小倉百人一首には、恋の歌が沢山選ばれています。ネットで「百人一首 恋の歌」と検索すれば、多くの記事が百人一首の恋の歌を紹介しています。一説では、百首の中の四十三首が恋を歌っているそうです。
小倉百人一首は鎌倉時代初めに成立した和歌集で、万葉集が成立した時代から鎌倉時代初期までに詠われた歌の中から百首選ばれているのですが、百首のうちの半分近くが恋の歌であることは、興味深いですね。
その理由・・・私の推理はこうです。
” 選者の藤原定家が、恋の歌を多く載せておけば小倉百人一首に人気がでるだろうと考えた ”
なぜなら、人は常に本能的に「いい恋」を求めているからです。
そして「いい恋」は常に人の心に潤いを与えてくれる不思議な力を持っているからです。
ただ同時に「失恋」もあったり、苦悩も生まれますよね。
そして「ああ、恋なんてするんじゃあなかった~」と嘆く場面もあるのです。
『恋は微妙』だからこそ、わたしは、恋歌を紐解いてみたいのです。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
さて、この記事では、それら恋の歌の中から、
感情がとても鋭敏に感じられるものを選んで紹介したいと思います。いわば、恋のエキスのようなものです。
私は、それらを十二首選びました。このページでは、そのうちの四首を、ここにご紹介いたします。
※ 歌の解釈については、歌を楽しむ心を大事にして【意訳/Free translation】に努めました。ご了解くださいませ。理由は、解釈を解説した既存の資料はとても多く、すぐ手に入れやすいからです。
1.恋と恨みは裏腹に/第38番歌
忘らるる 身をば思はず 誓いして~
忘らるる 身をば思はず 誓いして 人の命の 惜しくもあるかな
【意訳】
ああ、あなたの心から私が消えていく・・。でも、いいんです、私はあなたのことを諦めます。私はどうなってもかまいません。ただ、思い出してください。あなたは私に永遠の愛を誓ったのですよ。一度誓ったのに、その誓いを破ったら、どうなるのか、あなたは知っていますか? あなたには、神罰が下るのです。そして、神罰は、あなたの命を奪うでしょう。あなたが死んでしまうだなんて・・・わたしは、あなたのことが惜しいです。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
怖い歌です。自分から気持ちが離れていく相手に対して、密かに〔あなたなんか、神罰が下って死んでしまえ〕と恨んでいるのです。作者は右近(うこん)という名の女性です。
「忘らるる」:動詞「わする(忘る)」+助動詞「るる」⇒ 「忘れられる」
「身をば思はず」:この身は自分のこと。⇒ 自分の身は案じない、気にしない。
「人の命」:ここでの人は、恋する相手のこと。⇒ 恋するあなたの命。
「もういいんです・・この恋はおしまいです」と諦めるふりをしつつも、相手を恨んでいる気持ちが見え隠れしています。男女を問わず、こんなふうに思われないようにしたいですね。
2.恋と後悔/第44番歌
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに~
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
【意訳】
貴女には、もう二度と逢えないのですか? だからといって、貴女のことを恨んだり、運命のせいだと自分を責めたりは、たぶんしないと思います。
ああ、でも、本当のことを言うと、もしかしたら恨んでしまうかもしれません。でも、貴女が好きだから恨みたくはありません。こんな不安な気持ちが続くのなら、いっそのこと、貴女に逢わなければよかったのに・・なんていうことも思ったりします。貴女に逢えないこの苦しさを、どうか貴女だけは分かってください。
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
「逢ふことの 絶えてしなくは」は〔もしも、まったく逢うことがないのなら〕という意味です。ということは、逢えなくもない状況が想像されます。頑張れば逢えるのに、逢えないというのは、どのような状況なのでしょうか。もしかしたら、不倫なのかもしれませんね。
「恨みざらまし」の「まし」は、実際とは異なることを想定する助動詞。「もしも~なら、~だろう」という意味です。
「恨まないと思います」と言葉に表した、その裏には、「もしかしたら恨むかもしれません」という思いが隠されているように思えます。
だとすると・・・
恋は「嬉しい」「楽しい」ものですが、同時に「辛い」「悲しい」という未来もはらんでいるということの現れです。
「辛い」「悲しい」状況になったとき、人は「恨み」の感情を持ってしまうことがあるようですね。「恋は病」と云われるように、そして心身の健康を損なってしまうのです。くわばらくわばら・・。
なので、深く裏読みをすると、「こんなに苦悩するのなら、ああ・・恋なんてするんじゃあなかった」という、後悔の気持ちが生じているのではないか・・・。私はそう感じました。
3.恋と孤独/第53番歌
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは~
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
【意訳】
貴方が私の所へ来なくなってから、いったい何日が過ぎていったのか貴方は分かっているのですか? 私は、毎日毎日、ずっと貴方を待っていたのよ。今日も私は、来ない貴方を待ち続けて、夜が明けてしまったわ。貴方を待ち続けるこの時間が、いったいどれだけ長いものなのか、貴方には分からないのでしょうね。私を独りにさせた貴方が憎らしい!
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
この歌が詠まれた時代の背景として「一夫多妻」「通い婚(夫が妻の元へ通う)」を知っておく必要があります。ただ、たとえそれを知らなくても、この歌の〔好きな人を待ち続ける切なさ〕は十分に伝わってきますね。
難しい古語は「ぬる(寝る)」だけかと思います。なので、何度も音読を繰り返すことによって、言葉の意味と全体像が見えてきます。あえて述べるなら「嘆きつつ」の「つつ」に注目すべきでしょう。
「ぬる」:「ぬ」一字で「寝」のこと ⇒ 「ぬる」は「寝る」こと。
「嘆きつつ」:「つつ」は反復の接続助詞です。現代語でも「~つつ、〇〇した」という使い方をします。⇒ 私は、何日も嘆き続けているのです・・という時間の経過を読み取ることが、この歌の感慨へとつながっていきます。
恋人(この歌では妻)に孤独を感じさせるなんて、それは罪なことです。もしも孤独感が膨らみすぎたら、恨まれるかもしれませんよ。気をつけましょう。
4.恋と失意/第63番歌
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを~
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
【意訳】今はただ、あなたのことを諦めます・・ということだけでも、人づてではなくて、あなたに会って直接お伝えしたいと、私は思っています。ああ、あなたに逢いたい・・・
(画像はイメージです/出典:photoAC)
【解説】
恋を育んできた二人がいて、何か大きな理由があって、二人は逢えなくなってしまいます。なので「今はただ 思い絶えなむ(今はただ、あなたを諦めます)」なのです。
その気持ちを、人づてではなくて直接会って伝えたい・・・「わたしたちは、もう逢えなくなってしまいました。わたしたちは、わたしたちの恋を諦めなくてはいけません」と。
会えないのに、会いたい、そこに悲しみが宿っていますね。
恋には邪魔や障害が入る。これも、恋の真理のひとつなのかもしれません。
この歌を詠んだ男は、その後、仕事は上手くいかず、すさんだ日々を過ごし・・、女は失意のなかにあって尼になり生涯を終えた・・そうです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
恋にまつわるいろいろな感情が色濃く滲み出ている恋歌を選び、解説してみました。
次は、恋をしながら「死にたい」とか「もっと生きたい」とか、恋と命をテーマにした恋歌を三首とりあげてみたいと思います。以下をご覧くださいませ。
【参考】百人一首/恋と命/生きたい、死にたい、もう一度逢いたい/恋歌三首
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読んでくださり、ありがとうございます。