百人一首|恋歌における月の役割|有明は逢瀬、通い婚の悲哀を物語る
百人一首から、「恋心」を主題としていて、尚且「月」を詠んでいる歌3首を考察しました。恋歌の中で「月」が果たす役割は、そこに感情が沸き起こることです。その時の月は、風情を感じる月ではありません。/恋は、一旦つまずくと煩悩の塊と化してしまいます。この度は古典に触れて、恋は昔も今も変わらないという感慨に浸ってみました。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
百人一首から、「恋心」を主題としていて、尚且「月」を詠んでいる歌3首を考察しました。恋歌の中で「月」が果たす役割は、そこに感情が沸き起こることです。その時の月は、風情を感じる月ではありません。/恋は、一旦つまずくと煩悩の塊と化してしまいます。この度は古典に触れて、恋は昔も今も変わらないという感慨に浸ってみました。
百人一首より、月を詠んだ歌十二首です。恋の歌、季節の歌、郷愁の歌という三つの場面に分類して解説しました。現代語訳は意訳〔Free translation〕しました。意訳による言葉の広がりと奥行き、直訳では味わえない感慨をお楽しみ下さいませ。
この歌、「月」という語句は使っていません。月は「有明」という語句に表現されています。鑑賞の要点は「つれなく見えし」の解釈です。
百人一首の中から「桜を詠んだ六首」です。そこには、桜の開花に一喜一憂したり、桜の花を愛でたり、桜咲く木の下で飲食したり、そのような歌はありません。あるのは「色褪せていく桜」「散り行く桜」に自分を重ね合わせていく歌です。その言外には無常観さえ見え隠れしています。現代語訳は意訳しました。和歌の醍醐味を味わい下さいませ。
百人一首より、月を詠んだ和歌を集めました。有明の月、夜半の月、望郷の月、夏の月、秋の月、そして月を題材にした恋歌・・、全部で十二首です。百首の内の十二首ですから、十首に一首は月の歌なのです。これは、月を好んだ証拠なのでしょうか。もしかしたら日本の名月なのかもしれません。
百人一首には「有明の月」と詠んだ和歌が三首あり、この歌はそのうちの一首です。ただ、この歌の「有明の月」は想像したものでしかありません。恋歌においては朝が来たという時間の経過に使われる「有明の月」ですが、この歌では「有明の月のような〇〇」という例えに使っています。どのような情景を例えたのでしょうか。
この和歌は百人一首の中の恋歌のひとつです。ただ、恋歌にしては情熱は乏しく、愛情表現も無く、心の内へ内へと内省しているようです。この記事では百人一首の他の恋歌も併記して、正直私の感想なのですが ”この恋歌が表現している控え目な恋心” を伝えたいと思いました。あくまで私個人の感想です。
秋の夜空、たなびく雲の絶え間から時折りのぞく月の光。その月の光の、なんて清々しくてきれいなことでしょう・・。難解な古語は使われていません。秋の夜空に浮かぶ月と雲が織り成す情景を、とても分かりやすく伝えています。百人一首には「月」を詠んだ歌が11首ありますが、そのうちの最も理解しやすく味わいやすい情景歌だと思います。
月を素材にして時間の経過を伝え、「待っていても来ない恋人」への失恋の思いをさりげなく伝えている恋歌、百人一首の第59番歌です。内容を探ると、平安時代の男女間の慣習を伝えてくれる歌でもあります。そしてさらに、”恋心に諦観を伴うその時、その恋は既に過去の産物である” ことも教えてくれています。
百人一首の、夏の夜、夏の月を詠んだ歌です。この歌の作者は枕草子に「夏は夜。月のころはさらなり」と書き綴った清少納言の曾祖父です。清少納言はこの歌を思い出して、もしも「夏の夜」「月」を書けば ”ひいお爺ちゃんが、あの世で喜んでくれるかもしれない" と思ったのかもしれません。もしも~は鑑賞の楽しみを豊かにしてくれます。