介護の詩|死前喘鳴/大涅槃図|老人ホームでの理想的な最期|詩境


【車止めで一息55】

死前喘鳴/大涅槃図

(しぜんぜんめい・だいねはんず)

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、看取りも行っている施設です。

介護/老人ホーム

私はそこで働きながら、人が老いていく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「ああ、老人ホームではこんなことが起きているんだ・・」と知ることで、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀が深まると思ったからです。

そしてさらに、それらは、おせっかいかもしれませんが、老後の生き方を考えるヒントになるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

口語自由詩

車止めで一息 55

死前喘鳴/大涅槃図

(しぜんぜんめい・だいねはんず)

:息が粗くなった。

:変な音がする。

:いつもの看護師が手首で脈をとり血圧を測っていった。

:その日、息子が来た。二人の娘も来た。

:ここのスタッフも入れ替わり立ち代わり来た。

:私はどうやら、もうすぐ逝くらしい。

喘鳴が始まった。

ゼ―ゼ―ゼ―と、苦しそうな呼吸音だ。

延命措置はしないことが確認され、共有された。

その日、あなた様は一日見守られていた。

痩せた身体には大きなオムツ、パッドはきれいなままだった。

明日か明後日か、その時が来てしまうようだ。

:右手には窓がある。明るいのは朝だからなのか、分からない。

:息は粗いままだけれども、酸素が出るマスクは外していいと思う。

:なんだか疲れてきた・・でも、

:私は言葉を思いつかない、ましてや今の私は声を出せない。

:誰かが来た。息子だ。嫁もいるようだ。

:誰かが来た。娘だ。二人とも来た。旦那も一緒らしい。

:孫の可愛い声もする。

:入れ替わり立ち代わり、みんな私のそばに来た。

:いろいろな人の静かな声がしている・・なんだか懐かしい、

:ここの、いつものスタッフさんの声もした。

:よく私を、お風呂に入れてくれた人だ。

:このあいだは寝たままの私の身体を拭いてくれた。

:ちらっと目に入った私の腕はびっくりするほど細くなっていて、

:情けないくらいに頼りない皮膚が骨にしがみついているようだった。

:私はもう長くはない・・・覚悟はできている。

持って今日明日・・・推定される死期が申し送りされた。

喘鳴の音は辛いけれども、和らげてあげたいと思うけれども、

それ自体は死期を告げる現象、家族に説明がなされた。

今は若干の体位調整と口腔ケア以外は、ただ見守るだけだ。

息子さんが奥様と一緒に来た。

二人の娘さんがそれぞれに旦那様を連れて一緒に来た。

セーラー服のお孫さんも来た。

黒い学生服のお孫さんも来た。

スタッフも入れ替わり立ち代わり来た・・そして介護スタッフは、

ご家族へ挨拶をして見守ることが仕事となった。

あなた様の目は窪み、あなた様の肌は青白く見えた。

あなた様の肌着は昨晩のうちに着替えを済ませた。

あまた様のオムツもパッドも交換した。

ゼ―ゼ―ゼ―ゼー、

だんだん大きくなる喘鳴と上下する胸の動きが周囲を黙らせている。

喘鳴が止んだら・・お別れだ。

:さらに息が粗くなったように感じる。

:私の周りを看護師さん、

:そして家族が静かに、でもザワザワと囲んだ。

:半歩離れて、ここの介護スタッフさんたちもいる。

:夫は・・というと、

:輪の外から遠巻きにして車椅子にただ黙然として座っていた。

:認知症の夫は忘れられているみたいだ。

:しかたがない・・と思った。

:その時・・

:私の魂は私の身体を抜けた。

:私は気持ちよく中空に浮くと、

:天井からベッドに寝ている私を見た。

:あははははは、

:これはまるで大涅槃図だ。

:仕事を辞めたとき、夫と一緒に行った京都のお寺で見た、

:あの大涅槃図みたいだ。

:あははははは、

:こんなふうに死ねるなんて、

:私は幸せ者だ。

 ・・・・・

:そう思った瞬間、

:私のゼ―ゼ―は止まった。

:みんな口々に、おかあさんと呼んでいる。

「おかあさん!」

「おかあさん」

「おかあさん・・・」

 ・・・・・

:下の娘が輪の外にいる車椅子の夫に言った。

「おとうさん! おかあさん、死んじゃったのよ!」

:夫は表情を変えない。

:いいや、私が死んだことを分かっていない。

:認知症が進んでししまったのだから、しかたがない。

:私は夫が来るのを天国で待っていよう。

:天国でまた夫に会える。

:その時は、認知症でない、

:あの元気な夫でいるだろう。

:それが、今こうなった自分の、

:唯一の楽しみだ。

それはまるで、

大涅槃図のよう。

幸せな逝き方でした。

さようなら、

〇〇〇〇〇様。

ありがとうございました。

天国でまた会いましょう。

画像はイメージです/出典:photoAC)

この方の看取り介護については、その最期に明確な死前喘鳴があったこと、死期の推定が行われその通りであったこと、そして多くの家族やスタッフに囲まれて幸せそうなご逝去であったこと、それらがとても印象に残る出来事でした。なので、どうしても言葉にして残しておきたく思いました。

死前喘鳴については、私が介護職に就く前、私の父の最期の時にその様子を目の当たりにしており、多少の認識はありました。なので、正直に言えば「あっ、父の時と同じだ」と心の中で思いました。ゼ~ゼ~と喘ぐ姿はとても苦しそうで、気持ちは焦り、心細さに心はギューッと締め付けられます。それらを察して対応することが介護スタッフの役割でした。

この作品は、ご本人様の視座とスタッフである私の視座と、二つの視座を交互に組み合わせて構成しました。ご本人様の部分は事実を元にした私の想像であり、スタッフである私の部分はノンフィクションです。

ご本人様の部分は想像ではありますが、ご本人様の魂が身体から抜けて、天井からベッドで寝ている自分を俯瞰する様子については、まったくの想像ではありません。

実は、私の家族は事故で生死を彷徨い、手術台の上でこのようなこと(魂の離脱)を体験したことがあります。なので、私はそういう現象を信じていて、これを書きました。

大涅槃図は、お釈迦様が多くのお弟子さんに囲まれて他界する様子を描いたものです。京都や奈良などの限られた寺院で閲覧することができます。

老人ホームで生活しているからといって、みんながこのようなご逝去をされるわけではありません。突然の死というのも多々ある中で、この作品のような死に方は、まるで大涅槃図のように幸せだなと、そばで見ていて私は感じました。

この方はご夫婦でご入居されていて、ご主人様は認知症、そして介護認定は要介護5でした。私は、お部屋のチェストの上に飾ってある”若かりし頃のお二人の写真”を眺めながら、先に他界される奥様は、きっと天国でご主人を待っていることだろう・・・そう強く思いました。

【作品一覧】

介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子「車止めで一息」/詩境

読んでくださり、ありがとうございます。