介護の詩/遠い人(認知症)/老人ホームでの息遣いと命の灯46/詩境


【車止めで一息】

遠い人

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

「遠い人」これは認知症の方へ寄り添う時の、認知症の方に対する私の印象です。だから、寄り添う工夫は、その方の何にどのように近づくのか…にあります。

私は、介護士として、老人ホームで働いています。

そして、年老いた人がこの世を去っていく、その様子の中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、”老後の生き方を考えるヒント” になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

〔口語自由詩〕

車止めで一息46

遠い人

あなた様は遠い人。

わたしと顔を近づけてわたしが話をしているときも

わたしと手をつないで一緒に歩いているときも、

あなた様のそばにわたしはいない。

あなた様は遠い人。

あなた様は遠い人。

あなた様の目線はわたしを外れてどこか遠く、

あなた様の手は添えるだけで握ることはなく、

あなた様はわたしをほったらかす。

あなた様は遠い人。

あなた様は遠い人。

季節の殊更綺麗な食膳を目の前に置いても、

わたしが料理の内容をひとつひとつ説明しても、

口は開かず、どんよりした目は何も語らない。

あなた様は遠い人。

あなた様は遠い人。

デザートのプリンを箸で僅かにすくってご飯にのせたり、

皿に描かれた幾何学模様を箸でつかもうとしたり、

美味しいもまずいも、もっと食べるもお腹いっぱいも無い。

あなた様は遠い人。

あなた様は遠い人。

他人様の部屋に無断で入りベッドに座ったり、

他人様のものを両手におさめて持ちさったり、

あなた様の世界には他人様も自分も無い。

あなた様は遠い人。

あなた様は遠い人。

だったけれども・・・その日、

あなた様の基本情報を復習したわたしは、

麻雀牌を揃えて十三個の牌を両手でつかむ様子を、

あなた様に見せた。

そして、

トン、ナン、シャー、ペイ、ハク、ハツ、チュン、ロン!

視覚と聴覚に訴えた・・・その時、

その瞬間、

あなた様の両手は持ち上がり、

あなた様の両手は麻雀牌をつかむ格好をした。

そして顔は、

ニコニコっとひと笑い。

あなた様の脳裏に潜んでいた、

記憶の欠片がどこからか降ってきたのだ。

あなた様が蘇った!

わたしはすかさず言った。

「楽しかったよね~」

あなた様は少し頷き微笑んだ。

その時、その瞬間、

あなた様は遠い人ではなかった。

その時、その瞬間、

あなた様はわたしと一緒にいた。

嗚呼、でも無常は世の中の常。

あなた様を微笑ませた記憶の欠片は・・・それから、

もう二度と降ってはこなかった。

来る日も来る日も、

あなた様は遠い人だった。

そして今日、

あなた様は、

もっともっと遠い人になってしまった。

・・・・・

わたしの目頭に溜まるのは涙。

でも・・・

あなた様の目頭には、

何も溜まらない。

あなた様はもっともっと遠い人。

画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

認知症の方をお世話させていただくとき、私はこう感じることが多々あります。

つまり、認知症の方とは、場所と時間を共有できないんですね。さらに、これからしようとしている事柄も、その目的も、共有することはできません。認知症の症状として見当識障害がありますので、当然といえば当然なのですが。

なので、その方がそばにいても、その方を遠く感じるわけです。

ですから、認知症の方に寄り添うための工夫は、その方を近くに引き寄せることです。具体的には、以下の二つの事柄を実践しています。

もうひとつは、”今の感情”を大事にします

人間には基本的な欲求と感情があります。その方が、今何をしたくて、今何を分かってもらいたいのか? 今は怒っているのか? 今は悲しいのか? 今は楽しいのか?・・・今どのような気持ちにあるのかを探ることです。今、喜怒哀楽のどの気分にいるのか?という考えでもかまいません。

たとえば、その方が何かを喋っているのだけれども、その内容は分からない。でも、伝えたいとう雰囲気がある。そういうときには、その内容がはっきりしなくても、頷いてさしあげたり、「ええ!そうなんですか!すごいですね!」と驚いてみせたり、私は大袈裟に表情も加えて反応してさしあげます。そして、その方がどのような反応を見せるのかを観察することによって、その方の感情の有り様を探っていきます。

私の反応が、その人にとって「分かってもらえた」という安心につながれば、その方の心は緩くなります。心が安心して緩くなれば、過去の記憶の欠片も落ちてきやすくなります。

このようにして、私は認知症の方とコミュニケーションをとっています。

この作品は、そんなことを思いながら認知症の方の介護をさせていただいた時のノンフィクションです。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方、各々が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。