介護の詩|ついに力尽きる|老人ホームで暮らす高齢者の様子|最期


※この頁では老人ホームでの出来事を、そこで働いている介護士が口語自由詩にてお伝えしています。

【車止めで一息79】

ついに力尽きる

(画像はイメージです/出典:photoAC)

老人ホームで暮らす、お爺ちゃんお婆ちゃんのこと、

気になりませんか? 

少しだけでも気にしてみて下さい。

それは、人生最期の自分の姿…なのかもしれません。

今回は、お看取りまでの数日間の話です。

ついに力尽きる 】

車止めで一息 79

ついに力尽きる

もうどれくらい経ったのだろう。

ハアハアハアハアハア・・

閉じたままの両目。

口呼吸をする胸は微小な上下運動を繰り返していた。

今は何処を彷徨っているのだろう。

ハアハアハアハアハア・・

遠のいているはずの意識。

なのに左手が胸の辺りを泳ぎ、右手は中空を舞った。

脂の抜けた破けそうな皮膚が骨にしがみついている。

ハアハアハアハアハア・・

水分さえ摂らなくなった身体。

どこまで痩せてしまうのだろう。

最高血圧は八十台に下がり、

家族が呼ばれた。

ハア..ハア…ハアハア..ハア・・

「お父さん! もう頑張らなくていいのよ!」

生きようとする生命の営みは最期の最後まで続く。

見守る者は心が痛くなる。

もうどれくらい経ったのだろう。

ハア..ハア..ハア..ハアハア・・

まんじりともせず明けた一夜。

付き添い夜を明かした家族は一旦帰宅した。

今は何処を彷徨っているのだろう。

ハアハアハアハアハア・・

大好きだった薔薇園か?

時おり持ち上げた両手が中空を舞った。

貴方様は強かった。

最高血圧は百十に復活していた。

ハアハアハアハアハア・・

貴方様は抗っていた。

身体を浸食していく自然の摂理に抵抗していた。

ハアハアハアハアハア・・

いつお亡くなりになっても不思議ではありません。

そう云われてから、

どれくらい経ったのだろう。

そう云われてから、

何処を彷徨っていたのだろう。

ハア..ハア…ハア.ハアハア…ハア・・

ハア.ハア..ハア…ハアハア..ハア・・

ハア…ハア…ハア.ハアハア…ハア・・

・・・・・

翌日の夕刻、

皆に見守られる中、

薄目を開けてニヤリとしたような、

そんな気配を一瞬残して、

貴方様は力尽きた。

・・・・・

俺は何処へも行っていないよ。

俺はずっとここに居たよ。

ずっとここに居て、

みんなの声を聴いていたよ。

みんな、ありがとう。

そんなことを云っているような、

優しくて穏やかな死顔だった。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【 詩 境 】

詩 境

【死期が近づくと・・】

老人ホームでは、ご入居者様の死期が近づくと、ご本人様の現在の状況、及び緊急時に老人ホームはどのような対応をするのかについて、ご家族様(又は後見人様)と共有させていただきます。

ポイントは救急車を呼ぶか呼ばないか?…です。

「救急車は呼ばずに、ここで看取って下さい」と、皆さん仰って下さいます。

ただ、こう追加される場合が多々あります。

「あっ、でも、本人が苦しんでいるようなら救急車を呼んで下さい」

死期に臨んで、父や母には苦しまないで逝ってほしい・・誰しもそう思うでしょう。

ただ、病院に運ばれれば運ばれた方は患者となります。病院は命を救うのが使命ですから延命のための治療をおこないます。そして、治療には検査が必要です。

せっかく死んでいこうとしているのに、お父様やお母様は色々なチューブに繋がれて、検査~治療という苦痛に向き合わなければいけません。医者は「苦しそうなので治療をやめました」とは決してできません。死が近い高齢者を救急搬送することは、その方に延命治療という苦痛を与えてしまうということなのです。

このことを分かっていらっしゃるご家族様は「救急車? 呼ばなくていいです。ここで死なせて下さい」という発言になります。こういう言い方をされる場合、過去に身内の方を看取っている経験によって、この発言は生まれるようです。

死期の喘ぐような呼吸は「辛そうね」と端から見る者は感じますが、本人は苦痛はあまり感じていないそうです。(本当のことは本人にしか分かりませんが、たぶんそうです。何故なら苦痛の表情は無いからです。)

自然の摂理によって死に向かっているのですから、わざわざ延命治療という苦痛を与える必要はないと思います。そこは見守るということで十分でしょう。

人には一人ひとりに様々な事情というものがあるので、全ての高齢者とは言いません。ただ、老人ホームにご入居されている方についていえば延命治療による苦しみは避けてほしいと、私は思います。もう十分に生きてこられた方達なのです。

長くなりましたが、以上のように「父や母の死」について、”最期なのだから延命治療はせずに、死をきちんと受け入れて見守りましょう”ということを伝えたく、またこの方のことは私の記憶にきちんと残しておきたいと思い、これら二つの理由により、この「ついに力尽きる」を書きました。

死について書かれた、以下の書籍をご紹介いたします。

「人はどう死ぬのか」講談社現代新書/久坂部 羊(くさかべ よう)著

「寿命が尽きる2年前」幻冬舎新書/久坂部 羊(くさかべ よう)著

:著者は医師であり、高齢者医療や在宅医療を長く経験された方です。

「知識人99人の死に方」角川文庫/荒俣 宏(あらまた ひろし)監修

:おそらく一度は耳にしたことがあるであろう知識人がどのように死に至っていったのかを知ることができます。「この世で死ぬことの出来なかった人はひとりもいない」という解説文があるように、いろいろな方の死を知ることによって、死についての認識を再構築することになると思います。〔参考:ネット情報/「知識人99人の死に方」

もうひとつ・・ネットからです。

〔参考〕私の考える理想的な死

:単に長生きだけの「長命」ではなく、健康で生き生きとした長生きである「長寿」を目指しましょう、と書かれています。

<お看取りの瞬間>

スタッフが、ご本人様の息を引き取る瞬間に必ず立ち会えるわけではありません。

ご家族様が付き添っていればいいのですが、いよいよとなってから御臨終まで数日に及ぶ場合は、ご家族様が不在の時間も多々あります。その間は、スタッフが頻繁に訪室して確認するということが行われます。

また、わりあいとお元気であった方が、深夜や早朝の巡視の時にお亡くなりになっていることを発見されるというケースも稀にあるからです。

<ハアハアハアハア・・>

死期において身体の特徴的な変化は呼吸です。

全ての場合ではありませんが、死が近づくと、下顎呼吸チェーンストーク呼吸が始まります。そして血圧は最高血圧が90を割ります。そして家族が呼ばれます。

「ついに力尽きる」では、この方の場合、呼吸の変化は明確ではありませんでした。ただ連続した「ハアハアハア」がご臨終まで続きました。

詩作の技法としては、視覚だけでなく聴覚にも訴えることで、よりはっきりした表象が期待できると考え、「ハアハアハア」という擬声語を多用しました。

また、後半には文字級数を三段階で小さくしていくという詩作品の可能性を試みました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

今までの作品一覧

以下にございます。

介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子/「車止めで一息」/詩境

明日の自分が、そこにいるかもしれません。

お読みいただければ幸いです。