百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を持たせようとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その3首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)
嘆けとて
月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな
百人一首に詠われている月を題材にした和歌の中で、この歌はもっとも難解だと、私は感じています。なぜなら、何度読んでも、いろいろな解説書を読んでも、なかなか心の中に入ってこなかったからです。きっと、私の感性と当時の人たちの感性がずれている証拠ですね、そう思っています。鑑賞する姿勢としては、自分の感性に関係なく、当時の人の感性を時代の検証として読み取らないといけませんね。そう思いました。
この和歌、資料を紐解くと、以下の事柄がわかります。
作者は西行法師(1118年~1190年)。西行は23歳で出家。仏道修行をしながら諸国を旅した漂白の歌人です。
そして、この和歌は、歌会において「月前の恋」という題を与えられて詠んだ歌だそうです。
「月前の恋」というお題なのですから、この歌は恋の歌なんですね。
【一読して】
冒頭に「嘆け」と詠んでいます。
いったい、誰が誰に、何のために「嘆け」と言っているのでしょうか・・?
この一言が、最初で最大の疑問であり、この和歌の意図を端的に語っていると思います。
「月やはものを 思わする」・・・”月を見て、何かもの思いする” というような意味なのかなぁ・・と読めますね。
「かこち顔」って、どんな顔なのでしょうか? この「かこち」が分かりません。
難解な言葉は「かこち」だけでしょうか・・。
「かこち」は、”かこつ” ”かこつける” ・・・つまり「誰かのせいにする」という意味です。
なので、
その前の言葉の「月やはものを 思はする」から続けて詠んで、「もの思いを、月のせいにしている私の顔」というような意味になります。
【直訳】
月が「嘆け!」と言って、
わたしに物思いをさせようとしている。
物思いを月のせいにしている私の顔に、
涙が流れてきたよ。
【意訳】Free translation
生きていると、いろいろ辛いことがあるものだ・・・なんだか、涙が出てきてしまったよ。
夜空を見上げれば、そこには、煌々と輝きながら夜を照らしているお月様。
お月様をじーっと見ていると、
お月様は、まるで、わたしに、
「辛いなら嘆いてみれば? 嘆いていいんだよ。さあ、嘆きなさい!」って、言っているようだ。お月様は、それくらい、煌々と自信を持って輝いている。いいなあ~、お月様は。
・・・・・
そうだ、この涙は、辛いからじゃあない。
お月様があんまりにも美しいから流れてきた・・・そういうことにしよう。
お月様、ごめんね。
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百人一首には数多くの解説書があります。それらを読むと、この和歌が恋の歌であり、~恋煩いという物思いを月のせいにしている~という解説が多々あります。
それはそれでかまわないのですが、和歌や詩というもの、いちいち解説を読まなければ、その意図が伝わらないなんて、和歌としての詩としての本当の役割を果たしていません。
なので、上記の意訳では、
作者が西行であることも、歌会で「月前の恋」というお題で詠まれたものであることも、そして恋煩いの歌であることも・・・みんな知らないものとして、解釈してみました。
つまり、冒頭の「嘆く」に着眼して、鑑賞し、意訳してみました。
そうすれば「嘆き」の中に恋煩いも含まれますから、後になって解説書を読んでみても、その理解に大きな差はないと思います。
「歌や詩は、感じるもの」だと思います。
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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
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