発見、再発見ノート一覧

介護の詩|人生100年の悩み|老人ホームで暮らす高齢者の様子

人生100年時代と提言されてから久しいですね。もうすぐ100歳の高齢者に対して「凄いですね、人生100年を証明していらっしゃいます」と言う若いスタッフ。100年生きていたって、自分でケツをふけなきゃあ意味がないんだよ・・と仰る高齢者様。その高齢者様の気持ちを口語自由詩にしてお伝えしました。

介護の詩|介護されていても|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境

高齢者の中にも「早く死にたい」「今のまま生きていたってしょうがない」というような自己否定をされる方がいらっしゃいます。そのような発言の背景と、そのような方への対応方法について、そして自分はそのようなことを思わないように考えるべきこと・・等を考察しました。

介護の詩|介護がなければ|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境

介護の一般的な定義はひとまず横に置いておいて「もしも介護がなかったらどうなってしまうのか?」という単純な視点から「介護とは何か?」を考え、簡潔に分かりやすい言葉で「介護とは何か?」を導いてみました。介護精神の根本を知り、少しでも多くの関心を介護に注ぎ、超高齢化社会の問題を考えるきっかけになってくだされば幸いです。

介護の詩|吐き出される業|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境

有料老人ホームには、今は介護を必要としないけれども、先々を考えて入居し自立生活されている高齢者の方がいらっしゃいます。そのような方々が集まると出る言葉に「いつ死んでもいい」とか「まだ死にたくはない」とかがあります。周囲にはけっこう耳障りな言葉だと私は感じています。

介護の詩|非記憶障害|老人ホームで暮らす認知症高齢者の様子|詩境

記憶障害が顕著な認知症の方が救急搬送され手術と入院を経て老人ホームに戻ってきました。でも、手術も入院もみんな忘れていました。それでも老人ホームでの暮らしにはなんら不都合はありません。つまり、その方にとっての記憶障害は非記憶障害なのです。そんな様子を描きました。障害を作りだしているものは、実は社会や環境・人の心なのです。

介護の詩|記憶障害|老人ホームで暮らす認知症高齢者の様子|詩境

記憶障害は認知症の顕著な症状です。その方の発話に対して「そうじゃあないよ」とか「違うよ」という受け答えはご法度です。認知症の方の発話に対しては、その発話を打ち寄せる波だと思って、その波に乗るような共感が必要です。その時、介護者には謙虚な心持と寄り添う姿勢が求められます。そのような場面を口語自由詩に書き起こしました。

介護の詩|ナースコールはSOS|老人ホームで暮らす高齢者の様子

ご入居者様の中には、たまにナースコールを連打される方がいらっしゃいます。ナースコールでスタッフを呼び、ニーズは一旦解決したにもかかわらず、1分と経たないうちに再度ナースコールを鳴らしてスタッフを呼ぶのです。そしてそれを繰り返します。スタッフは疲弊困憊してしまいます。そんな時の、状況改善へのヒントを書きました。

介護の詩|みんな順送り|老人ホームで暮らす高齢者の様子|詩境

世の中には無頓着というか傍若無人というか、人様の事情や心情を斟酌せずにズケズケとものを言う人がいるのものです。そのとき思います「それを言っちゃあ、おしまいよ」と。それは、老人ホームでも変わりません。老人ホームには老人ホームというひとつの社会がそこにあるのです。

介護の詩|認知症のあなた様/尊厳|老人ホームで暮らす高齢者の様子

認知症には中核症状とそれらによって引き起こされる周辺症状があります。この詩作品は中核症状名を散りばめ、介護者は認知症の方にどのような理解と姿勢で介助に取り組めばいいのかを考察しました。認知症をもっと知る契機にになってくれたら幸いです。この作品は前々回の「哀切」と前回の「無常」と併せて三つでひとつの作品としております。