百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、月に抱いていたイメージをどのように表現しようとしたのか、詠み人の心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その11首目です。
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朝ぼらけ
有明の月と 見るまでに
吉野の里に 触れる白雪
【解説1】
この和歌にも「月」が詠われています。でも、実は、本当の月ではありません。
実は、” 朝早く起きて、辺りがほのかに白くなっている様子を、まるで「有明の月」のようだ” と詠っているのです。
実際の月景色ではないので「百人一首に詠われている月」という括り方の場合、判断によっては除外の対象となるかもしれません。
ただ、「有明の月」と詠っていますので(百人一首には「有明の月」を詠み込んだ和歌がこれを含めて三首あります)、当時の人達の ”月に対する思い” を知る上で必要だと思い、この記事の中に組み入れました。(写真は雪景色。イメージです。出典:photoAC)
この和歌は、”雪景色の明るさ” を ”有明の月の明るさ” と詠んでいます。
”自然という景色の中には似た美しさがある” ということなのですが、
中国の漢詩では、その逆に、”月の光の明るさ” を 雪ではなく ”地上に降りた霜” のようだ、と詠んでいるものがあります。
自然のものを対比させて、その魅力を表現するという、その認識は似ているので、ここに取り上げておきたいと思います。
例えば、李白の詩の「静夜の思い」。
これは月の光を ”寒くなって降りた霜” と見間違えるようだと詠っています。私の高校時代の教科書に載っていました。
床前看月光
疑是地上霜
挙頭望地上
低頭思故郷
【訳】(意訳を含みます)
床前、月光を看る(寝床から縁側の向こうを照らしている月の光を眺めたら・・)
疑ふらくは、是れ地上の霜かと(まるで霜が降りたように白く輝いていた)
頭を挙げて山月を望み(遠くの山々を眺めて、越えねばならぬ明日への夢を思ってはみたが)
頭をたれて故郷を思う(ああ、故郷のみんなはどうしているのだろう。帰りたいけど・・夢半ばにして、まだ帰れない・・)
【意訳】(和歌/「朝ぼらけ~」の方)
夜が明けてきて、ほのぼのと明るくなってきた頃・・・
外を眺めてみたら・・・
うわ~っ! なんて白くて、なんて明るいんだ!
有明の月が照らしているのかと思ったら、
な~んだ、雪じゃあないか。
吉野の里に降り積もる雪は、
なんて白く明るくて、美しいんだろう。
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”白雪” を “有明の月の明るさ” と見間違える・・・
たとえ、見間違えたと、すぐに分かったことだとしても、”有明の月” に例えるということは、”有明の月” を尊ぶ様子が見てとれます。
当時の人達にとって、”有明の月” は特別な美しさを持っていたのではないかと、思われます。
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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
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