月を詠んだ恋歌/百人一首21/有明の月/長月/今来むといひし~


日本の有名な歌集「百人一首」に収められている和歌の中から、「月」を詠んでいる恋歌をご紹介いたします。

百人一首/第二十一番歌

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今回は第二十一番歌です。

作者は素性法師

平安時代前期から中期にかけて、歌人・僧侶として活躍されたようです。

男性ですが、この歌では女性の気持ちに立ち、女性が持つであろう感情を歌にしています。

なので、作者の気持ちを想像するときは、傲慢と思われるかもしれませんが、女性の気持ちになりきって想像することが求められます。

事前の知識として、当時の慣習「通い婚(妻問婚)」を念頭に入れておいて下さいませ。

夜になると男性は女性の家を訪問し、二人で一晩の逢瀬を楽しみ、男性は朝になると自分の家へ帰る・・というものです。

この歌には「有明の月」が詠まれています。

歌のテーマは恋愛。

この歌は ”恋愛感情を「月」が持つ特性や風情に絡ませた” 恋歌なのです。

そして、鑑賞のキーワードは「有明の月」にかかる「長月の」ではないかと、私は感じています。

恋愛における「ある行為(逢瀬)」と「その心持(逢瀬を待ち遠しく思う心」、

それらが「長月の有明の月」を見て、さらに強くなったようです。

作者は空に浮かぶ「有明の月」を眺めて、「長月の有明の月」が有している情緒に自身の心模様を重ねたのでしょう。

画像例を載せました。情景を想像してみましょう

〔読み〕

いまこむと いひしばかりに ながつきの

ありあけのつきを まちいでつるかな

【 有明の月/例 】

(画像はイメージ、例です/出典:photoAC)

「待ち出でつる」/「つる」は完了の助動詞。「待つ」+「出で」+「つる」⇒「 待っていたら(月が)出てしまいました」「~出てしまった」と訳すのが適当だと思います。

・そこに傾ける心情は、完了を使っていることから、もう後戻りは絶対にできない…という諦めを読み取ることができます。

【有明の月】

(以下、古語辞典より引用)

月が空に残ったまま、夜が明けること。また、その時分。また、朝まで残る月。必ずしも明け方だけをさすとは限らず、陰暦十六日以降の夜更けに出て、翌朝まで残る月をいうこともある。(以上、引用終わり)

〔引用に使った古語辞典/角川 必携古語辞典 全訳版:平成 9年11月初版〕

(画像はイメージ、例です/出典:photoAC)

「今来むと~」を、意訳してみました

「有明の月」=朝であることがわかります。

「有明の月」「待ち出でつる」とを併せることで、男はもう来ないという事実(それは悲しくて辛いこと)を伝えています。

「有明の月」は、「来ない貴方」のその印、「貴方が来ない」ことの象徴なのです。

ここには、「残念」「悔しい!」「怒り」・・その他に、もしかして「貴方という人を選んで、そして期待してしまったことへの自責の念」があったかもしれません。

「長月」は旧暦の「9月」の呼称で、現代の暦でいうと9月下旬から11月初め頃のことです。

秋の気配を感じる頃になると「最近、日が暮れるのが早くなったわね」なんて言い方をしませんか?

昼間の時間が短くなった分だけ、夜が長くなります。

「今来むと」(今から行くからね)と貴方が口にしたのは・・・きっと、秋より前の季節・・夏だったのでしょう。

でも、今は長月。それなのに、貴方はまだ来ない。

そして、昨晩も来なかった・・・。

「長月」には、

という意味が込められていると感じます。

そして「長月の有明の月」には、

という悔しい思いが鬱積しています。

止まれ!

この歌は、男が女の立場に立って書いています。

これだけ女性の気持ちを分かっているのなら、とっとと筆をおいて、女性の元へ行ってあげてください! って言いたくなりませんか?

女性の悔しい気持ちを歌に詠むだなんて、素性法師は随分と傲慢で横柄な男だと思います。

こんなところにも、第二次世界大戦後まで続いた、そして今もなお取り沙汰されるここともある”男尊女卑”の心根が見え隠れしています。いやですね。

感情の動きを自然現象に絡めて表現しているところには、とても美しさを感じます。

ただ、男が女性の立場に立ったつもりで詠んでいることに傲慢さを感じてしまい、私はこの歌をあまり好きにはなれません。

読んでください、ありがとうございます。

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