月を詠んだ和歌/百人一首81/有明の月/夏の到来/ほととぎす鳴きつる
「有明の月」と「ほととぎす」を題材にした百人一首の歌です。ほととぎすは、古来より夏の到来を告げる鳥として親しまれていました。ほととぎすの鳴き声を耳にして、顔をその方向へ向けます。でも、そこには有明の月が浮かんでいるだけ。朝の静寂が心を包み込みます。聴覚と視覚と、そしてさらに触覚までも感じさせてくれる、いい歌です。
「実は、そうだったんですね」って思える、そこに発見や再発見がある、そんな記事を書いていきたいと思います。
「有明の月」と「ほととぎす」を題材にした百人一首の歌です。ほととぎすは、古来より夏の到来を告げる鳥として親しまれていました。ほととぎすの鳴き声を耳にして、顔をその方向へ向けます。でも、そこには有明の月が浮かんでいるだけ。朝の静寂が心を包み込みます。聴覚と視覚と、そしてさらに触覚までも感じさせてくれる、いい歌です。
百人一首より「有明の月」を詠んだ恋歌です。「貴方は来てくれるって言ったのに、季節はもう秋、長月よ。ちっとも来てくれないじゃあない!嘘つき!・・あ~あ、有明の月が出ている。もう朝なのね。今日も来なかった・・、まったく!貴方っていう人は!もう一生来なくていいわよ!」っていうような歌です。
百人一首には月を詠んだ歌が11首もあります。10首に1首は月の歌なのです。多いですね。では、どのような月が詠まれているのでしょうか。千年の時を経て今日まで伝わっている「月」ですから「名月」と呼んでもいいのかもしれません。鑑賞しやすく分かりやすくするために英訳を載せました。意訳も載せました。日本の名月をご鑑賞下さいませ。
百人一首には「月」を詠んだ歌が11首もあります。そしてその中の三首には「有明の月」と詠まれています。「有明の月」とは、いったいどのような「月」だったのでしょうか。当時の人たちが「月」に寄せていた思い、生活の中での月の位置づけを知ることができます。
百人一首に詠われている「月」、その11首をリストにしました。各々の解説にリンクしています。日本人が、月をどのように思い、どのように感じてきたのか、その心の有り様を味わってみてください。【意訳/Free translation】を中心に味わいを深めてまいりましょう。
百人一首には月を詠った歌が11首あり、そのうちの3首に「有明の月」が使われています。・・この和歌も「有明の月」と詠んでいますが、実は、本当のお月様は登場しません。白い雪の白さを詠っています。なのに「有明の月」を引用するくらい、「有明の月」は当時の人達にとって大事で意味のある自然現象のひとつだったと思われます。
百人一首には月を詠んだ歌が11首あります。そのうちのひとつ、これは「雲の絶え間より、もれいづる月の~」と詠っています。どのような月なのでしょうか。そして、その情景からなにどのような味わいを得ることができるのでしょうか。一緒に味わってみてください。
百人一首には恋を取り上げた歌が沢山あります。これはそのうちの一首。しかも、月を題材にしています。日本の中世には、夜に男が女の家に行き、愛し合うという「通い婚」という慣習がありました。それを踏まえて、これを詠んでみてください。
遣唐使として唐に渡った安部仲麻呂(698~770年)が詠んだ和歌です。日本から遠く離れた唐にいて、大空の月を眺めたら、故郷日本の春日の三笠山に昇る月を思い出し、センチメンタルになっていたのかもしれません。いいや、心の中はきっとはりさけんばかりの思いであったかもしれません。
百人一首には「有明の月」が3首に詠われています。これは、そのうちのひとつです。”なぜ” 有明の月を眺めることになったのか・・、”今来むと” は何が”来むと” なのか・・世間にある一般的な解釈は横に置いておいて・・想像を膨らませると、この歌はいろいろな解釈ができて、とても味わいのある和歌になります。