介護の詩/食介〔食事介助〕/老人ホームでの息遣いと命の灯71/詩境


【車止めで一息】

食介〔食事介助〕

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃんお婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

ちょっと覗いてみて下さい。それは、未来の自分の姿かも…しれません。

食介〔食事介助〕

食事介助の様子は、周囲から見ると和やかな雰囲気に映ることが多いようです。

ただ、その中身はというと、必ずしも和やかなことばかりではありません。

相手様が一度口に入れたものを吐き出すこともあります。誤嚥を起こして激しく咳き込んだりすれば、誤嚥性肺炎を生じるリスクを想定しなければいけません。はたまた、飲食物を咽喉に詰まらせてしまえば窒息死する可能性もあります。

介護者は、相手様にただ召し上がって頂くだけが、その役割ではないのです。介護者は相手様の嚥下の状態をよく観察しながら飲食による事故を防ぎ、そしてさらに、相手様を飽きさせることなく、”食事時間を楽しく美味しい時間にする”という使命を担っているのです。介護を仕事としている人にとっては、それが職責に相当します。

今回の介護の詩「食介」は、老衰にて終末期を迎えていらっしゃる方への食介の場面を、口語自由詩という形で表現してみました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

<介護の詩>

車止めで一息 71

食 介

午前六時半。

勤務一覧には、あなた様の名前と「食介」の二文字。

連絡共有ページに書かれていたのは、

「〇月〇日、医療面談、緊急時の救急搬送不要」

・ ・ ・ ・ ・

あなた様の顔、あなた様の姿が目に浮かんだ。

嗚呼、もうすぐなんですね・・・

午前八時半。

車椅子のまま食卓についているあなた様。

見開いたその目は濡れているように見えました。

どこか遠くを見つめるその目は、

・ ・ ・ ・ ・

覚悟をしている目なのでしょうか。

嗚呼、もうすぐなんですね・・・

とろみを加えた冷たいほうじ茶。

コップの縁を唇に付ければ半開きする口。

一旦口の中に溜め置いてから、

ゆっくり波打ち凸凹する咽喉ぼとけ。

・ ・ ・ ・ ・

躊躇いながらも飲みこんで下さいました。

嗚呼、でも、もうすぐなんですね・・・

スプーンに乗せたミキサー食。

全粥、鯖の味噌煮、ポテトサラダに味噌汁たち。

口に入れるスプーン一杯毎に波打つ凸凹咽喉ぼとけ、

それ以外は何も変わらない無言無表情。

なのに、味噌汁だけは飲みこみに勢いがあり早かった。

美味しかったのですね、きっと。

嗚呼、でも、もうすぐなんですね・・・

  *

昨年のあなた様の誕生日。

百歳、おめでとうございます!

百歳、すごいですね! と言われて、

あなた様は言いました。

 人様にお尻を拭いてもらっているのに、

 いったい何が目出たいんですか?

 何もすごいことなんか、ありゃしませんよ。

 耳は聞こえない、

 目も見えない。

 ご飯は食べさせてもらって、

 おまけにお尻まで拭いてもらって、

 楽しいことなんか何も無い。

 あ~あ、こんなことになるのなら、

 八十歳くらいの時に、死んでおくんだった・・・。

あなた様の愚痴は、

愚痴というより真理なのかもしれません。

それは死生観を新たにする、

そう思うに十分な瞬間でした。

もうすぐあなた様の自由な時間がやってきます。

体力、要りますよ。

沢山食べないといけません。

沢山食べておかないと、あっちでくたばってしまいます。

さあ、あともう一口・・・

これで完食、準備万端です。

【語句】「医療面談」:現状の身体状況の確認と共有。そして、急な体調変化が起きたり、いよいよ死期が近づいた時、救急搬送をして延命治療をするのか否か…を予め決めて、ご家族様と共有します。私の知っている限り、ご家族様は「救急搬送はしなくていいです。ここで看取って下さい」と希望され、その通りになっています。

※参考「アドバンス・ケア・プランニング」(人生の最終段階における医療とケアの計画/厚生労働省が2018年にガイドラインを発表しています)は、今健康な人にとっても知っておいて無駄はないと思います。

※「とろみを加えた冷たいほうじ茶」:”とろみ” を加えるのは誤嚥防止。冷たい理由は嚥下反射を敏感にするため。両方とも誤嚥防止のためです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

詩境

死期が近づいたからといって、腫れ物に触るように特別な扱いをするわけではありません。

もちろん介助の内容も方法も、ご本人様の心身の状況に合わせて変えていきますが、接する姿勢は今まで通り、いつも日常を感じていられるように振る舞います。

作品の中の方も、昨日はいつも通りに入浴されました(座位のまま入浴できる特殊入浴機器使用)。いよいよとなったら、おそらく清拭になることでしょう。

そのように、できるだけそれまで通りの対応をしていても、やはり思い出されるのは、今日までその方とご一緒させて頂いた時間、その場面場面です。

強烈に思い出すのは「こんなことになるのなら、80才位で死んでおくんだった…」と、1年位前におっしゃったこと。私はその時、返す言葉が見つかりませんでした。

世の中、今まで死ななかった人はいません。みんな死んでいくのです。そう思うと、今生きていることの大事さを強く感じます。・・そう感じさせて下さったことへの感謝の気持ち、それが詩作へのモチベーションとなりました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

<詩作の背景>

〔2025.2.26更新〕

私は今、介護士として老人ホームで働いています。

施設の種類は「住宅型介護付き有料老人ホーム」です。

高齢で自立している方も、要支援1~2の方も、要介護1~5の方も、住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

私はそこで働きながら、人が老いて、そして他界していく様子のその中に、様々な「発見と再発見」を得る機会をいただいております。

そして私は、それらの「発見と再発見」を自分自身の認識とすると共に、より多くの人たちにも伝えたいと思いました。

その理由は以下の三つです。〔2025.2.26更新にて、2と3を追加〕

1.介護への理解が深まり、人生という時間軸への深慮遠謀が深まるかもしれない。

2.虐待や介護の事件事故への理解を深め、要因と予防対策を探るヒントが得られるかもしれない。

3.高齢者人口の増加とそれに伴う負担額の増加、及び介護士やケアマネージャーの不足、それら社会環境の変化と悪化を自分の問題として理解し、社会へのなんらかの改革を発信する力をつけたい。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

【今までの作品一覧】

以下にございます。

「車止めで一息」老人ホームでの息遣いと命の灯

ご一読いただければ幸いでございます。