「あなたのために~」
「あなたのために~」という言い方で他者に何かをしてさしあげるという事がありますが、してさしあげる行為は、本当にその人のためになっているのでしょうか?
「この参考書、よさそうでしょう。あなたのためを思って選んだのよ」「私、あなたが喜ぶと思って、これを作ったの。食べてね」「俺、母さんのことを思って、この施設にしたんだよ」
「あなたのために~」「きみのために~」・・日常的に交わされる言葉であり、その先には具体的な行為があります。
私はこの「~のため」という言葉を聴くと、昨今頻繁に起きている児童虐待事件を思い出します。それらの事件では、逮捕された親の多くが「子供のしつけのためにやった」、つまり「こどものために」という思いを述べていました。わたしも親のひとり「子供のため~」という思いから、手を出してしまったことがあります。
結果として事件のように死んでしまうとか、そうでなくても子供との信頼関係が壊れるとか、そのような「しつけ」は「こどものため」にはなっていないわけで、とんでもない認識違いがそこにあります。
「あなたのために~」は、本当に「あなたのため」になっているのでしょうか? 考えてみたいと思います。
【事例:私自身のこと】
先日、身辺を整理していて、捨てようと思った昔のノートをパラパラとめくっていたら、母を介護していた時の頃のことが書いてあって、その中にこんな書き込みがありました。
つえをとり廊下を歩きたいという母に、杖は俺だと言って手を出す俺
今思うと、私は、母の手助けした自分を誉めたかったのかもしれません。
つまり、自分は母の看護において「看護している私を認めてもらえていない」という不満が無意識の中にあり、だから、わざわざ短歌調のリズムにして書きとめることによって、母を介護している自分を「親孝行している自分」として位置づけしたかったのだと思います。私という人間はそういう人間なのです。
もしかして、
母は自分の力で歩きたかったのかもしれません。気丈夫な母でしたから、誰の手も借りずに歩いて、その先々を生きていく自信にしたかったのかもしれません。
でも、
私はそういう母の気持ちの可能性を全く考えずに、「僕が手助けするから~」・・・その時はその行為を正当なことだと思っていたのです。ノートに書き留めるくらいだから、自分で自分を美化していたのかもしれません。
たぶん、
そうすることによって、私は見舞いに来た甲斐を感じ、私は手助けをしているという自己肯定感を得て、自分の存在意義をそこに見出していたのかもしれません。大切な母の介護の現場だというのに、なんて矮小な私の心情でしょうか・・・。今思うと恥ずかしいです。
これ、
・・・言葉を変えれば「自己満足」です。「杖は俺だと言って手を出す俺」の姿に「俺の存在は役にたつ存在である」のとして自分で自分を評価、肯定するという心理です。
もしかしたら当時、たとえば私が職場や家庭で何かの不満があって、自分のことが認められていないと感じていて、職場や家庭以外のところに「自己を認めてくれる相手」を求めていた、という背景がそこにあったのかもしれません。
「母のため~」が、実は私の「自己肯定感のため」、強いて言えば「承認欲求を満たすため」の行為だったのかもしれないのです。
母は半年後に他界するのですが(胆管癌/86歳)、今思うとそのような反省をしております。
【事例:小倉百人一首】
小倉百人一首には「きみがため」で始まる短歌が二つあります。
ひとつは、
君がため
春の野に出でて若菜摘む
わか衣手に雪のふるなん
「春の野」「若菜」「衣手」「春の雪」・・・どれも柔らかいイメージを与える言葉が並んでいて、優しい美しさを醸し出しています。
ただ、冒頭の「君がため」にする「若菜摘む」行為は、相手方にどのような思いを抱かせるのでしょうか。
〔大好きな君のために、春の七草を摘んで、おいしいおいしい七草粥を作ってあげよう〕という男の「愛情」が伝わるのか、それとも、「私が欲しいのは永遠の美しさよ。七草なんかではないわ」なんと思われてしまい、男の「自己満足充足欲求」だけがからまわりしてしまうのでしょうか・・・。
さてさて、思われた女は、どう思ったのでしょうか。
「君がため~」で始まるもうひとつは、
君がため
惜しからざりし命さえ
長くもがなと思いけるかな
君と会う前は、いつ死んでもいいと思っていたこの人生。わたしはとても厭世的な気分で毎日を過ごしておりました。そんな私だったのですが、君という素敵な女性にお会いすることができた今、私は君とできるだけ長く一緒に生きていたいと思うようになりました。
これは、「きみがため」とは歌っていますが、相手に何かをするわけではなく、自分一人が思うだけでありであり、その満足の在処は一人完結型です。(強いて言えば「あなたも、私と一緒にできるだけ長く生きて欲しい」という欲求が生まれていますが)
作者の気持ちは、「思いけるかな」の後に、「ありがとう」という気持ちがあるのではないかと、私は思っています。
君がため 惜しからざりしいのちさえ
長くもがなと 思いけるかな ありがとう
字余りですが、つまり・・・
厭世的であった私に、こんなにも生きる勇気を与えてくれた貴女という素敵な存在に「ありがとうございます!」なのです。
貴女に会えてハッピー! 嬉しい! ありがとう!
こういう「きみがため~」の使い方は、誰に迷惑をかけるでもなく、綺麗だなあと思います。
以上のことから、
「あなたのために~」と思って、そこに行為が伴う場合には、
相手の心情をよく汲み取って、慎重に行動することが求められると思います。
本当にその行為が相手のためになっていることなのか否か、
ただ私が満足したいだけではないか、
私の自己肯定感が高まるからではないのか、
私の承認欲求が満たされるからではないのか・・・、
気がつかないことに気づく・・・難しいことですが心得として肝に銘じておきたいと思います。
明日もいい日でありますように。