日本の名月③/嘆けとて 月やはものを思はする~/百人一首86番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を持たせようとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その3首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

嘆けとて

月やはものを 思はする

かこち顔なる わが涙かな

百人一首に詠われている月を題材にした和歌の中で、この歌はもっとも難解だと、私は感じています。なぜなら、何度読んでも、いろいろな解説書を読んでも、なかなか心の中に入ってこなかったからです。きっと、私の感性と当時の人たちの感性がずれている証拠ですね、そう思っています。鑑賞する姿勢としては、自分の感性に関係なく、当時の人の感性を時代の検証として読み取らないといけませんね。そう思いました。

この和歌、資料を紐解くと、以下の事柄がわかります。

作者は西行法師(1118年~1190年)。西行は23歳で出家。仏道修行をしながら諸国を旅した漂白の歌人です。

そして、この和歌は、歌会において「月前の恋」という題を与えられて詠んだ歌だそうです。

「月前の恋」というお題なのですから、この歌は恋の歌なんですね。

【一読して】

冒頭に「嘆け」と詠んでいます。

いったい、誰が誰に、何のために「嘆け」と言っているのでしょうか・・?

この一言が、最初で最大の疑問であり、この和歌の意図を端的に語っていると思います。

「月やはものを 思わする」・・・”月を見て、何かもの思いする” というような意味なのかなぁ・・と読めますね。

「かこち顔」って、どんな顔なのでしょうか? この「かこち」が分かりません。

難解な言葉は「かこち」だけでしょうか・・。

「かこち」は、”かこつ” ”かこつける”  ・・・つまり「誰かのせいにする」という意味です。

なので、

その前の言葉の「月やはものを 思はする」から続けて詠んで、「もの思いを、月のせいにしている私の顔」というような意味になります。

【直訳】

月が「嘆け!」と言って、

わたしに物思いをさせようとしている。

物思いを月のせいにしている私の顔に、

涙が流れてきたよ。

【意訳】Free  translation

生きていると、いろいろ辛いことがあるものだ・・・なんだか、涙が出てきてしまったよ。

夜空を見上げれば、そこには、煌々と輝きながら夜を照らしているお月様。

お月様をじーっと見ていると、

お月様は、まるで、わたしに、

「辛いなら嘆いてみれば? 嘆いていいんだよ。さあ、嘆きなさい!」って、言っているようだ。お月様は、それくらい、煌々と自信を持って輝いている。いいなあ~、お月様は。

・・・・・

そうだ、この涙は、辛いからじゃあない。

お月様があんまりにも美しいから流れてきた・・・そういうことにしよう。

お月様、ごめんね。

百人一首には数多くの解説書があります。それらを読むと、この和歌が恋の歌であり、~恋煩いという物思いを月のせいにしている~という解説が多々あります。

それはそれでかまわないのですが、和歌や詩というもの、いちいち解説を読まなければ、その意図が伝わらないなんて、和歌としての詩としての本当の役割を果たしていません。

なので、上記の意訳では、

作者が西行であることも、歌会で「月前の恋」というお題で詠まれたものであることも、そして恋煩いの歌であることも・・・みんな知らないものとして、解釈してみました。

つまり、冒頭の「嘆く」に着眼して、鑑賞し、意訳してみました。

そうすれば「嘆き」の中に恋煩いも含まれますから、後になって解説書を読んでみても、その理解に大きな差はないと思います。

「歌や詩は、感じるもの」だと思います。

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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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