
介護の詩|励まし|老人ホームで暮らす高齢者の息遣いと様子|詩境
老人ホームで介護士として働きながら、そこで見聞したことや、体験したことと、そして感じたことを「詩」にしてお伝えしています。今回は、ご入居者様とのコミュニケーションが円滑にとれて、ご入居者様が、その心情を吐露してくださった場面です。スタッフである私への励ましの言葉でした。
老人ホームで介護士として働きながら、そこで見聞したことや、体験したことと、そして感じたことを「詩」にしてお伝えしています。今回は、ご入居者様とのコミュニケーションが円滑にとれて、ご入居者様が、その心情を吐露してくださった場面です。スタッフである私への励ましの言葉でした。
「なぜ酒をのむのか?」...お祝いだから? 打ち解けるため? 身体にいいから? 忘れたいから?・・いいえ違います。人生は夢のようなものだから、夢をもっと愉快に楽しく過ごすためです・・と李白は「春日醉起言志」で表現しました。現代語訳だけでなく英訳も載せました。漢詩の英訳を鑑賞することにより、理解は一層深まります。
「よちよち」という幼児の歩き方を形容する言葉が、高齢者にも使われています。そこには「私、介護する人」「あなた、介護される人」という二極化があり、相手様への”寄り添う気持” ”尊敬の念”を醸成させる心理を邪魔している要因があると感じます。さらに、虐待の芽を許してしまう心の緩みにもなっているのではないでしょうか?
いつも笑顔で「ありがとうございます」と言ってくださるお婆ちゃん、ある日体調が急変してベッドでの生活となりました。ベッドでも介助の度に「ありがとうございます」と言ってくれたいたのですが、その日は「ありがとうございました」でした。感謝が過去形だったのです。死への覚悟ができていることを知り、私は涙しました。
終末期の母親を見舞った子供は、既に前期高齢者になっていました。その方は、お母様との昔日の思いを私に話して下さいました。その日の帰り道、街で、私の目に若い母親と幼子が駆け寄るシーンが映ると、私は昼間聞いた話をその光景に重ねあわせてみました。人生は長い時間軸。そこに感慨を覚えました。
老人ホームの入居者様が病気や怪我で入院されると、ADLは急激に落ちてしまいます。先日は、内臓疾患で入院された方がいらっしゃいました。退院できたのですが、ADLだけでなく認知機能も予想以上に悪化していました。私は久しぶりに朝のケアに入りましたが、その衰えた様子に心は痛みました。
「トイレぐらい自分で行きたい」誰もが思うことです。でも、老後はそうはいきません。皆さん、ある日の ”失禁” をきっかけに、リハパンを着用するようになります。この詩は、その直前の様子です。「トイレぐらい自分でいきたい」という自尊心はADLを維持させるエネルギーになるのです。
99歳のお爺ちゃんに「もうすぐ百歳、すごいですね」と言ったら、「何がすごいの?自分で自分のケツもふけないのに」と返されました。そして「人生百年って騒ぐのは、一億総白痴と同じだよ」とも言われました。人生百年は、老後の理想と老後の実際の両方をきちんと理解して語られるべきことなのだと思いました。
老人ホームで暮らしている認知症の妻を、娘と一緒に見舞う夫。娘が事務的な用事を済ませてロビーに戻ると、父と母は丸テーブルを挟んで黙って座り向き合っていました。娘はその二人の様子を少し遠目に見ています。そして、それを俯瞰しているスタッフ。老人ホームで起きている出来事を毎回「口語自由詩」で伝えております。
老人ホームでの出来事、感じたこと、発見したこと、高齢者の息使いと命の灯を「口語自由詩」にて伝えています。今回は、認知症がどんどん進んでしまった方のことです。病状の進むのが早いなあ...と思っていたある日、きちんと辻褄の合う話を一言して下さいました。その瞬間、以前のその方を想い出して、私は涙を溜めました。