百人一首には月を詠んだ和歌が11首あります。
そのひとつひとつを味わい、夜空に浮かぶ月に「何かの意味」を見出そうとした詠み人の、その心の有り様に触れてみたいと思います。
今日は、その8首目です。(写真は和歌から連想したイメージです。出典:photoAC)
天の原
ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
百人一首に登場する「月」を取り上げて、11首あるうちの7首まで紹介してまいりました。
そこでは【意訳】Free translation による詩歌の楽しみ方に重点をおいてきました。
その方法は、
既存の解説を読まず、訳も読まず、知らない言葉の意味も調べず、ただ知っている語句の意味と、語感からイメージされる内容を頭の中に描き、そしてそこに自分自身と共有できる部分を探しながら、さらにイメージを膨らませていく・・・、という楽しみ方です。
ただ、この「天の原~」について云えば、その鑑賞方法の限度を感じてしまいます。
なぜなら、以下の理由によります。
「ふりさけみれば」は動詞と思われ、この和歌の主体である人物の行動のようです。「ば」は現代語でも使う「~すれば」の「ば」であると理解するとして、「ふりさけみる」とは、どのように「見る」ことを意味しているのでしょうか・・・? 私は「ふりさけみる」という言い方は使ったことがないし、聞いたことがありません。
つまり、この和歌の意味を大きく左右するであろう、動作を表す大切な部分が古語なのです。
私は、語感から、”なりふり構わずに、叫びながら見ている” と、私は感じ取りました。この感じ方でもかまわないと思ったのですが、でもさらに、わからないことがありました。
それは、場所または地名と思われる「天の原」「春日」「三笠の山」です。
「天の原」ってどこだろう? 「春日」は”春の日”とも読めるけど、それとも場所/地名なのか? 「三笠の山」って、どこにあるのか? どんな山なのか? そういえば、お菓子のどら焼きに三笠山ってあるけど、あれはこの歌からとったのだろうか・・・? 「三笠の山」って、作者にとってどんな意味のある山なのだろうか?
そのように、古語と場所又は地名、ふたつの事柄が【意訳】を困難にさせています。
なので、そういう時は、しかたがありません。
素直に既存の解説などを紐解きます。詩歌の鑑賞というのは、そもそもが自由なのですから、それでいいのです。
【解説】
作者は安部仲麻呂(あべのなかまろ/698年~770年)。奈良時代、遣唐使として当時の唐に渡り、玄宗皇帝に仕えて唐で生涯を終えた方です。唐では大変難しいとされる科挙の試験にも合格したのだそうです。
天の原:広々とした大空のこと。”天の川” という言い方に通じますね。
ふりさけみれば:「遠くを眺めれば」という意味だそうです。
春日:奈良県にある春日大社の辺り。現在のJR奈良駅から東へ約4kmほど。
三笠山:春日大社の北北東に位置する若草山の別名、標高342m
(※ 以下は、奈良県の春日大社あたりの、現代の地図です)
ここまで解説があると、もうお分かりでしょうか。
この和歌は、唐に渡り、唐で暮らしている作者が日本を懐かしく思った様子を詠っています。いわば、望郷の思いですね。
【直訳】
広々とした大空を見上げて、遠くをながめたら、
故郷日本で、春日に立ち三笠山の上に出ていた月と
同じような月が出ていた。
ああ、故郷がなつかしい。
※ 【意訳】をするのなら、上記【直訳】に、「日本に帰りたい」という思いを加えたり、春日での思い出を言葉にしたり、内面的な事柄を加えてストーリーを組み立ててみてください。すると、この和歌の味わいはもっともっと深まるのかもしれません。
※ 現代のような交通手段や通信手段が無い時代に、作者が唐で詠んだ和歌が日本に伝わっていることに興味がわきますね。和歌が伝わるのですから、その他にもいろいろな文化が伝わっているひとつの証拠でもあります。
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☆【百人一首に関する記事の目次は、以下にございます】
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百人一首/意訳で楽しむ/恋、人生・世の中、季節・花、名月など
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