※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。
【車止めで一息87】
家へ帰ろう

(画像はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お婆ちゃんお爺ちゃんのこと、
気になりませんか?
少しだけでもいいので気にしてみて下さい。
それは、人生最期の自分の姿…なのかもしれません。

家ではもう介護できなくなってしまった・・年老いた親のこと。
その代替え機能として存在するのが老人ホームなどの介護施設です。
そしてそこは終の棲家です。
終の棲家なのですから、いつか必ず終の日をそこで迎えることになります。
それは、ホーム全体が悲しみに暮れる時です。
ご家族様にとっては、万感の思いでいっぱいになることでしょう。
その思いを、スタッフは想像しても知ることはありません。
でもたまに、漏れ聞こえることがあります。
・・・・・
その日、その時のそれは、
後悔してもしかたのない、悲しい思いでした。
【 家へ帰ろう 】
車止めで一息 87
家へ帰ろう
部屋の引き戸を開けた。
もう何度も一緒に歩いた廊下がそこにある。
あなた様とはもうこれが最後だ。
ダイニングへは行かない。
庭に出て季節の花を愛でることもしない。
屋上に上がり遠い景色を眺めることもない。
あなた様を乗せた寝台は進んだ。
もう何度もお喋りしながら歩いた廊下を黙って進んだ。
あなた様とはもうこれが最後だ。
エレベーターを独り占めした。
あなた様を両側で見守るスタッフとご家族様。
扉が開けば玄関へ向かう。
あなた様は皆に囲まれた。
顔を覆っている白い布が除けられた。
あなた様とはもうこれが本当に最後だ。
沢山お世話をする機会をくださり、
本当にありがとうございました。
優しくて穏やかな安心しきったお顔だった。
合掌する沢山の手。
お別れの言葉が重なり合う。
あなた様と過ごした時が今渦巻いている。
蘇るのは息子さんの吐露。
それは重圧を解き放った悲鳴。
あなた様が寝台に移された時だった。
ごめんね、母さん、独りにさせて。
ごめんね、母さん、寂しかったね。
ごめんね、母さん、もう大丈夫だよ。
母さん、さあ、家へ帰ろう・・・。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【 詩 境 】
詩 境
この作品のような場に立ち会えることは稀で、私にとっては貴重な経験です。
過去の作品に「死前喘鳴/大涅槃図」があるのですが、私はその時、玄関までのお見送りには行けませんでした。他の方への介助があったからです。
この方の場合、昼間の丁度スタッフの出勤が厚い時間帯でもあり、お見送りに立ち会うことができました。その時、ご家族様が漏らした言葉には涙するしかありませんでした。
*
老人ホーム。
特に夜。
介護ベッドに独り寝る夜は、寂しいだろうなぁ…と、想像しています。
自分だったら・・あ~やだやだ、そんなのは嫌だ・・と、思います。
そこで働いていながら、すみません。
先日はこんなことがありました。
まだまだお元気なお爺ちゃん。椅子に座り、両脚を開き、その真ん中に立てた杖に両手を重ね、私に向かって自信満々に言いました。
「私が死んだら、あなたの仕事は減るんだよ。私が生きていることで雇用を作り出しているんだ。だから、死ぬわけにはいかないのさ」
・・ごもっともなことでございます。
・・ありがとうございます。
・・でも、本当の貴方様は、何を思っていらっしゃるのでしょうか。
・・貴方様の部屋の机に整然と並べられた本を見れば、貴方様がご活躍されていたことが想像できます。
・・今、ここで、こうやって一人で寝起きしていて、周りは年寄りばかり。
・・冷静な貴方様ですもの、貴方様の本音は、きっと心の奥にあると思います。
そしてそれは、ご利用者様だけでない。
きっと、ご家族様にもあるのでしょう。
*
人はいつも心の奥に秘めていることがある。
でも、それを言っちゃあ、今が成り立たない。
そう思って、ずっと心に留めている。
悲しいけれど、しかたがない。
生きていれば、しかたがないことは、あるものだ。
そして、それを、やっとの思いで吐露したとき、
涙がいっぱい・・・
それは、生きていて、悲しい時。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【今までの作品一覧】
以下にございます。
”介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境”
明日の自分が、そこにいるかもしれません。