【車止めで一息】
故郷の記憶

老人ホームで暮らしている、お婆ちゃん、お爺ちゃんのこと、気になりませんか?

たとえ認知症でも、強い記憶は何かを蘇らせる力になるようです。
私は、老人ホームで介護士として働いています。
そして、人々が老いていく様子のその中に、日々様々な人生模様を見る機会をいただいております。
介護/老人ホーム
私は、そこで見て感じた様々な人生模様を、より多くの人たちに伝えたいと思いました。
なぜなら、「老人ホームではこんなことが起きているんだ」と知ることによって、介護に対する理解が深まり、さらに人生という時間軸への深慮遠謀を深める手助けになるだろうと思ったからです。
それは、おせっかいなことかもしれません。でも、老後の生き方を考える”ヒント”になるかもしれないのです。
伝える方法は、詩という文芸手段を使いました。
詩の形式は、口語自由詩。タイトルは「車止めで一息」です。これは将来的に詩集に編纂する時のタイトルを想定しています。
高齢者の、老人ホームでの息遣いと命の灯を、ご一読いただければ、幸いでございます。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【車止めで一息】
車止めで一息 05
故郷の記憶
認知症は進んでいた。
頓珍漢だ。
冷え切っているのだろう。
炭化した記憶がこぶりついているだけの
記憶の坩堝。
哀しいかな・・・
貴女様は、
本来の自分の姿を、
ホームの誰にも知られないまま、
この先もここで過ごしていくのだろう。
頓珍漢・・・
でも、
食事は自分でとれる。
言葉は出る。
五感は生きている。
・ ・ ・ ・ ・
今日、貴女様と一緒に、屋上を散歩した。
貴女様の欠けた櫛の目のように疎らな白髪が、
ゆらりゆらり、
生暖かい春の風に揺れている。
風は貴女様の頬に気持ちいいだろうか。
西の空の遠くには、
大地に張り付いて連なる群青色の山々。
私は、
貴女様の記憶の坩堝に、
火を入れてみた。
「あの山のずっと向こうは、〇〇様の故郷、◇◇ですよ」
貴女様は、
観音様のように目を細めて、
群青色の山々を眺め、
じっと押し黙ったままだった。
・ ・ ・ ・ ・
私はもう一度、
貴女様の記憶の坩堝に、
火を入れてみた。
「〇〇様、あの山のずっと向こうは、故郷の◇◇ですよ」
・ ・ ・ ・ ・
眺めたままの貴女様。
じっと押し黙ったままの貴女様。
・ ・ ・ ・ ・
でも、
生暖かい春の風が頬を撫でていくその瞬間、
ほんの一瞬だった。
観音様のような薄い両目がカッと見開いたのだ。
瞳には遠くの山々が鎮座するように映っている。
その黒い瞳がギラギラ輝いている!
そして観音様の口が怒ったように開いたのだ。
「もういい。◇◇にいい思い出は無い!」
!
私は驚いた!
私は感動した!
蘇っている!
貴女様は今、
故郷の◇◇にいる!
ほんの一瞬の出来事だった。
頓珍漢な受け答えはそこに無かった。
記憶の坩堝は蘇り、
残された記憶の欠片は濾過されて、
心象風景に浮き上がったのだ。
その時、
貴女様は要介護四ではなかった。
車椅子を必要とするだけの、
年老いた一人の女性だった。
故郷に辛い記憶を持つであろう、
独りの女性だった。
詩 境

前作品の「穏やかな黒水晶」で書かせて頂いた〇〇様の話です。私と一緒に施設の屋上に上がり、遠くの景色を眺めていました。
普段は頓珍漢な受け答えをされている〇〇様です。でも、この時ばかりは違っていました。
西の方の山々をじっと見つめて「いい思い出は無い」という力強い言葉とともに、”記憶が蘇っているような一瞬の表情“ を見せてくださったのです。
認知症だからといって、諦めることなく、様々なコミュニケーション手段を使って寄り添えば、たとえほんの少しだとしても何らかの記憶はひょっこりと顔を出すのです。それは見守る者にとって、とても感動的な一瞬です。
可能性を信じることの大切さを、学んだ一瞬でした。
車止まで一人旅

(画像はイメージです/出典:photoAC)
私が介護士として働いている施設は「住宅型介護付有料老人ホーム」です。
自立の方、要支援1~2の方、要介護1~5の方が住まわれており、看取りも行っている施設です。
【作品一覧】
ご一読いただけましたら、幸いでございます。
介護の詩/老人ホームで暮らす高齢者の様子「車止めで一息」/詩境
読んでくださり、ありがとうございます。