日本の名月|百人一首の月が語る月物語|恋の歌、季節の歌、郷愁の歌


この頁では、小倉百人一首の中から、月の情景が素材として詠まれている十二首を取り上げ、「恋の歌物語」「季節の歌物語」「郷愁の歌物語」という三つの場面に分類して解説しています。

(画像はイメージです/出典:phtotAC)

千年の時を超えて現代に伝わっている小倉百人一首は、天智天皇(626生~671年崩御)の歌を第一番歌として、鎌倉時代の初めの頃までに詠まれた、百人の詠み人(作者)による百首の短歌で構成されています。

そしてそこには、月を詠み込んだ短歌が十二首もあります。

それらの月は、千年の時を経て現代に伝わっている月なのですから、日本の名月と呼んでもいいのかもしれません。

【 目 次 】

目 次

【日本の名月/月が語る歌物語】

以下の短歌には「月」が登場しています。

いったい、どのような「月」だったのでしょうか。

そしてなぜ、作者は「月」を短歌の素材として用いたのでしょうか。

鑑賞しながら当時の月への思いを明らかにして、各々の短歌に漂う趣と感慨を味わっていきたいと思います。

〔凡例〕・上の句の冒頭|歌番|分類

 ※分類は筆者によるものです。

月が語る💛恋の歌物語 】

今来むと~|21番歌|恋

有明の~|30番歌|失恋か?

やすらはで~|59番歌|失望、恨み

嘆けとて~|86番歌|恋

【 月が語る🌙季節の歌物語 】

ほととぎす~|81番歌|初夏

夏の夜は~|36番歌|夏

月見れば~|23番歌|秋

秋風に~|79番歌|秋

朝ぼらけ|31番歌|冬

月が語る🌕郷愁の歌物語 】

天の原~| 7番歌|望郷

めぐり逢ひて~|57番歌|旧友

心にも~|68番歌|ノスタルジア

※使用している画像の出典は全て photoAC によります。

※語句の解釈及び出典は全て「角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年11月初版」によります。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

理由は、直訳については書籍やネット、そしてAIで入手しやすいけれども、いい意訳はほとんど手に入らないためです。

さらに、詩歌の鑑賞の楽しみは、意訳にこそ広がりと奥行きのある感慨を味わうことができるからです。

勿論、意訳はきちんとした直訳の理解の上に成り立っています。

〔参考:直訳と意訳-Wikipedia〕

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月が語る💛恋の歌物語 】

今来むと~|21番歌|恋

今来むと いひしばかりに 長月の

有明の月を 待ち出でつるかな

〔解説1〕

恋の恨み節…とでもいいましょうか。

「直ぐに行きます」と言ってきた男が、いっこうに来ないのです。

待っているうちに、秋の長い夜さえも待ち続けて、気が付けば空には有明の月が出ていた・・、というお話です。

男は、きっと一生恨まれると思います。

〔解説2〕

・この短歌の出所は古今和歌集(平安時代前期)です。当時の逢瀬には、男性が夜に女性の家へ通い、そして朝まで一緒に過ごす「通い婚(妻問婚)」という慣習がありました。

「有明の月」:「有明」自体に「月が空に残ったまま夜が明けること」という意味があります。つまり「有明の月」と詠むことによって、時刻は朝になってしまった…朝まで待っていた…という意味を表わしています。

「長月」は9月ですが、当時は陰暦(旧暦)ですので、現在の時節にすると9月下旬から11月上旬を指しています。つまり、秋の夜長ですね。

・待っていたのは一晩だけ…という解釈もありますが、私は毎晩毎晩ずっと待っているうちに秋になってしまった…という解釈を選択して意訳しました。

・この短歌を季節で分類すれば「秋の歌」に入ります。ただ、内容からは「恋の恨み節」と言っていいのではないかな…と思い、恋の歌に分類しました。

どれくらい待ち続けたのでしょうか? 

その不安の長さ、つまり辛さを「長月の有明の月」が美しく代弁しています。

恋心があっても、約束を破れば、その気持ちは”恨み”になってしまう場合もあるのです・・というお話しでした。

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有明の~|30番歌|失恋か?

有明の つれなく見えし 別れより

暁ばかり 憂きものはなし

〔解説1〕

現代に置き換えるなら、例えばこんなシーンです。

デートをした後の駅の改札口。

その日は各々の家へ帰る別れ際。

改札口の上にある時計の針は、帰らなければならない時刻を指しています。

そして、さようなら…「またね」

でも・・・

いつもは振りかえって手を振ってくれていたあの人が、

さっさと、改札の中へ入って振り返ることなく、人混みの中に消えていってしまった。

いつもとは違う別れ・・つれなかった貴女…

そして、それ以降、音沙汰が無いのです。

私は、改札口の上にある時計を目にする度に、貴女とのつれない別れを思い出して、悲しくなるのです。

〔解説2〕

「有明」と冒頭に詠むことで、時刻は夜明け・・つまり逢瀬は別れの時を迎えていることがわかります。つまり、この短歌も前段の21番歌と同じように当時の「通い婚(妻問婚)」という慣習を知っておくことで、理解が一気に深まります。

・嗚呼、もう一度、貴女様と愛し合いたい…詠み人はそう思っていたかもしれません。未練ですね。

・おそらく、「つれない別れ」が納得いかないまま、月日ばかりが過ぎているのでしょう。でも、別れというものは常に納得がいかないものであり、だからこそ愛別離苦というような表現もあるのです。という意味において、そこは我慢するしかないのであり、だからこそ歌にしたときの感慨が深くなるのでしょう。

広い空にぽっかりと浮かんでいる有明の月。その月もまた、詠み人の心にとっては、なんにも自分のことを分かってくれない”つれない”存在であったのでしょう。ここに登場する有明の月は、そんな”つれない月”だったのです。

貴女様も”つれない”…..有明の月もまた”つれない”・・重ね合わせることにより「嗚呼、私はどうしたらいいのだろう…辛い」という憂いをよりいっそう増幅させているように思います。

暁の頃(夜明け前のまだ暗いうちのこと)に目を覚ますと、それらを思い出して、私は憂いているのです・・というお話でした。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

やすらはで~|59番歌|失恋、恨み

やすらはで 寝なましものを 小夜更けて

かたぶくまでの 月を見しかな

〔解説1〕

「やすらはで」は、「ためらわないで」とか「躊躇しないで」という意味です。

「やすらふ」という動詞は、近世になって「休む」の「やす」に引かれての誤用により「休息する」という意味で使われている例がありますが、現代語の「休む」とは本来無関係の語です。意味は①ためらう。躊躇する。②とどまる。足をとめる。ここでは②の意味です。

・この短歌でも、前段と前々段の解説に書いたように、当時の逢瀬は夜間に男性が女性の家を訪れておこなわれるという慣習を念頭において鑑賞してくださいませ。

〔解説2〕

・おそらく詠み人は、夜になる前にお風呂に入り、そして整容をして彼が訪れるのを待っていたのでしょう。これから訪れる逢瀬を楽しみにして。

・月は東の空から昇り、そして少しずつ少しずつ西の方へと移っていくその間もずっとずっと、待っていたのでしょう。

なかなかやって来ない彼を思いならが待っていたのでしょう。

でも、貴方は来ない・・。

・不安は焦りとなり、動悸がしていたかもしれません。もしかしたら来ないことに対して怒りを覚えたかもしれないし、涙を流したかもしれません。兎にも角にも、詠み人は、辛い夜中をひとりぼっちで過ごしたのです。

・そして夜明けが近づいて来るころ、詠み人が今夜彼は来ないのだと悟ったとき、詠み人の中にあった不安や焦りや怒りや悲しみは…全て過ぎ去って、諦念を抱くようになったのかもしれません。その心の発露として、この歌があるのです。

・空にひとつ、ぽっかり浮かんで少しずつ西の空へと傾いていった月は、詠み人の心の代名詞なのかもしれません。

このように、この月は単に西の空に傾いている月という意味だけではないように、私は想像しています。

つまり、

この月は、詠み人の思いと共に夜空を寂しく過ぎていった”寂しい時間の経過”を表わしているのです。

この月は、やがては沈んでいくのであり、それは逢瀬が叶わなかったことへの失望と諦め、そしてさらに諦念をも、代弁しているのです。

月という自然の摂理には抗えませんからね。

「待つという辛さ」「夜空にたったひとつ、寂しく沈んでいく月」に代弁させたという・・というお話でした。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

嘆けとて~|86番歌|恋

嘆けとて 月やはものを 思はする

かこち顔なる わが涙かな

〔解説1〕

・この歌は”恋歌”に分類されています。なぜなら、この短歌は歌会において「月の前の恋」というお題で詠まれたものだからです。

 ※歌会:短歌を披露しあう会のこと。現代、年始に宮中で行われる”歌会始め”に繋がっています。(歌会始め/参考:Wikipedia)

・つまり、作者の自然な心の発露から生まれた歌ではありません。でも、そういうことは十七文字だけからは分かりませんね。なので、意訳では「なかなか思うようにいかない人生」という表現を選択しました。そこには「恋」も含まれるからです。

・一般的な解釈では、以下の理由から「涙=失恋」と解釈されています。

 ①「月の前の恋」というお題で詠まれた短歌である。

 ②当時の世の中では、月は物思いにふけらせると考えられていた。

 ③「わが涙」と詠まれている。

ただ、私は思います。恋には失恋でなくとも涙を流す”感動的な恋”があるだろう…と。

〔解説2〕

「かこち顔」:ここでは「涙を月のせいにして嘆いている私の顔」という意味でよいと思います。

「かこち」:古語に「託つ(かこつ)」①人のせいにする。②不満を言う。嘆く。…という言葉があります。「かこち」はその活用形です。

現代語では「託ける(かこつける)」という言葉に変化して、「あることをするために、直接には結びつかないことを口実にする」という意味になっています。(参考:明鏡国語辞典 第二版/2010年、㈱大修館書店)

・当時、”月が物思いにふける対象であった”ということは、次の短歌からも想像がつきます。

「朝月の 日向の山に 月てり見ゆ 遠妻を持ちたる人し 見つつ偲はむ(万葉集)」

(解釈:日向の山に月が出ているのが見える。遠くに妻を持っている人は、この月を見ながら妻を恋しく思っていることだろう)(参考:角川必携古語辞典 全訳版/平成9年初版)

・当時の短歌はコミュニケーションのツールであり、特に男女間のやりとりではお互いの思いや人柄などを理解する上で重要な役割を果たしていました。

・一方、歌会で披露しあう短歌もあり、こちらの方は自然な心の発露ではないからなのでしょうか。直截的な表現よりも技巧的な面が目につきます。例えば、40番歌の「忍ぶれど~」や41番歌の「恋すてふ~」。両方とも恋歌に数えられていますが、なんともつまらない恋歌になっています。

この短歌を恋歌だと言われても、あまりピンとこないその理由は、そもそもが本物の恋心から詠われたものではない、というところにあるのかもしれません。たとえ、過去の経験を元にしたとしても…です。

でも、古文の授業的に理解するのであれば、

その日その時、夜空に浮かぶ月は、悲恋を想像させるのに相応しい感慨のある月だったのです。

私はその月を眺めて、思い通りにならない恋に涙を流してしまいました。でも私は、その涙を月のせいにしてしまったのです・・・という、これは作り話なのです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

以上、百人一首より、月を詠んだ恋の歌でした。

百人一首には恋歌が四十三首もあるとされています。

その中から、恋のエキスを語った四首を選び、以下に解説しております。

お読みいただければ幸いです。

恋のエキス|百人一首より|苦悩と裏腹・恨み・後悔・孤独・失意の歌

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月が語る🌙季節の歌物語

ほととぎす~|81番歌|初夏

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば

ただ有明の 月ぞ残れる

(画像はイメージです/出典:photoAC)

〔解説1〕

「ほととぎす」:古語辞典には以下の説明がされていました。以下、引用です。

「渡り鳥の名。初夏に夜昼ともに鳴く。初夏を知らせる鳥として人々に心待ちにされた。懐古・恋慕の情を起こさせる鳥とされ、また冥土に通う鳥ともいい・・」(引用、ここまで)

つまり「ほととぎす」と詠めば、そこには、初夏の空気、初夏の風、初夏の香り…という季節感が漂うのです。

・「ほととぎす」により季節が伝わりました。では、一日のうちの何時頃のことなのでしょうか?

「有明の月」/月が空に残ったまま、夜が明けること。また、その時分。また、朝まで残る月のこと。

・つまり、朝です。この短歌は”初夏の朝の出来事”を詠んでいるのです。

〔解説2〕

・この短歌は、人の主要な感覚である視覚/触覚/聴覚を呼び起こさせています。

:「ほととぎす」でその姿を想像させ(視覚)

:同時に初夏の空気感を想像させ(触感)

:「鳴きつる方」でその声を想像させ(聴覚)

:「眺むれば」で再度視覚に訴え(視覚)

:「有明の月ぞ残れる」でさらに視覚に訴え(視覚)、同時に朝の空気感をも感じさせてくれています(触感)

・つまり、朝方の一瞬の出来事を五感の連鎖で切り取っているのです。

 :ほととぎすの鳴き声がした!

  ⇩

 :あっ、夏が来た!

  ⇩

 :鳴き声の方向を見た。

  ⇩

 :朝方の空には、月が残っているだけだった。

  ⇩

 :ほととぎすは何処に…

・鳴き声のする方を見たけれども、そこには有明の月しかなかった。ほととぎすが見えないことによって、よけいに有明の月が際立って見えてきますね。

・ほととぎすの鳴き声の余韻とともに、初夏の朝の空気を感じながら、有明の月を眺める。

一瞬の出来事の中にいろいろな表象が詰まっていて、有明の月の情景がそれら表象の余韻を五感に沁み込ませてくれています。

・情報のインプット⇒アウトプット(表象)

「表象」は難解な言葉ですが、「表象」の基本を理解する題材として、この短歌は有効かもしれません。

話は飛びますが、

「情報のインプット⇒アウトプット」という理屈と理解を意識することは、

以下は、私が介護士として働く介護現場の経験から学んだHow to です。

1.相手様に、どのような言葉を掛けたら、或いは表情やボディタッチなど、どのような非言語メッセージを示したら…〔以上が情報のインプット〕

  ⇩

2.相手様はどのような理解を示すのか、どのような反応を見せてくれるのか、どのような表情になるのか…〔以上がアウトプット〕

  ⇩

3.相手様のアウトプットの内容によって、相手様に示す情報のインプットを変えていき、相手様の反応〔アウトプット〕が一番強くでる情報のインプットは何なのか?を探っていきます。

  ⇩

ときには、相手様を怒らせたり不安にさせたり、相手様が口をつぐんでしまったり、失敗もあります。

  ⇩

4.なので、相手様の表情が穏やかになり、時には笑顔を見せてくれる、好ましいアウトプットを期待できる情報のインプットは何なのか? を求めながらコミュニケーションを継続していくのです。

  ⇩

5.すると、お互いがいい関係になり、介護拒否は減っていきます。

** 閑話休題 **

兎にも角にも、この短歌は一瞬の出来事の中に五感に感じる情報が多く含まれていて、「有明の月ぞ残れる」でそれらの表象が長い余韻となって残る作品です。

一瞬の出来事だけれども中身の詰まった、感慨豊かな初夏の月の歌物語なのです。

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夏の夜は~|36番歌|夏

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを

雲のいづこに 月宿るなむ

〔解説1〕

・なんとお茶目で機知に富んだ短歌でしょうか。宵のうちに夜が明けてしまうなんてことはありえません。でも、この短歌では「宵なのに夜が明けた」と詠んでいるのです。

つまり、詠み人は、夏の夜の短さを「宵ながら明けぬる」と誇張して表現したのです。

「宵(よひ)」というのは、日が暮れてからまだ間もない頃のこと。

これは現代語でも同じです。はしご酒をするときに「まだまだ宵の口、もう一軒行きましょう」なんて言い方がありますね。

・詠み人は、さらに月の居場所について言及します。それが擬人法を用いた「雲のいづこに月宿るらむ」という下の句です。

〔解説2〕

・この短歌の詠み人は、清原深養父(きよはらふかのぶ)、清少納言の曾祖父です。

清少納言はその著書である「枕草子」で「夏はよる。月の頃はさらなり」書いています。夏の月を愛でているのは、清少納言は曾祖父が好きで、曾祖父の詠んだこの短歌の影響を受け、敢えて「夏の夜は月が出ている時分が趣がある」と思ったからかもしれません。

夜になり、お月様は夜空に昇りました。けれども、宵のうちに夜が明けてしまったのです。お月様は慌ててしまい、有明の月になる準備もできず、夜空に浮かぶ雲の宿で一夜を明かしたのです。

・・という、百人一首の中では最もウイットに富んだ可笑しい、愛すべき短歌だと思います。

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月見れば~|23番歌|秋

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ

わが身ひとつの 秋にはあらねど

〔解説1〕

・「千々(ちぢ)」:数が多いさま。たくさんだ。いろいろだ。

・さりげなく言葉を対にして詠んでいます。技法としては対句にあたります。

「月」 ⇔「わが身」

「千々に」⇔「ひとつ」

・この対句は上の句と下の句が相反し合っているので、以下のように主語と述語の関係が際立ってきます。

「月見れば千々に」⇒「悲しけれ」

「わが身ひとつの秋」⇒「あらねど」

・このようにして「悲しけれ」「(秋には)あらねど」がすーっと、この短歌を鑑賞する人の心の中に入ってきます。

〔解説2〕

・そしてさらに、”秋は物悲しい季節である” という、現代においても耳にする社会通念が、この短歌の中に感じられます。

・秋の月は人の心を物悲しくさせます。その思いは、月を見ている自分一人だけではなく、世の中の皆が同じように感じていることなのです。

秋の月が連れてきた物悲しさをしみじみと心に感じる、物悲しい月の歌物語なのです。

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秋風に~|79番歌|秋

秋風に たなびく雲の 絶え間より

もれ出づる月の 影のさやけさ

〔解説1〕

・この短歌は、”秋の澄んだ月が、たなびく雲に見え隠れしながら、光輝やいている情景”をとても分かりやすく明快に詠んでいます。なので、解説などは余計なものだと思います。以下に「影」と「さやけさ」だけ説明しようと思います。

「影(かげ)」:複数の意味があります。ここでは①の「光」という意味で使われています。

 ① 光

 ② 光が遮られてできる暗い部分。

 ③ ぴったりついて離れないもの/ぼんやり見えて実体のないもの/真似て作ること。また、その模造品/やせ細ったもの。

 ④ 人の姿

 ⑤ 目の前にいない人の面影。幻影。

「さやけさ」:清く澄み切っていること

「清けし(さやけし)」:すがすがしい。澄んでいる。きよらかだ。・・という語からきているようです。

秋の夜空、たなびく雲に見え隠れしながら、光り輝く月の歌物語でした。

【秋の空が澄んでいる理由】

秋に日本列島を覆う移動性高気圧は中国大陸からやってきます。この高気圧は夏に広がる太平洋高気圧とは、その空気の性質が異なるそうです。その空気の性質が「秋の空が高く見える理由」を作り出しています。詳しくは、「秋の空が高く見える理由/ウエザーニュース」をご覧くださいませ。

秋の空が高く見えるのは、「秋の空は空気が澄んでいる」からです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

朝ぼらけ~|31番歌|冬

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに

吉野の里に 降れる白雪

〔解説1〕

・この短歌には、実際の月は登場していませんが、「有明の月」と詠み込んでいるので、月の歌の物語の中に数えました。

「朝ぼらけ」:空がほのかに明るくなるころ。夜明け方。「あけぼの」よりもやや明るくなったころをいいます。

「吉野」:奈良県南部の吉野山を中心とする地帯。上代には離宮が設けられて、皇族・貴族の宴遊が盛んでした。平安時初期には吉野山中の最高峰の金峰山が開かれ、修験道の本拠地となりました。吉野山は、春は桜の名所。冬は雪の深い所として知られています。(参考:角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年初版)

〔解説2〕

・この短歌の特徴は、大地に広がる銀世界を「白雪」という体言止めで表現しているところです。この言い切りによって、シーンと静まりかえった白雪の積もった様子が余韻のように広がっていきます。

・ひとつ分かることは「有明の月」の明るさです。街灯などはないのですから、月の明るさは現代とは比べものにならないくらい目に飛び込んでくるものだったのでしょう。

降り積もった白雪なのに「有明の月」と思われてしまう・・そんな有明の月のきれいな明るさを教えてくれる歌物語です。

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月が語る🌕郷愁の歌物語

天の原~|7番歌|郷愁

天の原 ふりさけみれば 春日なる

三笠の山に いでし月かも

〔解説1〕

・「天の原」:原(はら)は広い所の意味。広くて大きい空のこと。

・「ふりさけみる」:遠くを仰ぎ見る。はるかにながめる。

・「春日」:かすが。現在の奈良市春日野町。春日大社があります。

・「三笠山」:奈良市の東方にある、春日大社の後方にある標高283メートルの山です。

(現在の地図より:左隅にJR奈良駅。地図の中央辺りに春日大社があります)

〔解説2〕

・実は、この短歌の真意は、これら十七文字だけではわかりません。

・この短歌の詠み人(作者)は、かつて遣唐使として唐に渡った阿部仲麻呂です。

阿部仲麻呂が日本へ帰るときに月を眺め、望郷の思いに浸り詠んだ歌とされています。

・何故、春日や三笠山を懐かしく思ったなのかというと、遣唐使として出発する前に、遣唐使の一行は旅の無事を祈って春日大社にお参りしたからです。おそらく、その時に、春日大社から三笠山の方を眺めたら、山の上にお月様が昇っていたのでしょう。その月が記憶に残っていて、この歌に繋がったのだと思われます。

阿部仲麻呂が乗った船は帰国への途につきましたが、船は悪天候により難破。一行は漂着後、唐に戻り帰国を断念。阿部仲麻呂はそのまま唐で一生を終えたそうです。

この短歌に歌われた月は、望郷の念を抱いたまま、生涯故郷へ帰ることができなかった阿部仲麻呂が愛した月なのです。

室生犀星の詩に「ふるさとは遠きにありて思ふもの~」(小景異情)がありますが、阿部仲麻呂が異国で見た月の情景から思い出す故郷への感慨は「ふるさとは遠きにありて思ふもの~」まさにそのものですね。

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めぐり逢ひて~|57番歌|郷愁

この短歌は、旧友との久しぶりの再会を詠んでいます。旧友のことを思うのもノスタルジーであると考え、郷愁に分類しました。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに

雲がくれにし 夜半の月かな

〔解説1〕

「めぐり」出会いはめぐり合うもの、そしてまた月もめぐるもの…という両方の意味を含んでいると解釈することで、鑑賞に広がりが出ます。

「それとも」「それ」は、”めぐり会えた友”と””の両方を指し示しています。

「めぐり逢ひて」は六文字、字余りです。接続詞の「て」によって、めぐり逢った後の時間の流れがスムーズに過ぎていく、そこにリズム感が感じられて、字余りを意識させません。

「夜半」:夜半と書いて「よは(わ)」と読みます。

〔解説2〕

・この短歌の詠み人は、源氏物語の作者である紫式部です。源氏物語は平安時代の中頃に出来上がった当時の貴族社会を描いた物語ですが、その中には795首もの短歌が詠まれています。

紫式部は歌人のエキスパートであったのですから、百人一首の選者である藤原定家は、紫式部の歌を選ばないわけにはいかない、また紫式部の歌を入れることで百人一首に箔が付くと考えたのかもしれません。

詩歌は、ときには声に出して読んでみるといいです。何度も何度も。それだけで、感慨を得られることがあります。

このに歌は、懐かしい友達と会ったけれども、ゆっくり過ごすことはできず時間はあっという間に過ぎていってしまい、また独りになってしまった…さみしい…という感情。そこには、孤独感が感じられます。そのような感慨は、直訳では得ることはできません。

独りの私は寂しい・・という「めぐる人生」を、「めぐる月」に掛けた、人生の月物語なのです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

心にも~|68番歌|郷愁

心にも あらで憂き世に ながらへば

恋しかるべき 夜半の月かな

〔解説1〕

・人は、過去/現在/未来を生きています。

・もう少し詳しく云えば、人は、過去に起きたことを/現在起きていることを、そして予定したり想像したりする未来を、それぞれについて解釈をして意味付けをしながら生きています。

・例えば失敗をしたとき、嘆くのか、いい経験をしたと解釈するのかは、紙一重です。その紙一重で今の生き方がが変わります。明日の想像が変わります。

・そのような、人生の機微に関わる観念を教えてくれる歌だと思います。

〔解説2〕

なので、この短歌は詠み人が抱えていた背景は横に置いておいて、この五七五七七だけを頼りに味わう方が、各々の言葉を大事にできて、味わい深く鑑賞できると思います。

この歌は、強く生きる人生の応援歌、勇気づけてくれるのは夜中の月、月が応援してくれる物語なのです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

読んでくださり、ありがとうございます。