日本の名月⑤/めぐり逢いて~雲がくれにし夜半の月かな/百人一首57番歌


百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。

そのひとつひとつを味わい、空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。

今日は、その5首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)

めぐり逢いて

見しやそれとも わかぬまに

雲がくれにし 夜半の月かな

この和歌も、前回と同じく難解な言葉はありません。ほぼ現代語から推測できる言葉で詠まれています。

時は夜半、時刻にすると午後11時頃から午前2時頃くらいでしょうか。

見上げる夜空には、雲に隠れてしまったお月様。

そのお月様と、上の句の「めぐり逢ひて」はどんな関係にあるのでしょうか・・・。

何度も何度も声に出して読んでみてください。

【解説】

ネットやいろいろな書籍でこの和歌を調べると、以下のように書かれています。

・・・「めぐり逢いて」とあるので、恋人のことを詠んだ”恋の歌” と思うかもしれませんが、めぐり逢ったのは、実は友達のことです。・・・

このような解説を読むと、私は興ざめしてしまいます。

なぜなら、

作品から受ける印象は様々ですが、それらの印象に限定を与えてしまうからです。

つまり、言葉だけから、いろいろイメージを膨らませる楽しみが減ってしまうからです。

私は、こんなふうに味わっています。

この和歌の末尾は「かな」で終えています。「~かな」は疑問を表す場合と、感嘆を表すときにも使われます。雲に隠れてしまった夜半のお月様に、疑問を投げかけ、同時に感嘆しているのなら、いったい何に疑問をなげかけ、そして感嘆したのでしょうか。

そのように読み解いてみると、疑問と感嘆の対象を冒頭の「めぐり逢った相手」に置けば、ストーリーが見えてくるような気がします。

すると、「めぐり逢ひて」に続く「見しやそれとも わかぬまに」が、「夜半の月かな」と疑問を投げかけ、そして感嘆した理由なのだと、推測できます。

何度も声に出して読むと、「見しや」は ”ああ、見たんだな・・” ”ああ、認識したんだな” と思えてきます。そして、何度読んでも、「わかぬまに」は ”わからないままに” とそのままの意味以外のことは思いつきません。

なので、

” 見たんだけど、わからないまま” だったんだな・・・、そして「雲隠れ」してしまたんだな・・・めぐり逢った人が・・・というふうに読むことができます。

その、めぐり逢った人が誰なのかは、この和歌からは分かりません。でも、雲隠れするようにいなくなってしまった/帰ってしまったことを、残念に思っているわけですから(末尾の「~かな」から想像がつきます)、作者にとって大切な人であったに違いはありません。

その人が、恋人であろうが、友達であろうが、わかりませんが、大切であることには変わりないという理解で、この和歌は十分に味わえるのではないでしょうか。

【お月様】

「お月様」という言い方があります。様をつけて呼ぶという感情は、そこに尊敬や畏敬の念があるからでしょう。

現代においては、月は地球の周りを回っていると知っていますが、当時の人にとっては、月というものは、”とてつもなくすごいもの、不思議なもの、畏敬の対象・・・” だったように思います。

太陽が沈んで、夜がやってきます。・・・真っ暗です。

でも、そこに月が昇ってきて、月は、太陽が沈んだ後の真っ暗な中を、太陽ほどではないけれど一生懸命に照らしてくれる存在なのです。こんなに有難いことはありません。

でも、何故か? 機嫌が悪いのか・・? 日々形を変えて、時には空から消えてしまうこともあります・・・でも、また機嫌を取り直したのか? 空に表れます。・・・こんな不思議はありません。

テレビもラジオも雑誌もない時代ですから、自然の変化に目がいくのは、現代よりもずっと強く、そして頻繁であったのではないかと思います。

和歌の世界に月を詠んだ歌が多いのも、わかる気がしますね。

【直訳】

やっと逢えたのね。

でも、あなただと、分かるか分からないうちに、

あなたは、帰ってしまった。

それはまるで、

今、夜空にあったと思っていたお月様が、

さっと雲に隠れて見えなくなってしまうのと同じみたいだわ。

【作者】

作者は紫式部(970年~没年不詳)。

源氏物語に800首もの和歌を書き残しているそうです。その他にも詠んだ和歌はあるだろうから、その数は1000首を超えているかもしれませんね。

百人一首を選んだ藤原定家は、紫式部が詠んだ沢山の中から、この「めぐり逢いて~」を選びました。ということは、この和歌は紫式部の代表作と言ってもいいのかもしれません。それくらい、この歌は優れた出来だということです。

紫式部は20代の中頃に、父である藤原為時の越前(今の福井県)への赴任に、一緒に付いていっています。

この「めぐり逢いて~」は、その時期に詠まれたものだそうです。紫式部は、都である京都から離れ、そこには都の賑わいはなく、京都の友達とも離れて、寂しかった。

この「めぐり逢いて」の和歌には、その孤独感を垣間見ることができる・・・という解説が、多くの解説書に書かれています。

【意訳】Free  translation

あれ? もう、帰っちゃったの?

あ~あ、せっかく、ひさしぶりに合えたのに・・・残念!

積もる話を聴いてほしかったわ。

ああ、寂しい・・・

ちょっと来て、さっと帰ってしまうだなんて、

あなたは、まるで、

さっきまで夜空を煌々と照らしていた夜半のお月様が、

ふと見上げたら、もう雲の中に隠れてしまった・・・

そんな感じね。

今度来るときは、もっと長居してね。

そして、積もる話に花を咲かせましょう。

わたしを、独りにさせないでね。

言葉の持つ意味をいろいろを探り、

そして、言葉と言葉の繋がりから生じる意味をさぐり、

さらに、歌全体の様子から、作者の心持をさぐり・・・

そうやって詩歌を味わえば、

「その時、実は、作者はこれこれ、こういう事情がありました」なんていう解説なんか無しに、いろいろなイメージを想起させて、楽しむことができます。

*

☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】

ご一読、お願いいたします。

百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など

読んでくださり、ありがとうございます。

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