作用(表象Wikipediaより)

【語句の意味】

「天の原」:「天の(あまの)」/天空の。「原」は広い所の意味。

古語辞典には「天の原」で掲載があり、「広くて大きい空」という意味です。

「ふりさけみれば」:「降り放け見る」/遠くを仰ぎ見る。はるかにながめる。

「春日」:現在の奈良県春日町。春日大社があります。

「三笠山」:春日から東北東よりにある標高342mの小さな山。若草山とも呼ばれています。

「かも」:終助詞/①詠嘆 ②疑問 ③反語。ここでは②疑問の意味です。

地図を参照してみましょう。地図は現代のもの、奈良県春日野町あたりの地図です。

作者は、その昔に、春日大社辺りから三笠山を眺め、その上に出ていた月を眺めていたことがありました。作者は、その月をしっかり覚えていたのです。

春日大社から三笠山は、ほぼ東寄りですから、月は昇って間もない頃の、大きなお月様であったであろうと推測できます。

(三笠山の場所/出典:goo不動産・住宅地図より)

【英訳】

この英訳、いいなぁ~って、私は思っています。分かりやすいし、身体の動きも心の動きも手に取るように分かります。

・見上げる ⇒ 月が昇っている ⇒ 故郷を思い出す ⇒ 懐かしく思う。

・月を見た瞬間に、心は一気にタイムマシンに乗って、故郷を思い出しているんですね。

・そういう心の動きが、とてもはっきりと、抱きしめたくなるような感慨で英訳されています。

・構文が単純であること、単語もやさしいこと、シンプルって一番心に響きやすいものですね。

Looking up at the sky, 空を見上げると・・・

the moon is out, 月が出ていて、

which used to be on Mt. Mikasa in my hometown. かつて故郷の三笠の山にあった月が出ています。

Oh, I miss it! ああ~懐かしい!

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

作者の事情】

作者は安部仲麻呂(698年生~770年没)

安部仲麻呂という表記は小倉百人一首での表記であり、他では”阿部仲麻呂” だそうです。

遣唐使として中国へ渡り、勉学の後、日本へ帰国しようとするものの思うように行かず、そのまま中国の地で客死されたそうです。

なので、この歌が詠まれた場所は、中国の地、もしくは何度か試みられた帰国の途中(失敗)…であると想定されます。ただ、詠まれたこの歌がどうやって日本に伝わったのかは不明だそうです。

孤独感、寂寞な思い、寂しかっただろうなぁ・・帰りたかったろうなぁ・・と思います。想像するしかありませんが、ただ一方で、勉学に励み、自己実現をして、自分が置かれた状況を諦観する姿勢があったのかもしれません。

当時の航海には難破、海賊による襲撃・・様々な困難があったようですね。多くの遣唐使が船と一緒に海に沈んで亡くなっています。

※以下の画像は、平城宮跡公園(奈良県二条大路南)の朱雀門広場に展示してある「遣唐使船(復元)」です。

〔画像は遣唐使船(復元)です/出典:photoAC〕

第23番歌

【季節の歌/秋】

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

周囲の情景と、心の持ち様を一緒に詠っていて、難しい古語はあまりなく、分かりやすい歌であると思います。主語と述語は以下のとおりです。

「月を見れば」⇒ 悲しい

この秋は「わが身ひとつの」⇒「秋ではない」+「けれどもね(逆説)」

「ひとつ」を「千々」に対比させることで強調し、また「~ねど」と逆説を使って婉曲に表現したり、技巧は凝らしていますが、まあ、とにかく「私は悲しい」ということが言いたかったようですね。

「千々に」:「ちぢに」「千千」とも書く/①数が多いさま。たくさんだ。②細かく分かれるさま。いろいろだ。さまざまだ。

※ ここでは「たくさん悲しい」「いろいろな事に悲しい」と、両方の意味を感じて読む方が、感慨深さがよく伝わるのではないかと思います。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

【英訳】

ありゃ… though は逆説の接続詞。それを文末で使う用法 … すっかり忘れていました。復習してみます。

【 though 逆説の接続詞】

ex:Though Ihad a headache this morning、Iwent out . (今朝は頭が痛かったけれども、外出しました)

【 though 末尾に使う(副詞)】

ex:How does it taste ? (お味はいかがですか?)

Good ! It’s a little bit spicy for me、though. (美味しいです。私には少し辛いけれどもね)

though の文末での使い方を復習しましたので、上記の英訳をGoogle翻訳で日本語訳にしてみましょう。

【Google翻訳】

?? 先にご紹介した英訳は、原文を直訳に近い形で英訳していて、原文の趣旨がとてもよく伝わってくるのですが、その英訳をGoogle翻訳で日本語に訳してみたら、わけのわからない意味になってしまいました。

こういうこともあるのですね。言語を翻訳していくことの難しさをここに感じます。

「英訳は英訳で鑑賞する」という姿勢が求められる・・ということです。

ここは意訳をして、この歌を味わってみましょう。

【意訳】

ああ、月が出ている。

寒々とした真っ暗な夜空に、一生懸命に輝いているお月様。

月は一年中、晴れた日にはいつだって眺めているのに、

秋の月は、どうしてこうも悲しいんだろう。

秋の月を見ると、いろいろな事がいろいろ頭に浮かんできて、

ほんと、悲しい気持ちになってしまう。

まあ、考えてみれば、

この秋は、万人のところにやってきていて、

みんなもこの秋の月を眺めているんだよね。

決して、私一人だけの秋ではないんでよね。

でもさ、この寂しさは、きっと私だけのものかもしれないよ。

第36番歌

【季節の歌/夏】

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

【英訳】

難しい古語や、難しい技法は無く、意味はわかりやすい歌だと思います。

英訳も、単語は中学校で習うもの、構文もわかりやすいです。

特に感動がある歌ではありません、と私ごときが言ったら、作者や百人一首を愛する人たちに怒られるかもしれません。

この歌は、二つの文章で作られています。

・「夏の夜は(まだ宵なのに)明けてしまいました」

・「お月様は、いったいどこの雲に宿をとっているのでしょうか」

そして「雲が宿をとる」ところに擬人法を用いています。

それでは、行間を読み解いてみましょう。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

冗談、おちゃめなメッセージ

そもそも、宵とは何時頃のことなのでしょうか。

私の手元の古語辞典には「日が暮れてからまだ間もないころ」とあります。

日が暮れてから間もないころ」とは、夏の京都辺りの緯度の日没時刻から考えて、午後7時~午後9時位の時間帯ではないでしょうか。

でも、宵のうちに明けたことにして、

・・・と、お月様が旅人、雲が宿に見立てているのです。

伝えたかったのは・・・

【意訳】

夏だねぇ~

さっきまで宵の口だと思っていたのに、

もう夜があけるよ。

なんて夜が短いんだ。

あれ? お月様は? 見えないね…

きっと雲のどこかに宿をとって、

今頃寝入っているんだろうね。

お~い、もう朝だよ。

どの宿に泊まっているのかなぁ・・

お月様を起こさなきゃあ。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

第59番歌

【恋の歌】

やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

「やすらはで」:「やすらふ」/①ためらう。躊躇する。 ②とどまる。足をとめる。

「寝なましものを」:寝てしまってただろうに/「まし」は反実仮想の助動詞。もし~だったら~だろうに。

「小夜」:夜。「さ」は接頭語。

【英訳】

probably:たぶん、おそらく。

hesitation:ためらい、躊躇。

the day has broken:夜が明ける。

〔参考〕この慣用句は、漢詩「春暁」の一行目(春眠暁を覚えず)にも使われています。

In spring one tends to sleep late without knowing the day has broken.

それでは、Google翻訳で日本語訳をみてみましょう。

【 Google翻訳 】

来ないのなら、寝ていたのにね。

気が付いたら、月は西の空に、もう沈みそだわ。

夜が明けるわ。

通い婚の時代に、訪れない相手を待ち続けて、「夜は更けて、もうすぐ朝です。貴方は来ないのね」・・・という歌なのです。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

【解説】

「通い婚」の時代です。

女性は男性が家に来てくれるのを待つしかありません。

英訳では、if you had not given me a promise,(もしも貴方が約束してくれなかったら) と、今夜の逢引を約束したこととしています。

でも、貴方は約束を守らず、来なかったのです。

でも、そのように相手を責めるような心情は、この歌には表現されていません。

ただ「夜が更けて、月が西の空に傾いているわ」と詠い、 夜通し待ち続けていたことを、やんわりと伝えるのみです。

このことを考えると、約束はしていなかったかもしれません。

そこが、この歌の要点だと思われます。

整理すると、

もしかしたら、約束はしていなくて、たぶん今日は来るだろうと、ただ思っていただけかもしれません。

もしかしたら、もう自分の元へは来ないことを、うすうす感じていたのかもしれません。

おそらく、その部分を探るのは、「やすらはで 寝なましものを」の言外に何を推察するのか・・だと思います。それによって、この歌の解釈は変わってくると思います。

それをどのように解釈するのか、それが詩歌鑑賞の面白さであり、楽しさです。

そこに正解はありません。正解を求めないことが、想像力をより一層膨らませてくれます。

ここは、意訳を楽しみましょう。

【意訳】

もう貴方は来ないのね。

今日は来てくれるって、思っていたのに。

来ないと分かっていたら、寝ていたわ。

でもね、わたし、待っていたのよ、貴方のことを。

もしかしたら、来るかもしれない・・って思い続けて。

・・・・・

気が付いたら夜は更けていたわ。

西の空には、月が沈んでいくところ。

私たちの愛も、

一緒に沈んでいくのかもしれないわね・・

第79番歌

【季節の歌/秋】

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ

【英訳】

the rifts in the clouds :雲の切れ間

trailing :「引きずる」という意味があり、ここでは「(雲が)棚引いている」

感嘆文ですね。through ~が長いので、私は少し戸惑ってしまいました。

感嘆の構文は「How+形容詞(副詞)+主語+動詞!」ですから、

How + bright and clear + the moonlight (through~)+is !

月の光は、なんと明るく澄んでいるのでしょう!

これが、この歌の骨格、基本構文です。

それでは、この英訳をGoogle翻訳してみましょう。

【Google翻訳】

これ以上の解説も意訳も、蛇足になるだけです。やめておきましょう。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

第86番歌

【恋の歌】

嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな

この歌は・・・私だけでしょうか。

何度読んでも、いろいろな解説を読んでも、その意味がスーッと頭に入らず、とても難解な歌だと、私は思っています。

だからでしょうか。

英訳を読んでも、その英訳をGoogle翻訳で日本語に戻しても、分かったようで分からない・・難解な歌なのです。

こういう時は、語句や語句の繋がりを、ひとつひとつ丁寧に追っていくしかありません。

【英訳】

lost in thought :物思いにふける。

ex:My father was lost in thought. 父は物思いにふけっていた。

my sweet heart /直訳は「私の愛しい人(≒恋人)」。その他に「優しい(甘い)心」という意味でもあります。ここは、どちらなのでしょうか。

brimming :brim は名詞でも動詞でも使われます。

:名詞/飲み口、容器の一番上の縁の部分。

:動詞/完全にいっぱいである状態。be completely full.

ex:His eyes brimmed with tears. (彼の目は涙で溢れた)

なので、英訳中の

my eyes are brimming with tears . は「私の目は涙でいっぱいです」という意味です。

blame :「非難する」「責める」という動詞。

blame A for B で「BをAのせいにする」という使い方があります。

それでは、Google翻訳で日本語に戻してみましょう。

【Google翻訳】

これで、分かりますでしょうか。

わたしには、わかりません。

特に、この歌の情緒が感じられません。全く伝わってきません。

どうしましょうか・・・

実はこの歌、

書籍やネットで手軽に手に入る資料では、”恋歌”に分類されています。

いったい、どこで恋歌だと分かるのでしょうか・・・。

私には分かりません。

原文を紐解いてみましょう。

【原文の解読】

「嘆けとて 月やはものを 思はする」

「嘆けとて」:月を擬人化して、月が自分に語っているように詠んでいます。

「やは」:反語の係助詞/~(だろう)か(いや、そうではあるまい)

「ものを」:「もの」は名詞で、この場合は次の「思はする」に繋がり「ものを思はする」(物思いにふける)という意味です。

<現代語訳>

「かこち顔なる わが涙かな」

「かこち顔」「かこつ」/他のせいにする。口実にする。言い訳をする。

「かこち」+「顔なるわが涙かな」という理解をして、「(月の)せいにして、私の顔には涙が流れてくる」という意味が妥当だと思います。

<現代語訳>

〔月と寂寥感〕

月を見て物思いにふけり・・悲しかった過去を思い出したり、未来を想像しても悲しい結末が思いやられてしまい・・そして、涙を流す。

月は、太陽と一緒の空にいることはなく(本当は同じ空に有る時期もあります)、いつも夜という闇の世界で一生懸命に輝こうとしている。

そして、疲れて、欠けてしまい、空から姿を消してしまうこともある。

それでも、また頑張って・・元の姿に戻ろうとする。

んな月を思うと・・奈良時代、平安時代、鎌倉時代~、現代のような文明と文化はまだ無縁は時代に、月は日々の生活の中での、数少ない癒しの道具だったのかもしれません。

・・・というような感覚を、この歌を詠む全ての人たちが共有することによって初めて、この歌は評価されるのではないかと、私は思っています。

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

月を見て物思いにふけり、

なかなか思うようにいかない人生を嘆き、

そっと涙する私・・・。

その涙を、私は、月のせいにしてしまいたい。

「なかなか思うようにいかない人生」の中には、悲恋も含まれるのだと思います。

この歌の語句だけを追ったとき、上記のような解釈を、私はしています。

和歌は、中世の時代におけるコミュニケーションの道具だと言われています。

小倉百人一首に収められた歌には、実際のコミュニケーションのやりとりから生まれた歌もあれば、元々ある歌を本歌として”お題”を決めて詠んだ歌や(本歌取り)、「歌合」(示された”お題”に合わせた歌を詠み合って、その優劣を決める会)で詠んだ歌もあります。

この第86番歌は、本歌があり「月前恋」というお題に対して詠まれた歌だそうです。

そのような歌の場合、歌を練る時間はたっぷりあります。

だからでしょうか。

「歌合」で詠まれた歌もそうですが、技巧を凝らした難解な歌が多く、そして、実際のコミュニケーションから生まれていないので、それらの歌はどうも臨場感に欠ける・・という傾向があるように思えます。

思えますというのは私に感想です。

正直いって、本歌取りや歌合で詠まれた歌というのは、何度読んでも、あまり面白くなく、好きになれません。きっと、現実がそこに無いからだと思います。

たとえば、第40番歌、第41番歌などが、それに当たります。

両方とも恋歌ですが、その歌に、恋愛への真摯さは読み取れません。

これは、あくまで私の感想です。

〔参考〕

第40番歌

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

第41番歌

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

※上記の歌は、以下で解説しております。

百人一首/恋の歌/「恋し」を詠み込んだ恋歌八首から、恋心を知る

この記事の最後です。意訳をして締めくくりたいと思います。

【意訳】

ああ・・お月様。

大きな空に、ひとりぼっちだね。

えっ? 私のこと?

私が、何をそんなに悲しんでいるのかって?

悲しいなら悲しいなりに、思い切り嘆いてみろって?

まるで、お月様が私に、物思いをさせているみたいですね。

でもね、本当は違いますよ。

月のせいにしていますが、

この涙は、私の恋が、うまくいかないからなのです。

お月様、私のこの思い、

なんとかなりませんかねぇ・・・

〔画像はイメージです/出典:photoAC〕

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