
この記事では、最初に詩の鑑賞方法を行為別に考察しています。そして次に、実際の詩をその方法に則って鑑賞してみました。題材にしたのは、中原中也の作品「春宵感懐」です。
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詩の鑑賞方法を「行為として」整理してみると、一般的に次の三つがあげられます。そしてさらに、一般的ではありませんが、以下に記した四つ目があってもいいのでは・・と私は思っています。
詩の鑑賞方法:行為として整理すると・・・
1.書かれた詩を目で追い、黙読しながら、意味を理解し解釈して味わう。
2.書かれた詩を目で追い、声に出して読み、リズムや音調を楽しみながら味わう。
3.誰かが朗読する詩を耳で聴いて、朗読者のフィルターを通して味わう。
そしてその詩を、歌というジャンルに区分けされる歌詞のひとつだと考えれば、味わう人がその詩にメロディーをつけて自由に歌うという味わい方があってもいいのだと、私は思っています。なので、次の四つ目だって、ひとつの鑑賞方法なのです。
4.詩にメロディーをつけて歌って味わう。
【詩を、朗読する/朗読を聴く/メロディーをつけて歌う】効果効能
詩を、ただ黙読するだけでなく・・、
声に出して読み、誰かの朗読を聴き、そしてまた声に出して読んでみる。すると、その度にその詩への理解と感情移入が深まって、その詩をポケットに入れて持ち運ぶことができます。詩を読むことがどんどん楽しくなってくるのです。
そしてさらに・・、
抑揚をつけたり、リズムをとったりしながら、もしも ”詩にメロディーをつけて歌う” ことができたら、ポケットに入れて持ち運ぶその詩を、いつでも何処にいても味わえる ”心の清涼剤” へと昇華させることさえもできるのです。
【題材/中原中也「春宵感懐」】
上記の鑑賞方法に則って鑑賞する詩に、この度は、中原中也の「春宵感懐」を選びました。理由は以下のとおりです。
この詩は、全体が七五調で書かれており、七五×4行のブロックを5つ並べて構成されています。そして、「今夜は、春の宵。なまあったかい、風がふく。」を含む4行の同じブロックが、冒頭と末尾に配置されていて、その内容が強調されています。七五調でリズムをとりやすく、一般的な歌の歌詞構成と似ているのです。
視覚的にも、聴覚的にも、そして皮膚感覚においても楽しめて、意味に於いては短い詩でありながら ”人の一生の在り方” を語っていて、生きるモチベーションの種に息を吹きかけてくれるような詩です。

それでは、味わってみましょう。
目次
本文の出典は ”「中原中也詩集」/発行:㈱新潮社/発行日:平成25年2月5日 第17刷” に拠りました。
1.本文
春宵感懐
雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあったかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、摑めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじやないですか、
けれども、それは、示かせない・・・
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合わせれば
にっこり笑ふというほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあったかい、風が吹く。

黙読するとき、実際に声は出さないけれども、心の中で声を出している場合があります。なので、黙読と音読の解説を明確に分けるため、ここでは、「黙読」=視覚的な味わい、「音読」=聴覚的な味わい、という区別をしました。
2.黙読して味わう
(1)【読点、句点/間合い、溜め】
・目で追いながら感じることは、やたら読点と句点が多いことです。「雨が、あがって、風が吹く。」は「雨があがって、風が吹く。」でも良さそうなものですが、中原中也はあえて読点を入れています。そして、段落の三つ目と四つ目以外には、句点もしっかりとつけています。
・これらの読点、句点に発生するであろう間合いの取り方、いわゆる”溜め”というものを意識するか意識しないのかは、この詩の味わいを左右するものです。
中原中也は何を思って、これらの読点と句点を振ったのでしょうか、以下は私の解釈です。
「春の雨」から呼び起こされる表象、「春の雨があがった後の空気の様子」から呼び起こされる表象、そしてそこに吹く風が加わり〔春の雨上がりの空の様子や、春の風という触感〕によってうまれる表象・・・、中原中也は、それら春宵に起こる全ての事象を、肌で感じる体感として大事にしたかったから・・・だと、私は思っています。
(2)【一字下げる】
・一行毎に、次の一行を一字下げて表記しているます。これは中原中也の他の詩でも見られる工夫です。きっと何かの意図があったはずです。それは何なのかは分かりませんが、視覚的に凸凹が作られることによって、詩全体に〔動き〕が感じられ、なまあったかい風がフーッと吹いてくる感じが強調されているように、私は感じます。
(3)【視覚、聴覚、触覚】
・さらに、一般的な歌の歌詞にあるような工夫・・・冒頭と同じ文言を末尾で繰り返しています。これによって、以下のように、春の訪れを身体で感じている様子が強調されています。
:「雨上がりの空」「空に流れる雲」「雲に隠れた月」という・・視覚。
:「風の吹く音」も聞こえるかもしれない・・聴覚。
: 肌に感じる「なまあったかい」という・・触覚。
人の五感のうちの三つの感覚で同時に春を感じています。つまり、「身体全体で春の宵を感じ、身体全体で春の宵を味わうのですよ、みなさん!」という中原中也の呼びかけが聞こえてくるようです。

そして、音読することにより、黙読によって得られた表象は広がりを持ち、この詩の味わいはさらに深くなります。
3.音読して味わう
音読ならではの味わいは、以下の二つの要素にあると思います。
(1)七五調が持つリズム、読点と句点の間合いの取り方、及びブロック間の各々の間合いの取り方。これらを意識するか意識しないのか・・当然ながら、リズムと間合いに意味を感じて意識して読み、そこにさらに抑揚が絡んで、気持ちを込めていく。そうすることで、音読の味わい方は七変化させていけると思います。
(2)音読する人の解釈によって、特に味わいが異なるであろう文言が以下の三つです。
「みなさん」:既存の朗読は「みなさん・・」と優しく呼びかけています。でも、トーンを変えたり抑揚を付けたり、あるいは「みなさん!」と勢いよく発声してみることもまた、味わう楽しさを広げてくれます。
「いのちだろうじやないですか」:これは、単なる問いかけなのか? それとも同意を求めているのか?・・・、音読する場合はその違いをきちんと表現したいところです。
「ことして、一生、過ぎるんですねえ」:これは、自分に言い聞かせて感嘆しているのか、それとも他者に同意を求めているのか・・、それを意識して使いわけることで、味わい方が変わってきます。
「ねえ、みなさん、そうではないですか? そうですよね、このなまあたたかい風は、春の宵の証なんですよ。なまあたたかい風を肌に感じて・・・この風に何かを感じませんか?・・・説明? 説明なんかできませんよね。できないけど、でもね、私はそこに、人生を感じるんです・・みなさん! そう思いませんか、そう感じませんか?」というニュアンスで音読することがこの詩を最もよく味わえるコツだと、私は思っています。
4.聴いて味わう
5.メロディーをつけて歌って味わう
ここには私自身がメロディーをつけて歌っている様子を紹介させていただきます。これが、私が提案する ”詩にメロディーをつけて歌う” という鑑賞の方法です。
この詩のキーワードは「なまあったかい風」だと思います。この文句について考察してみました。
6.「なまあったかい風」に感じるもの
【時間の推移】
ついこの間までの冷たい風はどこかに行ってしまった(過去)、
今「なまあったかい風」が吹いてきた(現在)
さあ、春が来た。春は始まりの季節。また1年頑張っていこう(未来)
・・という”時間の推移”を「なまあったかい風」が肌に教えてくれています。
人生に春は何回やってくるのでしょうか。平成5年の今の世の中だと、平均寿命まで生きるとした場合には80回~90回でしょうか。これは多いのでしょうか、少ないのでしょうか・・それは分かりません。でも、今年の春は、このうちの1回だと思えば、より大事な春になるのではないかと思います。
中原中也の場合は、この詩の発表の翌年に30歳で夭逝していています。「なまあったかい風」=「春の宵」は結果として、とても貴重な、春を体感する時間だったわけです。
このことはつまり ”「今」という時間を、私達は大事にして生きなければいけない” という人生訓を、中原中也が伝えてくれているような気がします。
そして、冬の冷たい風(過去)から、春のなまあったかい風(現在)・・そして明日(未来)を想う。人生という時間軸の流れを、ここに感じないわけにはいきません。
【示(あ)かせない】
出典元には、示に「あ」という振り仮名がついて、「あかせない」と詠ませています。
「示(あ)かせない」ものとは、いったい何でしょうか。
「なまあったかい風」を肌に感じて、[過去、現在、未来]を表象として思い描くのだけれども、その感懐は「溜息」であり、「幻想」であり、「掴めない」ものであり、「語れない」ものだと中原中也は云っています。
曖昧模糊としたてはいるけれども、肌で感じる[過去、現在、未来]こそが、「それこそがいのちぢやあないですか」と云い、でもそれは「示かせない」ものなのだと・・・きっと、何を言っても嘘になってしまうかもしれないと思ったのでしょう・・。
私は、こんなふうに思います。
「示かせない」ものだけれども、人は「また春がきましたね」「そうですね、また頑張っていきましょう」と笑顔で挨拶をして、それを繰り返しながら一生を送っていく。そこにこそ人の一生という真実がある・・・そういう達観みたいな思いを、「ことして、一生、過ぎるんですねえ」と表現し、そして、その思いを象徴しているのが「なまあったかい風」なのです。・・と私は解釈しています。
読めば読むほどに、音読すれば音読するほどに、歌えば歌うほどに、自分の中で味わい深く育っていく詩です。みなさん、自分だけの♪♫をつけて、歌ってみませんか? きっと、詩の新しい世界が広がっていくと思います。
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ご一読いただけましたら、幸いです。
読んでくださり、ありがとうございます。