百人一首/英訳⑨/ながらへばまたこのごろやしのばれむ/第八十四番歌


難解と思われる和歌。

英訳されたものは、原文を苦労して読むよりも分かりやすく、鑑賞の楽しさを助けてくれる場合があります。

今回は第八十四番歌。「もしも~」:仮定に希望の光を灯す人生歌です。

「ながらへば またこのごろや しのばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき」

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今回のテキスト/人生歌

藤原清輔朝臣(1104生~1177年没)

第84番歌

ながらへば またこのごろや しのばれむ うしと見し世ぞ 今は恋しき

〔以下引用〕

〔引用終わり〕

〔引用元〕”小倉百人一首英訳” より

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http://www3.to/kyomi/database/h1/

〔筆者による補足〕

:whether~ / 接続詞:~かどうか

:look back on ~ / ~を振り返る ~を回想する。

:as well as ~/ ~と同じように

: I miss now the past time / 今は昔が懐かしい。

:when I had much grief / とても悲しい思いをしたとき。

※難解だと思われている古文が、分かりやすい英語で表現できるんですね。これはすごい発見です。

・それでは、この英訳を和訳してみましょう。

〔筆者による和訳〕

もしも長く生きていたら、とても悲しかった頃のことを懐かしく思うのと同じように、ノスタルジーの伴うこの辛い日々を、しみじみと振り返るようになるのでしょうか・・。

〔参考/日本語訳〕引用元:Google 翻訳)

なるほど!ですね。これで、大筋の解釈はできたかと思います。

でも、さらに、詩歌鑑賞の楽しみは、まだまだあります。

私なりに、他にはあまりないと思われる意訳も含めて、解説をしてみます。

※ 古語の意味については、

「角川必携 古語辞典 全訳版(平成9年初版/発行:角川書店)」を参照しました。

【意訳】

辛い今を乗り切る処方箋

人生っていうのは、分からないものさ。

あの頃の私は、生きていくのがとても辛かった。

私は、死んでしまいたいとまで思っていた。

なのに、

あの頃のことをが、今となっては懐かしい思い出なんだからね。

そして、今。

人生という奴は、

なんて容赦のない、薄情で残酷な奴なんだろう。

私は、今もまた、辛い思いに直面している。

でもさ・・・

この辛さも、長く生きていれば、いつかは懐かしい思い出になるのさ。

そう思って、なんとか頑張って

この辛さを、なんとか乗り越えていこうと思う。

みなさんも、そうやって、乗り切ってください。

たとえ、今が辛くても。

(画像はイメージ/出典:photoAC)

・・・というのが、私が解釈した、この歌の意訳です。

このように、詩歌というものは、ただ直訳するだけでなく、その詩歌を詠んだ背景には、作者の思い、そして環境(時代背景、社会環境、家庭環境…)、それらがひとつの塊になって存在するということを理解して、読み解くと面白いです。

私は、この意訳のタイトルを「辛い今を乗り切る処方箋」としました。意訳を詠んで、ご理解いただけましたでしょうか。

ちなみに、百人一首の中には、この第八十四番歌の趣と類似した意匠の歌があります。第六十八番歌です。この歌も仮定を詠み、「ながらへば」を使っています。

「心にも あらで憂き世に ながらえば 恋しかるべき 夜半の月かな」

以下の記事にしましたので、ご一読頂ければ幸いです。

〔参考〕百人一首/英訳⑧/心にもあらで憂き世にながらえば/第六十八番歌

詩歌の解釈には、直訳をきちんと理解しつつも曖昧さを大事にして、いろいろな状況を想像しながら楽しむ解釈の方法があります。

それが、上記にした【意訳(free translation】です。

意訳は、詩歌を鑑賞する楽しみを膨らませてくれます。

かとうあきら

【語句の意味】

「ながらふ」①長生きする ②長続きする。

「ながらへば」:「ながらふ」+順接の仮定条件を示す接続助詞「ば」

⇒ 「もしも長生きしたならば」であり、英訳は If ~ や When~で始めるのが適当。

「このごろ」:「此の頃」/①近頃 ②近いうち、そのうち ③今ごろ、今時分

「しのぶ」:遠く離れている人や、昔のことなどを、懐かしく、また恋しく思う。思い慕う。

「しのばれむ」:懐かしく思い出されることだろう。

「うし」;「憂し」/①いやだ、苦しい、情けない、せつない ②わずらわしい、気が進まない 

<ここが要点だと思います>

タイムマシンで時間旅行

この歌の魅力は、現在と未来を行ったり来たりしながら、今ある「憂し(生きる辛さ」」を乗り切ろうとして、自分に言い聞かせているところです。

1.ながらえば /「もしも長生きしたならば」と、心は未来へ飛びます。

2.またこのごろやしのばれむ / 未来にいて、過去(今のこと)を懐かしみます。つまり、心は現在へ戻ります。

3.うしと見し世ぞ / 「ああ、あの頃は辛かったなぁ…」と過去を思う自分は未来にいます。心は未来にあるのです。

4.今は恋しき / 恋しく思うのは未来にいる自分です。心は未来にあります。

でも同時に「辛かった過去(今のこと)」を意識しているのですから、心は現在にも戻ります。

つまり、現在と未来を瞬時に行ったり来たりしながら想像している私が、今ここにいるのです。

時間旅行という意味を分かっていただけましたでしょうか。

実は、私たちの日常は、このような思考に支配されているといっても過言ではありません。

「もしも…◇▽△が〇〇〇だったら、私は◇◇だ」・・・

というような仮定をする場合、

その結果の想像は、その人の性格や思考の癖、仮定する内容の相違によって様々だと思いますが、大きく分けると、悲観的な想像、楽観的な想像、この二つに分かれると思われます。

ex: もしも長生きしたら~

   I f I live long、

<悲観的な想像の場合>

・家族がみんな死んで、親戚とは疎遠になって、独りぼっちになってしまうかも・・。

・長生きしたのはいいけれど、病気になって長い間苦しむことになるかも・・。

・認知症になって、最後は誤飲誤食とか誤嚥性肺炎か、そんなことで死んでしまうかも・・。

・アル中になって肝臓やられて貯金は使い果たして離婚されて、自殺願望に日々追われて・・ああ、いやだ。

・いづれにしても、長生きしかからって、必ずしも幸せじゃあないことが沢山ありそうだ・・。

あまり、というかまったく、悲観的な想像はお勧めできません。

<楽観的な想像の場合>

・孫が遊びに来るたびに抱きついてきて、長い人生を頑張ってきた甲斐を感じて、幸せだろうな。

・そのうち、宝くじが当たって、好きなだけ遊んで暮らせるかも。

・株で儲けて、悠々自適な老後。高級老人ホームで老いらくの恋なんかしたりして・・うフフフ。

肯定肯定の連続で物事を想像していきますから、そこには「うまくいく」の五文字。

その時、心の内には生きる勇気が膨らみます。これは、すごいことです。

この歌は、実は、そういう歌なのです。

こう思うことで、人生の辛さを乗り切るのです。

もちろん条件があって、歌の中には表現されてはいませんが、長生きするその過程には「努力という一生懸命」があるはずだと、私は思います。

みなさん、

辛い時には「もしも~」という思考をして、楽観的な結果を想像してみましょう。

そう思うだけで、生きるモチベーションになり、人生はもっともっと楽しくなるはずです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【参考】

※ 書籍やネットなどには一般的な現代語訳が多数紹介されています。それらは全て直訳です。以下は、そのうちのひとつです。

引用

[以下引用]

” 生き長らえていたら、今日のこのごろのことも思いだされるだろうか。つらいと思った昔の日々も、今では恋しく思われることだから ”

(引用元:ちくま文庫/百人一首/2010年8月20日第15刷)

直訳は味気なくありませんか? まずは直訳しますが、そこからその詩歌の世界観を広げて、意訳をしてみてください。詩歌の鑑賞が楽しくなっていきます。

その糸口が、この度は英訳なのです。

<作者の事情について>

私見

百人一首に限らず、詩歌の一般的な解説には「実は、この時、作者は〇〇〇でした」なんていう、作者が抱えている事情が暴露されている場合が多々あります。

その場合、あ~そうだったんだ…というように、その詩歌への理解は進むのですが、一方で、その詩歌の言葉が発する意味もイメージも固定されてしまい、鑑賞という行為が行き詰まる場合があります。言い換えれば、鑑賞の楽しみが減ってしまうのです。

なので、作者の事情は必ずしも知る必要はないと、私は思っています。

詩歌は、表現された言葉たちが、その全てだと思います。

それでも、もしも、作者の事情を知るのであれば、そこに書かれている事柄の、さらに裏にある事情までも想像していくことが、作品の理解と鑑賞を深めていく手立てになるのではないかと思います。

この記事で紹介しました「ながらえば またこのごろや しのばれむ~」の作者の事情については、様々な資料に書かれている事柄を、ここに少しだけ紹介いたします。

それらを知った上で、さらに裏にある事情を想像してこの歌を詠むと、また格別の感慨を味わうことができます。

<作者、藤原清輔朝臣の事情>

藤原清輔朝臣のお父さんは、同じ百人一首の第79番歌を詠んでいる藤原顕輔です。第79番歌がどのような歌かというと・・

「秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ」

(直訳/筆者:秋風にたなびいている雲の切れ間から月が見えます。その月の光の、なんて澄んで美しいことでしょうか)

親子で和歌の世界にいたのです。

でも、お父さんは子供の才能を認めませんでした。

お父さん自身が編纂した「詞花集」という歌集にも、自分の子供である藤原清輔朝臣の歌を入れることはありませんでした。

そして、のみならず・・・父 藤原顕輔は、子供(藤原清輔)の出世にも非協力的だったそうです。

そのように、この藤原清輔朝臣という人は、父親との関係はうまくいかず、出世も遅れてしまったという不遇な時代を送っていたようです。

この百人一首の第八十四番歌は、自身の苦難を乗り越えるために、自身にむけて発した「慰めの言葉」「人生の処方箋」であったように、私には思えます。

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ご一読くださり、ありがとうございます。