【車止めで一息73】
後期高齢者の延長戦①
〔映画:モロッコ〕

老人ホームで暮らす、お爺ちゃんお婆ちゃんのこと、気になりませんか?
ちょっと覗いてみて下さい。それは、未来の自分の姿…かもしれません。
プロローグ:後記高齢者の延長戦
・前期高齢者(65才~74才)後期高齢者(75才以上~)という分類は日本の医療保険制度によります。制度ですから、「前期」とか「後期」という言葉からくる印象と現実の高齢者一人ひとりの印象と、乖離することは度々あるわけです。高齢者といえども、十人十色、千差万別ですからね。
・前期高齢者の期間が10年間ですから、後期高齢者も同様に10年目を求めると、85才となります。じゃあ、85才の先は…続後期高齢者?・・そうではありません。後期高齢者は他界するまで医療制度の中ではずっと後期高齢者のままなのです。
・それでは、85才時点での平均余命は、残りどれくらいなのでしょうか。つまり、世間の皆様は85才以降・・あとどれくらい生きていられるのでしょうか? 厚生労働省の資料から平成22年時点での平均余命を抜粋してみましょう。
〔85才の平均余命/平成22年時点〕
・男 6.27年(つまり予想寿命は91.27才)
・女 8.30年(つまり予想寿命は93.30才)
(参考:主な年齢の平均余命/厚生労働省)
85才を過ぎると、あと6~8年の命なのですから、これはもう「引き際」なのかもしれません。・・という数値上の現実から、実際の介護の現場へと目を向けてみると・・・(以下です)
*
・私は、老人ホームという介護の現場で高齢者様の介助をさせて頂いているのですが、その皆様方とのコミュニケーションを通じて「85才辺りを過ぎた後期高齢者の皆様方は、人生の延長線を生きているのではないか…」と思うことがあります。「人生の延長線」です。特にご本人様の口から次のような発言が出たときです。これらの発言発信は、自分の現状に不満があるけれども、なんとかして自分自身を納得させたいという気持ちからだと思われます。
「どうせ、もうすぐ死ぬんだから…」
「神様は、私をいつまで生かしておくつもりかしら」
「こんなに長生きするつもりは無かったんだけどねぇ..」
「苦しまないで死ねる薬はないの?」
・平成29年に厚生労働書は「人生100年時代構想会議 中間報告」というのを公にしました。私は「人生100年構想」を絵空事だと思っているのですが、上のような発言を耳にすると「人生100年構想」が益々絵空事にように感じてしまいます。
・さて、上記のような発言をしているうちは、まだ認知機能は維持できているのですが、ADL(日常生活動作)が低下して、上記のような発言をするには至らずに、悪戦苦闘されている方もいらっしゃいます。
・この度は、人生の延長線にて悪戦苦闘されていらっしゃる方にスポットをあてて、延長線に入る前と後を追ってみました。
〔延長戦について〕
人生という時間軸の延長「線」の中での話なので、言葉としては延長「線」が正しいのですが、介護現場で受ける印象は、もがきながら生きているという印象が強くあります。なので、延長「戦」としました。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
<介護の詩>
車止めで一息 73
後期高齢者の延長戦
〔映画・モロッコ〕
部屋の、
テレビのすぐ前に置いた椅子にお尻を降ろし、
開いた両脚の間に立てた杖に両手を重ね、
貴方様は背中を丸め首を突き出すように映像を観ていた。
毎日だった。
ほれ、見てみろ、いい女だろぅ?
マレーネデートリッヒだ。
映画モロッコ1930年アメリカ映画。
机の上には、
擦れて古くなったDVDのケース。
若い頃は映画館へ毎日通ったこと、
嬉しそうに懐かしそうに毎日話してくれた貴方様。
毎日毎日観ていた。
飽きることはなかった。
なのに、いつの頃からだろう・・
モロッコのDVDは、
本棚に差しっぱなしになっていた。
*
部屋には、
便臭が漂い常夜灯のままカーテンは閉じていた。
貴方様は顔を横に向けベッドから片手を垂らして眠っていた。
床には脱ぎっぱなしのまま投げ出されたパジャマのズボン。
失禁のようだった。
〇〇様、おはようございます、朝ですよ。
美味しい朝ご飯を食べに行きましょう。
掛け布団をめくると便臭がさらに強く漂った。
シーツには、
広がる尿失禁の地図と、
あちらここちらに付着している便多量。
・ ・ ・ ・ ・
もうDVDを観ることはなくなったけれども、
ついこの間までは、
自分でトイレへ行っていた。
一人で行けなくなったらお終いだよと言っていた貴方様。
その貴方様のリハビリパンツは、
便で汚れて太腿まで降りていた。
・ ・ ・ ・ ・
今日は、行けなかったのだ。
いつかこうなる・・その日が今日なのだ。
後期高齢をとうに過ぎた貴方様。
延長戦は今始まったばかりだ。
*
「モロッコ」1930年アメリカ映画
・日本では1931年に公開されました。モロッコ(参照:Wikipedia)
・日本では初めてのトーキー(映像と音声が同期している映画)映画です。この映画以前はサイレントであり、活動弁士が喋りまくっていたようです。
・主演女優/ヒロインはマレーネ・ディートリヒ。主演男優/ヒーローはゲーリー・クーパーです。
・この映画、印象的なシーンが二つあります。
※ひとつはラストシーン。
・ヒーローは兵隊であり、ヒロインと出会った駐屯地を出て戦場へと向かいます。モロッコの砂漠へと向かうのです(モロッコはアフリカ大陸の北端)。そしてその後を、ヒロインは追いかけます。履いていたハイヒールを砂の上に脱ぎ捨てて走ってヒーローを追いかけていくのです。ラストの映像は、”砂の上に残されたハイヒール”・・・ヒロインは裸足、大丈夫かな? 恋愛映画の現実を超えた醍醐味がそこに感じられました。
※もうひとつは、ヒーローがヒロインへ ”ルージュの伝言”を残すシーンです。
・ヒーローは兵隊。ヒロインはヒーローが駐屯している街の酒場の歌手。二人は恋仲になるのですが、ヒーローは別れのメッセージを、ヒロインの楽屋の鏡にヒロインが使っていたルージュを使って書きなぐります。それがルージュの伝言です。伝言の内容は「気が変わった..幸せに…」というようなメッセージでした。・・随分と簡単で乱暴な別れ方だなぁ…と、観る度に思ったものです。
・私はこのシーンを初めて観たとき、日本のシンガーソングライターの荒井由実「ルージュの伝言」を思い出しました。「♫あのひとは もう気づくころよ ♫バスルームにルージュの伝言♪」という歌詞です。この曲は、スタジオジプリの「魔女の宅急便」に使われていたので、聴けば「ああ、これね」と分かる人は多いのではないかと思います。
・・荒井由実は映画のモロッコからヒントを得たのかなぁ… そんなことを、この映画を観る度に思ったものです。

(画像はイメージです/出典:photoAC)
【 詩 境 】
詩 境
この方の部屋へケアに行くと、そしてケアの時間でなくても様子を伺いにちょっと見に行ったときもでも、お部屋にいらっしゃるときには大抵の場合、モロッコをご覧になっていました。そして、私も一緒に、都度都度、少しだけですが観させていただきました。(私も度々観させて頂いたので、その結果として、前の段落での映画の解説が長くなっております)
「若い頃は、映画館に毎日観に行ったよ。朝昼晩とね。いろいろ観たなぁ….ほら、これがマレーネデートリッヒだ。いい女だろ?」
その元気なご様子が、映画の場面場面と一緒に私の脳裏に蘇るのです。
私はこの方から、日々の介助を通して、雑学から介助そのものに至るまで、いろいろなことを教えていただき、そして勉強させていただきました。
私はこの方への感謝の気持ちを忘れないために、記録を残しておこうと思いました。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
【今までの作品一覧】
以下にございます。
明日の自分が、そこにいるかもしれません。
ご一読いただければ、幸いでございます。