恋に「攻める恋」と「待つ恋」があるとしたら、みなさんはどちらのタイプでしょうか。
小倉百人一首には、女性側の「待つ恋」を題材にした恋歌が選ばれています。
この頁では、小倉百人一首に詠われている「待つ恋」とはどのような心境だったのか・・みなさんと一緒に、それらの恋歌を詠んで味わってみたいと思います。
ただ、ひとつだけ、事前に入手しておいた方が良い知識があります。それは、日本の飛鳥時代から平安時代の貴族社会に多く見られた「通い婚」という慣習です。「妻問婚(つまどいこん)」とも呼ばれ、夫が妻のもとに通う婚姻の形態がありました。
百人一首に見られる「待つ恋の歌」は、そのような背景の中で詠まれているようです。
そしてまた、男が女のもとへ通う行為は、婚姻関係でなくても多々あったようです。そのことも、知った上で、以下の三首を味わいくださいませ。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
なお、解釈は意訳【Free translation)】です。百人一首に関する直訳は既存の資料が沢山あり、簡単に手に入ります。そして私は、意訳する方が、歌の解釈をより広げて、楽しめると考えているからです。
1.待たされ続けて、季節はもう秋

今来むと いひしばかりに ~
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出づるかな
【意訳】
ねえ、あなたは「すぐに行くよ」って言ってくれたわよね。だから、私は毎晩毎晩、あなたが来るのを起きて待っていたのよ。なのに、季節はもう秋、9月よ! 今日もあなたを待って一晩中起きているうちに、あらいやだ、有明の月が出ているじゃあない! また朝になってしまったわ。わたしはあなたを、いったいいつまで待ち続ければいいの! もう、いや!

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
「今来むと」:待ち受ける方からみた言い方で、「すぐに行くよ」という意味です。
「有明の月」:夜が明けてもなお、空に残っている月の呼び方。時間的には「夜明け」を示しています。
「待ち出づるかな」:待っているうちに(有明の月)が出てしまったよ。実際は「出る」わけではなく、空に残っている月を指しています。
この歌の作者は素性法師(そせいほうし)という男です。男が女の立場を想像して詠んだ歌です。このことを知ると、男の傲慢さが見えてきて、この歌が空々しく聞こえてくるのは私だけでしょうか。
この歌は、長い間待っていることは分かりますが、いつから待っているのかはわかりません。ただ「待ち続けること」に、いくばくかの辛さ、憐れを感じさせることによって、「男どもよ女性を待たせるな」と伝われば、それで良いのではないか、私はそう感じています。
私は思います。待ち続けている間に、もしも他の男が来てくれて、もしもその男が気に入れば、一度はつきあってみて好きな男と比較をするという選択が多いのではないかな・・女性はとても現実的だと、私は私の経験から感じています。
そう思うと、この歌に、身勝手で傲慢な、男の無意識の意識を感じざるおえません。
そのようなことを考えると、詩歌というものは、作者のことなどの背景を知らず、ただ語句と語句の構成から読み取れる感慨だけを味わっていた方が、その価値は高いと思われます。

この歌をただ詠めば、待ち続ける身の、切なさ、辛さ、やりきれなさだけが、心の表面に浮き上がってきます
朝方の空に、ぽつんとひとつ、夜に取り残されたように残るお月様。それは、好きな人を独りで待つ自分の心の象徴です。
そのような視覚情報も想像しながら詠めば、この歌は心にも情景にも響く、きれいな歌だと思います。
2.待たされて、もう朝。あなたの馬鹿・・

嘆きつつ 独りぬる夜の~
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
【意訳】
ねえ、あなた。あなたは今日も来ないのね。今日も私を独りにさせたまま、あなたはいったい、どこで何をしているの? あなたが来ないことを嘆きながら、あなたを待って独り寂しく寝る夜の、夜が明けるまでの長い時間が、どんなに長い時間なのか、あなたに分かりますか? あなたには分からないでしょうね。あなたの馬鹿、わたしを独りにしておいて・・・。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
意訳の最後に「あなたの馬鹿・・・」と書きました。直訳では、このような表現は存在しません。ただ、歌全体の意味からは、詠み人が相手に向かって「あなたの馬鹿、わたしを独りにしておいて・・」と思っているように、私は感じています。
詩歌の楽しみは、このように解釈を広げていくところにあります。学校で勉強するような、たったひとつの正解を求めることは、一切しなくてよいのです。自由に味わっていきましょう。
もちろん、そのベースには、きちんとした直訳は必要です。
「独りぬる夜の」:「ぬる」は「寝る」という意味。文法では「寝(ね)」の連体形。
「明くるまは」:「(夜が)明けるまでの間は」

「あなたの馬鹿、わたしを独りにしておいて・・・」から、さらに想像を膨らませると、その先はこうです。
「・・・わたし、浮気しちゃうかもしれないわよ。あなたはそれでもいいの! ねえ、あなた?」
と、私は想像しました。詩歌の味わい方、楽しみ方は、このように、想像を広げていくところにあります。
3.夜があけるまで待つのなら、寝ていたのにね。

やすらはで 寝なましものを~
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
【意訳】
なんだ、あなたが最初から来ないと分かっていたら、私はためらうことなく寝ていましたよ。あなたが来るのを待ち続けていたら、ほら、夜は明けて、お月様が西の空に傾いているじゃあないですか。もう朝よ。あ~あ、寂しい。来るときは来る、来ないときは来ないって、はっきり言ってよね。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解釈】
「やすらはで」:「ためらうことなく」という意味。音からは現代語の「休む(やすむ)」を想起してしまいますね。でも、休むではありません。「休まないで」とすると、歌の意味が通じません。
「小夜」:小さい夜、短い夜・・ではありません。「小(さ)」は語調を整えている接頭語です。名詞だけでなく動詞や形容詞にも付けて使います。
意味が通じない時には、ためらわずに古語辞典を開きましょう。それを繰り返していくと、古典はもっともっと楽しく味わえるようになります。
「やすらふ」には、もうひとつ、「とどまる」「足をとめる」「滞在する」という意味もあります。”留まる”という意味があることを思えば「休む」という意味に変化したのかな、とも思いますが、定かではありません。
「好きな人が家にやって来るのを、夜通し待って朝になってしまった。あなたは来なかった」という状況です。夜通し起きていたら、身体は辛いものです。昼間眠たくてしかたがありません。
デートで夜通し起きていて朝を一緒に迎えるなら、悦びに浸れるでしょうが、ただ待つだけの徹夜は心身に響きますね。だから「来ないとわかっていたら、とっくに寝ていたのに」という心境になったのです。

さらに、想像を膨らませると、意訳にように、相手を責める気持ちが心の底にわいてきているかもしれません。なので・・、
「来るなら来る、来ないならこない、はっきり言ってよね」という思いにつなげてみました。
当時、男は夜に女の家を訪れて、夜通し一緒に過ごし、そして朝になったら女の家から自分の家へ帰る、という慣習だったそうです。
三首とも、夜通し待ち続けて朝になっているのは、そのためです。
どの歌も、その表現はおとなしいですね。詠む人の表象【Representation】を豊かにするための小道具として、「夜」「月」「長月」「有明の月」「夜」などが用いられています。
朝方、西の空に残る月。それは「夜通し独りぼっちだった私」を象徴しているように、私は思います。
西の空に傾いている月に、独り目をやる私。月が沈んでしまったら、この恋も終わり・・かも。そんな不安を抱かせる、切ない情景のように感じるのは、わたしだけでしょうか。
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さて、恋に悩みは尽きません。恋と苦悩は裏腹なのです。以下の記事も参考にしてくださいませ。
【参考】百人一首/恋は苦悩/恨み、後悔、孤独、失意の歌/恋歌四首
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読んでくださり、ありがとうございます。