日本の名月④/心にも~恋しかるべき夜半の月かな/百人一首68番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その4首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

心にも

あらで憂き世に ながらえば

恋しかるべき 夜半の月かな

この和歌に、難しい語句はありません。使われている言葉は、ほぼ現代語に近いものであり、一読すれば、言葉の意味は想像できるのではないかと思います。

ただ、もしも、この和歌を味わう人にアドバイスをさせていただく留意点があるとしたら、おそらく「語句のつながりをよく見てください」とお伝えすることになるかと思います。

【留意点】

上の句は、「心にも」「あらで憂き世に」「ながらえば」ではなく、

「心にもあらで憂き世に」とつなげて、そして「ながらえば」と、詠んでみてください。

それでは、

「心にもあらで憂き世」とは、どのような「憂き世」なのでしょうか。

「憂き世」の「憂き」は ”憂い(うれい)” を想像してみてください。

”憂い” は、たとえば「備えあれば憂いなし」とか「憂いのある表情」などのように使われます。

憂鬱(ゆううつ)という語句を想像すれば、その意味は「不安」「心配」「危惧」「案ずる」などですから、この和歌の”憂き” とは、「不安な~」「心配な~」「危惧する~」「案ずる~」という意味であることがわかります。

そして、憂いを形容している冒頭の「心にもあらで」・・・

この「あらで」は、”有る/在る” と想像できるので、そのまま解釈すると、「心にもあらで」は「心にもない」とか「心のあるままではない、つまり本意ではない」・・・というような意味と解釈できます。

つまり「自分の思うようなものではない」「自分が望んでいるものではない」という意味ととらえてかまいません。

なので、上の句の「心にも あらで憂き世に ながらえば」は、

” わたしが思っているようなものではない不安な世の中に、長く生きていったら” というような意味と解釈できます。

そして、世の中を ”人生” に置き換えれば、

” わたしは、こんな人生、望んでいない! それなのに、この先もまだ生きていくのであれば” ・・というような意味になるかと思います。

【直訳】

私が望んでいるものではない、

この不安な世の中、そして人生を、

この先も長く生きていくのであれば、

(いつかきっと)この夜半の月を

恋しく思うときがあるのだろうな・・・。

【焦点】

作者は、人生を長い時間軸でとらえています。

それがわかるのが「ながらえば」という表現です。

「~ば」は仮定を表しています。長く生きるのであれば・・・、

そう思う時点で、”まだ自分は生きていくんだ” という詠み人の意志がそこに見えます。

ここの部分、とても大事だと思います。作者は、世の中を”憂き世” と思いながらも、まだまだ生きていきたい! と思っているのです。

その思いをわかってさしあげることが、この和歌の鑑賞の焦点だと思います。

ならば、なぜ、そのように思ったのか・・・そこに、作者の心情を読み取ることができるのではないでしょうか。

ただ、この、五七五七七の語句だけからは、具体的な事柄は想像がつきません。

でも、人は皆、生きていれば色々な「不安」は「心配事」を抱えます。なので、それらを重ねあわせて、この和歌を味わえばいいのではないかな・・・、私はそう思っています。

【実際のこと】

資料を紐解くと、作者は三条院(976年~1017年)といって、第67代の天皇です。当時は藤原道真が摂関政治の頂点に君臨しておりました。そして、理由はよくわかりませんが、藤原道真は三条院を疎んじていたそうです。

そして、三条院は皇太子となってから25年間も天皇にはなれず、やっと天皇になったと思ったら、たったの5年でその在位を追われたそうです(次の天皇に譲位されています)。そして、譲位後には、暫くしてから出家されて、42歳という若さで崩御されています。

三条院はその在位中、目の病を患われたり、内裏が火事になったりして、順風満帆とは程遠い状況だったようです。そのような状況であったため、三条院はこの世の中を ”憂き世” と呼び、つらい思いをされたのだと思われます。

※ただ、そのような作者の置かれた背景を知らなければ、詠んだ和歌を味わうことができないのでしょうか? もしもそうだとしたら、和歌を味わうときに、いちいち作者の生い立ちや、その和歌を詠んだ時の環境について調べないといけません。

それでは、作者が、やっとの思いで五七五七七におさめた言葉に、重みがなくなってしまいます。解説書を片手に詠む和歌や詩なんて、言葉の響き、言葉の魂を信じていない証拠です。

和歌も詩も、そして俳句だって、ただただ、それらの言葉だけからイメージできる感情なり情景なりを、自分の世界と重ね合わせながら共感していくところに、鑑賞という楽しみがあるのではないでしょうか。

【意訳】Free translation

きれいな月だなぁ・・・。

この真っ暗な夜空に、煌々と輝いている。

周りは真っ暗ななのに、その闇に侵されることなく、一生懸命に輝いている。

きれいだなあ、力強い輝きだなぁ・・・

・・・・・

あの、力強く輝いて、きれいなお月様に比べて、なんていう生きにくい世の中なんだ・・・。

・・・ああ、生きにくいこの世の中に、この先もずっと生きていくのであれば、

いつかきっと世の中はよくなって、自分も安心した人生を手にいれた時に、

今日の、このきれいなお月様のことを、恋しく思うんだろうな・・・

・・あのときは辛かった・・でも、辛抱して頑張って生きてきた、ああ、よかった・・って。

きっと、そう思える日が、きっとくるはずだ。

それまで、頑張って生きていこう・・・

”苦しいけど、なんとか踏ん張って生きていこう”

そんな作者の思いを、私はこの和歌に読み取りました。

みなさんは、いかがですか?

既成の解釈にとらわれず、自由に読んでみましょう。

自由に読み、自由に解釈し、自由に共感する・・それが歌や詩を味わう楽しみだと思います。

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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

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