介護の詩/八十八才のわたし/老人ホームでの息遣いと命の灯44/詩境


【車止めで一息】

八十八才のわたし

老人ホームで暮らしている、お爺ちゃん、お婆ちゃんのこと、気になりませんか? 

老人ホームへの新しい入居者様が、既にそこで暮らしている方達の輪の中へ入ろうとするとき、そこに生じる摩擦は、老いも若きも関係ありません。

私は、介護士として、老人ホームで働いています。

そして、年老いた人がこの世を去っていく、その様子の中に、様々な人生模様を見る機会を頂いております。

介護/老人ホーム

私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。

なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。

それは、おせっかいなことかもしれません。でも、”老後の生き方を考えるヒント” になるかもしれないのです。

伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。

詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。

(画像はイメージです/出典:photoAC)

高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

【車止めで一息】

〔口語自由詩〕

車止めで一息44

八十八才のわたし

人が集まれば、

そこに起きることは、

子供も大人も同じだ。

そこに、

悪意はなくても、

寂しくて辛い思いをさせられることがある。

食事の時間、ダイニングルーム。

「あなたは手が不自由なんだから」

「こっちは駄目。スタッフの近くがいいわよ」

「あっちへ行きなさいよ!」

古兵のような女はわたしに言い放った。

新米のわたしは・・・ただ、

みんなの輪の中へ入りたかったのだ。

みんなの輪の中へ入って、

早くここに慣れたかったのだ。

なのに・・・

「あなたは手が不自由なんだから」

なのに・・・

「こっちは駄目。あっちへ行きなさいよ!」

わたしは、とても寂しかった。

もうすぐ九十になろうという歳になっても、

仲間外れの寂しさを味わうだなんて・・・これは、

まだ小学生だった頃、クラス替え直後の悪夢と同じだ。

・・・おまえはメガネなんだから、もっと前へ行けよ!

わたしは、だた、

みんなの輪の中へ入りたかっただけなのだ・・・なのに。

・・・・・

わたしは自分の手をじっと見て、

普通の人の手を羨んだ。

八十八才のわたし。

終の棲家はここではないのだろうか・・・

画像はイメージです/出典:photoAC)

あきら

新しくご入居されたAさん八十八才は、右手に障害をお持ちでした。

朝のダイニングルーム。

Aさんが、あるテーブルの片隅に座ろうとすると、そのテーブルに主のように座っていた古参の方が「あんた、手がわるいんだから、あっちへ行きなさいよ」と言いました。(※「あっち」とはスタッフの常にいるカウンターに近いテーブルのこと)

古参にとっては親切心だったのだと思います。でも、その言葉を受け取るAさんは、そうは思いません。Aさんは、身体の一部の不自由さを指摘され、輪の中へ入ることを拒否されたのです。(…と、その後、私に語ってくださいました)

その時のAさんの、悲しそうな顔・・・。

わたしは、思いました。

ああ、もうすぐ90才になるというのに、仲間外れにされるという寂しくて辛い思いをさせられることがあるんだ。Aさん、まさか老人ホームでそんな思いをするとは、思ってもみなかっただろうなぁ…。

この後、Aさんはどうなったのか・・? 大丈夫です。スタッフの誘導によって、Aさんが和めるテーブルへと誘導されました。そして、90才になった今も元気に暮らしていらっしゃいます。

私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。

自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方、各々が住まわれており、ターミナルケア(終末期の医療及び介護)も行っている施設です。

【参考】

介護の詩/車止めで一息/老人ホームでの息遣いと命の灯

読んでくださり、ありがとうございます。