百人一首/「逢ふ」を題材にした九首に読み取れる関心事


(画像はイメージ/出典:photo AC)

はじめに・・・

百人一首を詠んでいると「同じ言葉」が多数使われていることに気が付きませんか?

たとえば、「月」は11首で詠まれ、「秋」は12首に詠まれています。百首の内のこの数ですから、多いですね。何故でしょうか・・・?

当時の人々”は「月」や「秋」に、より多くの関心があったという”印”かもしれません。

いいえ、ただ、選者である藤原定家の好みだったのかもしれません。

仮に藤原定家の好みだとしても、藤原定家も当時の人々の中のひとりなのですから、その好みは”当時の人々の関心事”に含まれます。さらに、藤原定家が百人一首の評価上昇を願って”人々の関心事”を多く取り上げたのかもしれません。

そう考えれば、多数使われている「同じ言葉」と「その意味」は、当時の人たちの「より多くの関心事」であったと考えることができます。

つまり、「同じ言葉の多用」=「関心事が高い」という理解であり、仮定です。

この記事では、百人一首の中から「同じ言葉」を使っている歌を抜き出し、並べて鑑賞することにより、当時の人々の関心事を探っていきたいと思います。

・・・多数使われている「同じ言葉」と「その意味」の、”何に関心が”、そして”どのような関心が”・・あったのでしょうか?

今回、この記事で取り上げた「同じ言葉」は「逢ふ」です。

逢ふ

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1.「同じ言葉」を詠んでいる歌、事例

百人一首には「同じ言葉」を詠んでいる歌が多数存在します。

以下は、その事例です。

(1)名詞では・・・

 「秋」:12首に詠まれています。

 「月」:11首に詠まれています。

 「恋」:8首に詠まれています。

  ※「恋」は10首に使われていますが、そのうちの2首は「懐かしい」という意味の「恋しい」ものとして詠まれています。恋=Loveを意味する「恋」が詠まれているのは8首です。

(2)動詞では・・・

 「思ふ」:20首に詠まれています。

 「見る」:10首に詠まれています。

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2.「逢ふ」を詠んでいる歌を並べて鑑賞してみる理由

(1)「逢ふ」には多くの意味があるから

私の手元にある古語辞典〔角川 必携古語辞典 全訳版/平成9年11月初版〕を紐解くと、【会ふ・逢う】は、以下のように五つの意味に訳されています。

① 対面する。顔を向ける。面会する。

② 偶然に出会う。来合せる。

③ 男女が関係を結ぶ。結婚する。

④ 張り合う。争う。

⑤ ある状況や事件などにぶつかる。遭遇する。

つまり、百人一首に詠まれている「逢」の意味は、ひとつではないと思われます。

でも、使っている意味に、もしも偏りがあれば、「同じ言葉」=「関心事」という仮定の証明に役立ちます。

(2)教科書に載っている有名な作家の歌があるから

ここで紹介する九首の作者の中には、教科書で学び、多くの人が”名前だけは知っているという有名人”が登場します。

第56番歌:作者は「和泉式部日記」を著した ”和泉式部” です。

第57番歌:作者は「源氏物語」を著した ”紫式部” です。

第62番歌:作者は「枕草子」を著した ”清少納言” です。

藤原定家がそれらの著名人のどのような歌を選んだのでしょうか・・・それを知ることによって藤原定家の選者としての考え方や取り組み姿勢が少し見えるかもしれません。

そして、この三人は「逢」という言葉を使って、その言葉の意味をどのように捉え、その歌に何を託そうとしたのでしょうか? 

こうやって有名人の歌を並べてみると、架空の「歌合」(うたあわせ)を開催しているような面白さを私は感じてしまいます。これはひとつの発見です。

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3.「逢ふ」を詠んでいる歌、九首

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

〔第10番歌/作者:蝉丸(生没年未詳)、所載歌集:後撰集・雑一〕

わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思う

〔第20番歌/作者:元良親王(890-943年)、所載歌集:後撰集・恋五〕

名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな

〔第25番歌/作者:三条右大臣(873-932年)、所載歌集:後撰集・恋三〕

逢ひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

〔第43番歌/作者:権中納言敦忠(906-943年)、所載歌集:拾遺集・恋二〕

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

〔第44番歌/作者:中納言朝忠(910-966年)、所載歌集:拾遺集・恋一〕

あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

〔第56番歌/作者:和泉式部(生没年未詳:979?-1036?)、所載歌集:後拾遺集・恋三〕

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

〔第57番歌/作者:紫式部(生年未詳:970?-1014年)、所載歌集:新古今集・雑上〕

夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

〔第62番歌/作者:清少納言(生没年未詳:966?-1027?)、所載歌集:後拾遺集・雑二〕

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

〔第77番歌/作者:崇徳院(1119-1164年)、所載歌集:詞花集・恋上〕

※上記の記載内容については、以下を参照しました。

・ちくま文庫「百人一首」/著者:鈴木日出男、発行:㈱筑摩書房、2010年8月20日 第15刷

・ 「一冊でわかる 百人一首」/監修:吉海直人、発行:成美堂出版、2015年3月20日発行

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4.「逢ふ」を詠んでいる歌九首の【意訳】と【解説】

<意訳について>

「意訳」とは、一語一句の意味よりも書き手(又は話し手)の全体的な意図を捉えて伝えようとする訳し方です。

※Wikipedia には【意訳とは、発話者(書き手)の意図感情ニュアンス、語感の込められた文章を、文脈や文化的背景も考慮して、深く理解して訳すものである】と書かれています。(【 】内の出典:Wikipedia 直訳と意訳

<私が意訳を選んだ理由>

①既存の資料にみられる訳は、そのほとんどが、一語一句を正確に訳していく直訳です。

②意訳は、作者の心も含めて包括的な理解をしないと難しく、歌の勉強がさらに進みます。

③意訳は、自由な発想で楽しく歌を鑑賞でき、歌を好きになる契機を作る可能性があります。

古典を難しく考えない古典を楽しく解釈する和歌はコミュニケーションツール、そのような気持ちで、百人一首の意訳と解説を試みてみたいと思います。

逢坂の関〔第10番歌〕

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

【意訳】嗚呼! 人々が逢って別れて、そしてまた逢ってまた別れていく。知っている人も知らない人も、みな同じだ。嗚呼! ここはまるで会者定離! ここがあの有名な、逢坂の関なんだ! 逢って別れるその様子は、人生そのものだなあ・・・。

【解説】「逢坂の関」は、今の京都府と滋賀県の境にある逢坂山に設置された関所です。そこでの行き交う人々が離合を繰り返す様子を描写した歌です。

百人一首を解説した資料をいくつか紐解くと、作者は盲目であったという記述が多く見られます。もしそうだとするならば目が見えないからこそ、まるで見ているかのように描写できたのかもしれません。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-①

地名に使われている「逢」ですが、歌の中では「出会う/対面する」という意味で使われています。

ただ、「逢う」は喜びですが、「逢う」は同時に「別れ」という悲しさも内包しているということを、当時の人々は、きっと現代よりも十分に理解していたのだと読み取れます。

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逢はむとぞ思う〔第20番歌〕

わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思う

【意訳】あなたに恋焦がれて悩み苦しんでいる私ですから、浮名が立とうが立ちまいが同じことです。私はたとえ、この身を滅ぼしたとしても、あなたとの逢瀬を果たしたいのです!

【解説】「難波」は歌枕、「身をつくしても」は、” 身を尽くす ”と” 澪標「みをつくし」(舟の航行用に立てられた杭)”の掛詞。

この二つの言葉が解釈を難しくしています。もしも、古典って難しいなぁ・・と立ち止まってしまう時は、分からない部分は横に置いておいて、分かることだけを味わってみましょう。

下の句「身をつくしても 逢はむとぞ思う」から、「身をつくしても逢う」という強い気持ちを伝えようとしていることが分かれば、この歌の鑑賞はそれで十分だと私は思っています。

この歌の「逢う」は、ズバリ好きな人に会うための「逢う」で、今風に言えば「絶対になにがなんでも、私はあなたに逢ってデートします!」という意味で使われています。

古語の「逢う」には「男女が関係を結ぶ」という意味があります。このことを知ってこの歌を詠むと、歌枕や掛詞は単なる装飾であって、「あなたと寝たい」という気持ちを直截的に伝えていている、欲望丸出しの歌ようにも思えます。

そのくらい、思いを直接的に伝えていることを考えると、この歌の送り手と受け手の関係は、既に出来上がっていて、ラブラブの関係にあると思われます。

古語の「逢ふ」という意味から推測して、いきなり「逢いたい」を、これからお付き合いしようとする相手には使っては欲望丸出しです。そういう場合に「逢ふ」は使わないだろうと、私は思うからです。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

あなたに会って、あなたとデートしたい、あなたと愛しあいたい・・・という意味です。

逢坂山の〔第25番歌〕

名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな

【意訳】”かづら” をそーっと自分の元へたぐり寄せるように、誰にも知られずにあなたをたぐりよせて、あなたに逢う方法がないものでしょうか・・。私はあなたに逢いたいのです。

※ ” かづら ”:つる状の植物の総称。太いものは吊り橋の材料にもなります。次の写真は「さねかづら」という名の”かづら”です。

(画像:さねかずら/出典:photo AC)

【解説】この歌は沢山の技巧が使われています。いろいろな資料を参照しないと理解することは難しいです。なぜ技巧だらけなのか・・というと、二つの理由が思い浮かびます。

ひとつは、「あなたと逢って寝たい」という気持ちをそのまま言葉通りに伝えるのは欲望丸出しと思われて、嫌われてしまうかもしれないこと。

ひとつは、技巧を凝らすことによって能力の高さを見せびらかしたかった(当時、歌を詠む能力は価値あるものとされていました)・・と、あくまで私の想像です。

つまり「逢って寝たい」という気持ちを、技巧自慢というオブラートで包んだ歌なのです。

※ 技巧の極めつけはコレ「さねかづら」

各々の技巧は百人一首の専門書籍に任せますが、私が思う極めつけは「さねかづら」です。この語句には、植物の名前の「さね」「さ寝(一緒に寝ること)」が掛詞になっています。さらに、「さ寝」「逢ふ」の縁語なのです。

百人一首には、ただ読めば意味をつかめる歌もあれば、この歌のように資料の助けを借りないと意味をつかめない歌もあります。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

第20番歌と同じように、ここでも「あなたに会って、あなたと寝たい、関係を結びたい」という意味で使われています。

逢ひみての〔第43番歌〕

逢ひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

【意訳】あなたに逢って契りを結んでからの悶々とした思いは、あなたに逢う前の悶々とした恋煩いなんか比べものにならないくらい強いです。それくらい、わたしはあなたのことを思っています。ああ、あなたに逢えてよかった!

【解説】特に技巧はなく、言葉の通り、わかりやすい歌です。

男女の関係になった後は、それが当たり前になり、恋する気持ちに新鮮さが失われる場合があります。でも、この作者は「契りを結ぶ前よりも今の方が断然好きです。わたしのあなたへの思いは益々強くなっています」という気持ちを伝えたかったのだと思います。

ますます好きになっていく気持ちを表している・・・とても美しい歌だと、私は思います。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

男女の関係を結びたいという欲ではなく、既に男女の関係を結んだという事実として使われています。

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逢ふことの〔第44番歌〕

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

【意訳】もう二度と逢わないのなら、この恋を恨むことはないと思います。でも、なんとかして逢いたいのです。そんなことを思うと、かえって思い切りのわるいあなたを、そして辛い思いをしている私も、恨んでしまいます。許されない恋は苦しいものですね・・。

【解説】難しい歌だと思います。でも、100回声に出して詠めば、なんとなく伝わってきます。難しい語句は、二句の「絶えてしなくては」・・これは仮定です。

つまり、上の句は「もしも、逢うことを(デートすることを)止めてしまったら・・」という仮定なのです。・・何故、デートを止めてしまったら・・と思うのでしょうか?

それは、周囲に愛される二人の仲ではなく、密会するような不倫の恋だからです。

つまり、逢わなければ、不倫の恋の苦しさ(思うように逢えない苦しさ)とな無縁になるわけなので、「人をも身をも 恨みざらまし」(あなたのことも、私自身のことも、恨むことはないのだろうに・・)というわけです。

不倫などしなければ、こんな悩みは生まれません。

・・・と考えれば、この歌はなんとも我がままで自分勝手な気持ちを詠っているだけの、つまらない歌のように、私は思います。

でも・・・、

世間には因果応報という理解もあります・・恋をすれば、恋の喜びもあれば恋の苦しみもあります・・それでも、恋をする・・苦悩する・・それが恋というものなのですね・・というところまで想像できると、この歌は意味深いものになります。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

ずばり「男女が関係を結ぶ」、今の言葉で云えばデートです。

「逢うことが途絶えてしまう」「人をも自分も恨む」という感情を、「逢う」が持つ意味の中に当てはめて自然なのは、「逢う」=「男女が関係を結ぶ」と理解したときです。

そう考えると、この歌の解釈は一気に進みます。

「絶える」⇒ 逢えない仲、つまり不倫、だから苦しい・・・もしも逢わなければ・・⇒ 下の句の「恨みざらまし」(恨むこともないのだろうに・・)という心境が生まれるのです。

逢ふこともがな〔第56番歌〕

あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

【意訳1】あの世に行く前に、もう一度あの人に逢わせて下さい、神様仏様、お願いです!

【意訳2】私の命は、この先、もう長くはありません。ああ、もう一度あの人に会いたい。会って、あの世へ持っていく思い出としたい。今一度、今一度、あの人に会えるように願っている私です。

【解説】もしも余命宣告を受けてしまい「もう一度会っておきたい人は誰ですか?」と問われたら、誰に会いたいですか? ・・・あの人に会いたい! ・・・そういう歌です。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

この「逢う」も「男女が関係を結ぶ」「デート」のことです。

死ぬ前にもう一度デートしたい・・・大好きなあの人との恋を肌で感じることこそが、この人生を一生懸命に生きて来たと確かに思える、云わば生の証なのでしょう

そう考えると、それはそれで美しいものに昇華していくような気がします。

めぐり逢ひて〔第57番歌〕

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

【意訳】雲の間から、やっと出てきたお月様。やっと顔を見せてくれましたね。なのに、私がもう一度首を上げたら、あなたはもう雲の間に隠れて見えなくなっていました。・・・ああ、あなたに逢いたかった。でも、やっと逢えたと思ったのに、もう逢えなくなるなんて・・人生の出会いと別れも、すぐに見えなくなってしまう月のようです。ああ「人生はせつないもの」「人生ははかないもの」なのですね。

【解説】この歌は、作者の元に旧友が訪ねてきたのですが、その姿をちらっと見ただけで、旧友はすぐに帰っていってしまった時のことを、雲にすぐ隠れてしまったお月様の比喩として歌っています。ちなみに「めぐる」と「月」は縁語です。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-①

この「逢ふ」は、懐かしい友との「再開」に使われています。

月の見え隠れは自然の摂理、そして人の「出会いと別れ」も自然の摂理と同じようなものだと言いたかったのかなぁ・・と私は感じています。

「逢う」は「別れ」も内包していると考えると、この歌での「逢う」は、「人生そのもの」の代名詞的使い方をしているといえます。「逢ふ」=逢って別れる、また逢ってまた別れる=「それが人生」なのです。

さすが、紫式部です。「逢ふ」を男女の契りの意味で使うことはしていません。「逢ふ」という言葉に「せつない人生」「はかない人生」を連想させるだなんて、その視野はとても広いものだと言えるでしょう。

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よに逢坂の〔第62番歌〕

夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

【意訳】あなたがどんなに企んでも、私はあなたに逢うことは決してありませんよ!

【解説】この歌は、作者が他者と歌のやりとりをしていた中での一句なので、この歌だけで解釈を試みるのは無理があります。なので、少しだけ、事の成り行きを説明いたします。

1.清少納言(作者)は、藤原行成と話をしていて、盛り上がっていました。

2.でも藤原行成は、何か訳があって、清少納言の元から自分の屋敷に帰ってしまいます。

3.藤原行成は、清少納言に言い訳の手紙を送ります。それは「昨晩は鳥が鳴いたので帰りました」という内容でした。(鳥が鳴く=鶏が鳴く=朝が来る)

4.清少納言は「函谷関の故事(鶏鳴狗盗で有名)」を引き合い出し、「鳥が鳴いたというのは、鳥の鳴き声で朝だと思わせて、そうやってだまして函谷関を開けさせたのと同じね」と皮肉って返します。

5.藤原行成は「函谷関ではなくて、逢坂の関のことです」と清少納言に返します。藤原行成は、「逢坂の関」は「出会い」=出会いは「男女の仲」・・・つまり清少納言に「あなたと男女の関係を結びたい」と暗に伝えようとしたのです。

6.清少納言は、藤原行成の ”安易な思い” と、その ”安っぽい形容” に怒り心頭! 「あなたと一緒に逢坂の関を超えるなんて(あなたと寝るなんて)、わたしはしませんよ! ばーか!」と言ったか言わないかは、わかりませんが、そんな気持ちで詠んだ歌が、この歌なのです。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

「よに逢坂の 関はゆるさじ」は、「決して逢坂の関を一緒に超えることはゆるしません」という意味です。「逢坂の関」は第十番歌にもありました、出会いと別れの場です。

つまりそれは、男女の仲をも暗示しています。なので「ゆるさじ」とは「あなたと男女の仲になることは決して許しません(決してそんなことはしません)」という意味なのです。

つまり、他の多くの歌と同じように、この歌でも「逢」は「男女が関係を結ぶ」という意味で使われています。

他の「逢ふ」を使った歌が「逢いたい」という欲求を表しているのに対して、この歌はそれを否定しています。清少納言は「逢ふ」を安易(デートしたい)には使っていないのです。清少納言という大御所の貫禄みたいなものを、私は感じてしまいます。

逢はむとぞ思ふ〔第77番歌〕

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

【意訳】見てごらんなさい、川の流れを。川の流れは岩にぶつかって二手に分かれても、またひとつになるのです。私とあなたも、今は離れ離れになっていますが、必ずや逢ってひとつになりましょう!

【解説】語句で?と思うのは「せかるる」だと思います。これは「せく(塞ぐ)(堰く=堰き止める)」⇒「せきとめられた」という意味です。

それだけ分かれば、あとは情景を想像してみましょう。

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:「川の早い流れが岩にぶつかって、滝のように勢いよく二つに分かれている」⇒ 「私とあなたの情熱には邪魔が入って、二人の仲は引き裂かれてしまった。ああ、悲しい!」

:そして下の句で「たとえ別れても、また必ずや逢って一緒になりましょう!」 と熱い思いを伝えています。

<「逢ふ」の使われ方・意味>2-(1)-③

ずばり「男女の関係を結ぶ」を意味しています。

「滝川の われても末に」⇒ 川の流れは二手に分かれてもひとつになります・・・「逢はむとぞ思ふ」⇒ 私達二人は川の流れと同じです。必ず逢いましょう!・・・という強いメッセージが伝わってきます。

”川の流れはひとつになる” は「男女が一緒になる」ことの比喩です。

岩にぶつかって二手に分かれた川がまたひとつになる・・ひとつになることを拡大解釈すれば、この歌はとても情熱的に、婉曲なのに直接的に、相手への思いを込めた歌だといえるでしょう。

※〔参考〕作者の崇徳院は、日本史で習う「保元の乱(1156年)」(崇徳院と後白河天皇との勢力争い・源平合戦はここから始まります)の当事者です。そこに至る経緯やその後のことなども含めてこの歌を詠むと(この歌を詠んだのは1150年、崇徳院が32才の頃)、この歌に込められた崇徳院の情念みたいなものを、より多く感じることができます。

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5.まとめ:「逢ふ」=「男女が関係を結ぶ」なんと多いことでしょうか!

まとめてみると「逢ふ」という語句を詠みこんだ九首のうち、七首の「逢ふ」が「男女の関係を結ぶ」という意味で使われていました。

百人一首は元々、恋の歌が多いことで知られています。ネットで検索すると「百人一首には恋の歌が43首あります」と多くの記事がヒットします。でも私は、何故十五番歌〔君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ〕が含まれていないのか不満を覚えます。

まあ、それは横に置いておいて・・・

百首の内の七首に、「逢ふ」を「男女が関係を結ぶ」という意味で使われていることは、百人一首に恋の歌が多いことも含めて、当時の人々は「逢ふ」ことがより多くの関心事であったことを物語っています。

もしくは・・・

選者である藤原定家の関心事であった、

又は・・・

藤原定家は、自分が選んだ百人一首が、世間の評判を得られるように意図的な編集をした、

・・・のかもしれません。

<詠みこまれた「逢ふ」の意味>

〔第10番歌〕逢坂の関   :対面、顔を合わせる

〔第20番歌〕逢はむとぞ思う男女が関係を結ぶ

〔第25番歌〕逢坂山の  :男女が関係を結ぶ 

〔第43番歌〕逢ひみての  :男女が関係を結ぶ

〔第44番歌〕逢ふことの  :男女が関係を結ぶ

〔第56番歌〕逢ふこともがな男女が関係を結ぶ

〔第57番歌〕めぐり逢ひて :対面、顔を合わせる

〔第62番歌〕よに逢坂の :男女が関係を結ぶ

〔第77番歌〕逢はむとぞ思ふ男女が関係を結ぶ

結論・・・恋愛はいつの時代でも重大な関心事なのですね。

(画像はイメージです/出典:photo AC)

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かとうあきら

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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