※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。
【車止めで一息 95】
非記憶障害

(画僧はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お婆ちゃんお爺ちゃんのこと、
気になりませんか?
少しだけでも気にしてみて下さい。
そこには、人生最期の自分の姿があるかもしれません。

前作に続いて認知症の記憶障害をテーマにしました。
お腹をおさえて痛い痛いと声を上げ、救急搬送された〇〇様。私は救急車に同乗し、病院では遅れて到着したご家族様と一緒に、医師から病状の説明を受けました。
そして入院、手術。
やっと回復してホームに戻られた〇〇様に私は開口一番言いました。
「戻って来られて、よかったですね」
でも、あなた様は、入院していたことを忘れていて、思い出そうにも思い出すことはありませんでした。それでいいんです。
【 非記憶障害 】
車止めで一息 95
非記憶障害
あなた様に、
昨日は無い。
昨日のことなんか知らない。
退院できてよかったですね。
退院? 入院していたの? わたし?
覚えていなくても、
今のあなた様の生活に支障は無い。
あなた様には、
今だけが有る。
さっきのことさえも記憶に残らない。
朝ご飯、召し上がりましたよ。
ほんと? 食べたの? 忘れちゃったぁ。
覚えていなくても、
今のあなた様の生活に支障は無い。
昨日のことを知らなくても、
さっきのことが記憶に残らなくても、
ここでの生活に不都合なことは何もない。
体操に参加してくださいね。
はい、私からだを動かすの好きなんです。
なんの支障も無く、
楽しく毎日を生きているのだから、
記憶障害、
それは、
障害なんかじゃあない。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【 詩 境 】
詩 境
摺り足でしか前へ進めない人にとって、足元の段差は障害になります。でも、そこが段差ではなくスロープになっていれば、摺り足という歩行障害を認識することなく前へ進めます。その時、障害は存在しません。
もしも、その人と一緒に歩く人がその人に「遅いですね、もっとちゃんと歩いてください」と云ったら、その人に障害を意識させることになります。でも、摺り足のことを話題にしないで、ごく自然にその方の歩調に合わせて歩いてさしあげれば、そこに障害は認識されません。
障害というのは、いわゆる健常者の当たり前に対する相対評価として存在しているものなのです。
そのように、障害というものには、障害を作り出している社会や環境・人の心が、存在しているということを、私達は忘れてはいけないと思います。
*
この作品の方の場合、あなた様は手術したことも入院していたことも忘れてしまい、思い出すことはありませんでした。普段はご飯を食べたことも忘れてしまいます。直近の記憶喪失は認知症の顕著な症状なのです。
でも、忘れたからといって忘れたことがその後の生活に影響することは、今の時点では何もありません。影響することが無いということはつまり、世間でいう記憶障害があっても、それが障害として存在していないのと同じことなのです。
そして周囲も温かく見守り続けています。
上記の作品にはキーワードがあります。五つ目のブロックの三行目の冒頭に「ここでの生活」とあるのですが、その「ここ」がキーワードになっています。「ここ」は私が勤務している老人ホームです。つまり、その方にとっては、世間が評価する記憶障害が、私が勤務している老人ホームでは非記憶障害〔記憶障害に非ず〕であるということなのです。
そして、その「ここ」が、もしも「社会」と置き換えることができるのであれば、それは本当の福祉社会と呼んでよいのだと思います。
環境と社会の取り組みへの工夫と、周囲の温かい心によって、障害は障害でなくなる場合もあるということです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【今までの作品一覧】
以下にございます。